シリーズ広報委員登場(8)
「いんさつ屋がインターネットできないの?」
鹿島敏博泣Jシマ印刷
●広報委員は名前だけ?
太美工芸の野田さんに誘われ同友会に入会して、早いもので5年が経過しました。入会当初の2年間は、忘れた頃に例会に出席する程度で、ほとんど休眠状態でした。3年目に入る直前、「鹿島さん、来年幹事を引き受けてくれませんか。ついでに、広報委員も受けてもらえませんか。広報委員会は名前だけでもいいです・・・」とミシマの島陰さんから一見やさしい口調で(実はかなり強引に)依頼されました。同友会は、特に地区例会は地区役員の自発的な活動で行われているということが少しずつ理解できていた頃で、「同友会を続けるなら、おんぶだけでは申し訳ないなあ」と思っていた頃です。島陰さんの軽いタッチの誘いにのってしまいました。
●いきなり編集会議に
何もわからないまま広報委員になって、1回目の委員会開催のお知らせ。この1回目の召集が広報編集会議。何も知らない自分にとって広報編集会議も広報委員会も区別がつかず、とにかく出席。どうも様子がおかしい。出席者がたったの6名?よくよく聞いてみると広報は、10名ほどで開催する広報編集会議と、各地区から1名以上出席で開催される広報委員会の2種類があるとわかりました。出席してしまった手前、そのまま帰るわけにもいかず、最後まで付き合い、懇親会まで出席してしまい、その時から続くこと3年。そんないきさつから始まった広報委員会です。
●「インターネットできないの?」
ある日の広報委員会で、現広報委員長(当時副委員長)竹内襖材の竹内さんから、「いんさつ屋がインターネットできないの?」とバカにされ、私は「デジタル情報はインターネットではない方法で通信はしていますよ」と言って反論、特に必要性のないことを主張してきました。「ちょっとインターネットができるようになったと思って、人にまで押し付けなくてもいいのに。このインターネットかぶれおやじが・・・」と思いつつ、「いんさつ屋がインターネットできないの〜?〜? 〜?〜?」の言葉は日増しに増加。「この野郎・・・、やってやろうじゃないか」と一念発起。
●メリット一杯のインターネット
会社の電話をISDNに変えたのをきっかけに、インターネットに挑戦。モデムやダイヤルアップなどの設定などうまくいかず、ちょっと時間がかかったものの、なんとかできるようになりました。そして今や、海外の友人へのメールや同友会内の情報の受発信、仕事上では、資材の購入依頼や印刷物依頼者との原稿受け取り、校正の送信などなどに利用。なによりも相手先に速く情報が渡せる。原稿などを取りにいちいち客先へ行かなくてよい。FAX・郵送など何よりも安いといったメリットが一杯です。
●何でも言える雰囲気で
あのインターネットかぶれおやじの鬼のような顔が、今では神様のようにも見える(ほめすぎ?)。でも、広報委員になったおかげでインターネットに近づくタイミングが速まったことには間違いはなく、またそれで、印刷の商売に役立っている現実を見ると、本当に、竹内様イコール神様と言っても過言ではないかもしれません。ずけずけ何でも言えるそういう雰囲気の同友会、そして広報委員会が好きでやめられません。まだインターネットやってないみな皆さ〜〜〜ん。だまされたと思って、一度挑戦してみてください。はやくやったほうが、お得なことも、楽しいことも・・・。