次代を創造しよう同友会活動に卒業なし(3月14日)
連協総会&青同卒業式
感動を共有しよう
青同連協総会では助川代表より1年間の活動のまとめが行われた後、新年度の代表として上根崇氏(上根精機工業(株)、第3青同)が選出され、活動方針案を提案しました。活動テーマは「危機感からの脱却〜共に育ち、感動を共有することから始めよう」です。活動方針の重点としては「共育」「交流と学び」「渉外と戦略的活動」があげられ、最後に「感動の共有」として、「共に育ち、同じ目標に向けて実践していくことで方針をまっとうし、感動を共有しよう」と提案し、承認されました。
明日に向かって輝け
引き続き卒業式では、25名の卒業者1人1人に各地区会長から卒業証書が授与されました。その後、全員が卒業スピーチを行い、若き青同会員に苦言と助言、個々の経験からの提案等が率直に出され、笑いあり涙(?)ありの卒業式となりました。さて、青同には卒業がありますが、同友会を卒業するわけではありません。今後、青同のパワーと行動力をもって地区活動に、また経営者として活躍されることを願ってやみません。
古澤デザイン事務所古澤毅(第4青同)
卒業にあたって仕事も同友会も切磋琢磨の繰り返し
須原清成(有)のぼり不動産(25歳で入会)
経営者の勉強会?
私が入会した85年当時の愛知の会負数は1300名、所属した第3青同は30名でした。例会といえば飲食店で雑談ばかり。「経営者の勉強会」と聞かされ入会したのに、特別疑問を持たずに参加していました。ただ参加を重ねるごとに色々な人との出あい、そして色々な考え方や意見を聞くことができ、参加することが楽しみに変わっていきました。
一気に100名の地区に
94〜5年ころ、みんなの団結で大いに会員増強が進み、百名を越える地区となりました。会の運営ばかりやっている等の不満が出てくるようになり、新しい目標を掲げたのですが、なかなか全員に伝わりませんでした。この当時地区会長だった私はどうしたらいいのか悩み、仲間と会合の後、深夜まで語りあいました。その結果たどり着いたのが、「同友会3つの目的」でした。目標を大きくかかげ、切磋琢磨し、事業を成し遂げる、これは仕事も同友会活動も同じで、本人の意識で随分違いがでます。私は自分の資質を高める自己鍛練の場として同友会を活用して来ましたが、皆さんはもっとその先をめざして欲しいと思います。
全体を見る能力が身についてきた
助川雄助川鉄工(株)(31歳で入会)
「入会、即役員」
91年11月に入会し、私が最初に参加したのは連協主催の「真の豊かさとは」という例会でした。何もわからない状態で、グループ討論で圧倒され、「えらい会に入ってしまったもんだ」と後悔しきりでした。所属地区は第2青同で、当時の会員はわずか21名。例会も役員会も顔ぶれが同じで、「入会、即役員」という世間一般の組織では考えられないような運営でした。私にも早々に役が仰せつけられ、短期間ではありましたが、卒業式の担当となりました。同じ地区の卒業生に連協議長を務められた村上電気工業(株)の村上氏がおり、後輩への厳しいアドバイスをいただきました。
忠実に守り、伝えてきた言葉
今でもその言葉を忠実に守り、後輩にも伝えてきたのが、「絶対に遅刻はするな!20人の会議で5分遅刻したら、100分間の時間を他人から奪ったことになる」「役は頼まれたら断るな!断ればその場で自分の器を狭くする」という言葉です。この2つの言葉は私に時間の価値を知らしめ、人脈を形成していくの上での源となりました。人に伝えることにより、自分もそれがあたり前に行えるようになったと思います。また自社でも自分が歯車の1つのように作業に没頭せず、管理・運営する立場として全体を見る能カが身についたように思います。
青同での絆を持ち続けたい
まだまだ同友会の活動が会社にきちんと反映できているとは言えませんが、この10年間、着実に少しずつ前進していることは確かです。「同友会活動に卒業なし」。私達は「卒業」という区切りでこれまでの自分や活動を振り返り、それを後に続く者に伝える義務があるのです。青同という絆を生涯、持ち続けて行きたいと思います。