愛知同友会・第40回定時総会〈第2分科会〉
愛知の製造業、生き残りの道を探る〜行政から受注する「アドック神戸」に学ぶ〜
大震災と空洞化の中から栄敏充氏(兵庫同友会・事務局長)
◎アドック神戸
(1)製造部会1996年、設立30社
(2)共同受注・開発グループ「アドック神戸」1999年設立、現在41社(平均社員数31名)
(3)共同出資会社「(有)アドック神戸」20001設立、25社
●アドック神戸とは
三本立で役割に応じて活動
今年1月、「神戸新聞」が地元経済の“新潮流”という連載を掲載しましたが、その第1回目はアドック神戸で、2回目以降も登場した経営者の多くは同友会の会員でした。「日経ベンチャー」4月号でも共同受注での成功例として出ています。また、神戸市の広報も取り上げるなど、地域では少しずつ有名になってきています。阪神・淡路大震災の翌年、30社で製造部会を設立し、約4年経ったところで、共同受注・開発グループ「アドック神戸」を設立しました。今年3月に有限会社アドック神戸を25社資本金500万円で設立しました。現在、この三本立で役割に応じて活動していますが、柱は任意団体の「アドック神戸」で、兵庫同友会に事務所を置き、「(有)アドック神戸」は、会員企業に事務所をおいています。
自主的に仲間を募る(A型)
共同受注・開発の実績はA型とB型に分類、A型は自社の既存の取引先からの受注です。これまで自社で作っていない物がついていると断っていたものが、アドック神戸には他業種もいるので受注できるようになりました。受けた企業が自主的に仲間を募ってやるシステムです。手数料は頂かないし、集計もしていないので,事務局も正確には掴めていません。部会での4年近くの間、お互いの工場を見て歩き、どこがどんな機械を持ち、技術力もみんな分っていますから、自由に協力しあっており、アドック神戸の活動実績のほとんどはこのA型です。この事例の1つが光触媒オゾン発生式脱臭機で、3社で開発し、今一般販売をしています。今後、アドック神戸のブランド名での販売も考えています。
アドック神戸自体が受注(B型)
B型はアドック神戸で受注した物で、まず主幹事会社を決めてからグループ企業を集めます。この場合は、売上の1%を頂きます。この事例の1つが薬の分封機で、4社で製造、6月から量産体制に入りますが、契約から納入まで主幹事会社が全責任を持ちます。月商1000万円位になると見ています。現在、ある大手企業から新工場のメンテナンスの話が来ており、とりあえずその前段の工事を受注しました。約1000万円の仕事です。それから大阪の中堅企業から、ソフトは持っているので、ハードの開発依頼の話があります。現在、検討中・開発中もありますが、これからどのように伸びるかはまだ分らない状況です。最初に発注先の紹介があったのは、中小企業振興公社です。下請けを紹介するのが仕事ですが、総合的な完成品を作れる企業をということでアドック神戸に話がきました。
産官学とのネットワーク
アドック神戸を作るときに一番注意をしたのは、中小企業経営者だけでは失敗する。 例えばアメリカへ出荷して、PL法に引っかかったりしないとも限らない。学者や行政とネットワークを組めば、総合的な判断ができるだろうということで、運営委員会には委員と同数以上のアドバイザーがおられます。神戸市産業振興局工業課、(財)神戸市産業振興財団、兵庫県立工業技術センター、(財)新産業創造研究機構(NIRO)、商工中金神戸支店、大槻眞一阪南大学教授(顧問)という皆さんです。
●大震災直後に生まれた「製造部会」
地盤沈下・空洞化の中で
製造部会を立ち上げた直接のきっかけは震災ですが、大きくは重厚長大型産業構造の地盤沈下にあります。神戸の中小企業は三菱・川崎等の大企業の下請け企業群ですが、ものすごい地盤沈下・空洞化が起こっています。京都との対比で上場企業の時価総額を比較してみますと以下のようです。◎1989年神戸9.2兆円京都7.7兆円◎1999年神戸2.4兆円京都22.3兆円。神戸は産業の集積地のように言われますが、上場企業の時価総額は10年の間に、京都の10分の1まで落ち込んでいます。まず、工場が地方へ、海外へ、そして本社機能が東京へ。重厚長大がどんどん減っているのに、私達は震災後までその深刻さを直視していませんでした。
経営資源としての同友会ネットワーク
震災当時の会員企業は1037社で、今は1176社ですが、全県で60%の会員が直接被害を受け、神戸ではほぼ100%が被害を受けました。機械が潰れた、電気が通じない、給配水管が詰まったと、各業者に殺到しましたが、幸い同友会の仲間には全部関連業者がいました。早くても1カ月かかるところを会員のところは約1週間で立ち上げ、地域で評判になりました。この時にひょっとすると、同友会のネットワークはものすごい経営資源ではないかということに気づきました。
地域経済埋没の危機感の中から
*もう1つは、兵庫同友会の主力役員は、神戸(ほぼ100%被害)に集中していたので、困難な中で同友会活動に集中する余力がない。この時に、会員企業や地域をリードできる強い企業づくりをしなかったら、同友会も地域経済も埋没してしまうと思いました。そこで、当時、兵庫同友会の製造業会員220社の内、30社で製造業部会を作りました。業界をリードできる企業がネットワークを組んでこそ、新しい事業に挑戦できます。地域と業界をリードしよう思ったら、国内だけ見ていても駄目なので、イタリア・アメリカ・ドイツを見に行って、世界に学んで良いところを直接取り入れるようにしました。アドック神戸はフランス語(うってつけの・適切なの意)ですが、組織はサード・イタリアの中小企業のネットワークに学んで作りました。
●アドック神戸で何が変わったか
(1)新しい企業間連携会員同士でも支部例会に出ているだけでは、お互い何を作り、どんな固有技術を持っているのかはあまりわかりません。工場見学会や飲み会を続けていると、急激に変化が出てきました。例えば、工場見学を通じてA社は大企業の1次下請けで品質・コストなど徹底的に鍛えられ、非常に高いレベルの板金屋さんだと分り、他ではできない物がA社では製品になるため、新しい企業間連携が急速に進みました。
(2)系列外の仕事を受注アドック神戸で、これまで手がけていなかった系列外の仕事もするようになって、自立型企業づくりの練習をしている段階です。
(3)マスコミから注目愛知の名古屋支部より小さな兵庫同友会ですが、マスコミへの登場率が結構高く、アドック神戸の影響だと思っています。
(4)行政や地域とのネットワークの質の変化アドック神戸の実践を通じて、同友会の外にすごい経営資源と情報があることが分り、それを会内に流していくことで、同友会の活動も活性化していると思います。例えば、県や市の課長さんが同友会事務局に来られ、NPO・NGOの方たちも出入りをされます。この方たちの情報はすごいです。
(5)事務局の機能変化これだけの方の事務局への出入りが日常的なものになると、会内だけに目を向ける事務局から、地域に目を向ける事務局に変化してきました。
●中期戦略で、今日がある
欲しいのは知恵と情報
神戸市の産業振興局とは日常的に親しくしていますが、これまで補助金をいただいたことはありません。私たちが欲しいのは知恵と情報だといつも言っています。アドック神戸の会議には毎月神戸市の方に来ていただいています。私達は行政のことを知らず、行政は中小企業のことをあまり知りません。毎月勤務修了後に一緒に討論を重ねる中でお互いがよく分りあえ、行政の方も一緒に実績を作ろうと一生懸命に協力していただけます。兵庫県の産業労働部商工労働局とは、年1回の定例懇談会を開いています。昨年は同友会の提案に対して回答書がきました。そして、当日はこの回答書の上にたって議論しませんかと言うことで、かなり懇談の内容が具体的になってきました。また、今年4月には昨年の懇談会での同友会の提案内容に対する県の取組みの中間報告をいただきました。
技術レベルを各社が高めないと
ネットワークに参加することは、技術レベルが低いと他のメンバー全員に迷惑をかけます。自社のレベルを上げる以外にネットワークには入れません。アドック神戸に参加していない会員からは、事務局が時間を取られることに批判はありますが、行政やマスコミ、NPOなど会外の方々が事務局に出入りされ、変化を肌で感じてからは、沈静化しています。実は、製造と同時に、情報関連・建設・運輸など4つの部会の準備をしましたが、「中期戦略」を持てた製造部会だけが、今日あるのです。
同友会で学び、下請けから脱皮
溝渕隆史氏(株)ツインテック・常務(「アドック神戸」運営委員)
「お前、間違っとる」
私は1991年に同友会に入会しました。当時わが社は、ある会社の仕事が90%を占めていました。「中小企業とは下請けのことや」と思っていましたから、自分の会社に自信を持っていました。ある先輩に、「経営指針の勉強をしなさい」と言われ、出かけたセミナーで自社の状況を説明をしたら、「たぶん数年で潰れるぞ。一番怖いタイプや」「お前、間違っとる」と言われ、カルチャーショックを受けました。当時私も若くて素直でしたので、さっそく新しい仕事の開拓にチャレンジしました。震災からの1年、各地の製造業を見に行きました。東京・ラッシュ墨田や大田区の製造業、東大阪のグループ等です。その中で、「製造部会を作ろう。将来的には、共同受注・開発をしようや」となって部会ができました。
飲み会で発見仕事のパートナー
発足の呼びかけには、かなり多くの人が集まりました。ところが、「最初は多分儲からん。100万円ぐらい損する気のある人は入ってくれ。こんなんで儲よう思うたら甘いで」という主旨説明にみんな顔を見合わせ、結局、30社で発足しました。活動の中身は、例会と工場見学、そして懇親会でしたが、私自身が一番勉強になったのは、懇親会という名の飲み会です。兵庫の会員さんも愛知の皆さんと同じで素面では腹の中を見せない。ところが、ビールも終わり、そろそろチューハイという頃になると、「わしのとこのこれ、どない思う?困っとんねん」です。工場見学で設備と技術が分り、飲み会で社長の考えや姿勢が分かります。すると自然に、「この人とならパートナーとして組めるかな」ということがわかりだします。お金も使ったけれど、非常に良かったです。
簡単には進まないしかし、いい経験に
製造部会からアドック神戸へ発展したきっかけは、震災後、兵庫の産官で作られたNIRO(新産業創造研究機構)です。当時の通産省のリサイクル法に基づいて、家庭用クッキングオイルを回収し、社会福祉施設のお風呂の燃料にしようと考えており、その回収装置を私達の製造部会で作りませんかという話になったのです。「こりゃ面白いやないか」とメンバーに集まってもらって、「どなたか、なさいませんか」と言ったら、4社の手が上がりました。わが社も、当時の会長もその中に入っていました。500円の予算で、850万円かかりました。やる気があっても、できんものはできん。設計のところで一部だけできないところを外注に出したら、請求書が来てビックリ。「やっぱり簡単に物事は進まんなあ」と参加企業全員が分りました。最初に失敗したことは、本当に良い勉強になったと思います。それからは、どんなメンバー構成で、どことどこが組むかは、幹事会で決めることにしました。リーダー役の存在の大切さも分りました。共同受注・開発グループとしてのアドック神戸にも、この方式は生きています。
すべてを託す発注形態
薬の分封機ではうちが主幹事会社です。薬局や総合病院で患者ごとに薬を調合し、自動でラミネートされた袋に詰める機械です。部品・組立・完成までの仕事です。昨年4月から動き出し、部品は昨年11月に納品。設計上のトラブルが頻繁に発生したため、まだ世の中に出ていません。5月の末にやっと最終ユーザーに納品される予定です。この体験で分ったのは、私達のようなグループを求めているのは、急激に成長されたベンチャー企業や中堅企業だということです。彼らは自社の強みを強化して不要な部分はアウトソーシングしたがっています。また、部品管理能力は私達とほとんど変わりません。だから私達にすべてを託すような発注形態になるわけです。
主幹事会社は大変
一番難しかったのが、メンバーの品質意識の違いです。当人も私も、良いだろうと納めても「あかん」ということがある。この一致点を決めておかないと、信頼を失って注文がなくなる恐れがあります。また、資金調達も問題です。自社の資金繰りだけでも大変なのに、その資金をどこから捻出するのかが大変。たまたま、経営革新法の指定を受けましたので、中小企業金融公庫から、ある程度を借りることができました。けれど、主幹事会社になって、どこから資金を確保するのかを解決しないと継続な仕事が廻っていかない。アドック神戸に商工中金に入ってもらっているのは、ひとえにこの為です。
まだまだ、発展途上
行政からアドック神戸への期待は、震災により工場が無くなった方たちが移転した「震災復興工業団地」の受注窓口になってくれないかということです。単品部品での注文はどんどんなくなってきており、やはりある程度完成品に近い状態までできないと発注してくれません。そのためにアドック神戸に窓口的役割を果たしてほしいみたいなのです。行政と研究機関、産官学がついていることで社会的信用が確保されました。紹介を受けて企業に訪問しても、見積もりまで半年、受注までは更に半年もかかるということを、皆さんも経験済みのことと思います。今、(有)アドック神戸で行くと、資料の官学の名前が目に入る。すぐ予算はこれだけ。パッと仕事を出してくれる。製造業では「行政なんか当てになるか」と言ってた人が、「こういう使い方があるんや」にも変わりました。「同友会は学ぶだけで、実践せんでもええんですか?実践も個人だけでなく、共同でやるスタイルがあってもいいんとちがうか?」と浸透を図っています。まだまだ、発展途上です。
【文責事務局・服部】