新会員オリエンテーション(第5回、第6回より)
「同友会で学んで、わが社は変わった」
新会員の皆さんに早く、正確に同友会を理解していただくため、今年度は増強推進本部と支部長会議が主催し、毎月「新会員オリエンテーション」を開催しています。先輩会員の皆さんより「同友会で学んで、わが社は変わった」のテーマで、報告していただいています。昨年末の2回の会合より、お2人の報告を紹介します。
第5回11月14日
入会1年目に300枚の名刺を交換
秋山一正氏(株)東宝商会・社長(前・西地区会長)
出向を命じられて
秋山氏は学校を卒業後、一旦は自動車部品の商社に就職しますが、子会社に社長として出向を命じられました。その会社が今の東宝商会でした。とは言え、いきなり新しい仕事はありません。それまでいた会社の下請けとして自動車用電装部品の製造を始めます。ちょうどその頃、自動車の高級化と時期が重なり、業績はどんどん上がりました。それでもその業績に甘んじることなく、2本目の柱づくりにとりかかり、いわゆるパチンコ用の電子部品製造の仕事を始めます。名古屋はパチンコが盛んな土地ですから、これも一度仕事が取れれば、立派な柱となりました。
3本柱の経営をめざす
そんな時、「2本足では不安定だ。3本足が安定する」という話を聞くと、すぐに3本目の柱を探しました。ちょうど環境問題がクローズアップされ始めた頃で、商社勤めの経験を生かして環境機器の販売を始めます。これも立派な柱に育てました。3本の柱が軌道に乗った頃バブルが弾け、何をやっても上手くいかないことに、悩む毎日が続きました。「それまで順調に進んできただけに、ショックは大きかった」と秋山氏は振りかえります。
60歳で同友会に入会
そんな時に、新聞の片隅に載った同友会の紹介記事を目にし、「今までの私に足りなかったのは勉強だ」ということに気づきます。自ら事務局に足を運んで、同友会に入会しました。時に秋山氏が60歳の時です。入会した秋山氏は、チャンスがあればどの勉強会にも熱心に参加しました。その結果、なんと最初の1年で300枚もの名刺を交換したそうです。これは大変な枚数です。また、そこで出会った「経営指針」という言葉に惹かれ、早速成文化しました。ここまでが今の秋山氏の足跡です。「経営指針が会社で活かされるのはこれからだ。今からが本番だ」と、秋山氏は気を引き締めて、報告を締めくくりました。
第6回12月2日
「2本目の井戸を掘る」これが2代目の役割
内田信也氏(株)大進興業・社長(尾張支部副支部長)
「とにかく学びたかった」
地元の県立高校を卒業した内田氏は、家業を継がないことを条件に、当時のトヨタ自動車販売に入社。ところが1982年の「工販合併」により、トヨタ自動車として新しい道を歩むことになりました。その時、交際費が20分の1になった上司もいて、内田氏は製造の厳しさを初めて知ります。「トヨタ時代は上司にも恵まれ、いい仕事ができた」と振り返りますが、実力より学力が優先される社風で、後輩がどんどん昇進し、悔しい思いもします。ちょうど、遠方の勤務地を指定されたことがきっかけとなり退社。自宅に近い子会社への移籍を希望していましたが、実家を継ぐ話が出て、最初の約束を違える結果になります。子会社の社員を経て、代表権のない社長に就任と同時に同友会に入会します。最初は「とにかく1つでも学びたかった」と積極的に会合に参加し、役員になります。
転機となった10周年実行委員長
転機は、地区10周年の実行委員長を任されたことでした。支部の役員会へPRに行ったところ「ここでPRしてもダメだ。各地区を回ってPRしなさい」と言われてハッとします。 会社では、トヨタ時代の経験を活かして細かい計画を立てて指示していましたが、上から旗を振っているだけで、皆と気持ちが1つになっていなかったことに気づかされました。それからは、同友会の経営指針グループや共育研究会にも参加し、社員と一緒に目標に向かう社風づくりを進めています。「2代目はいろいろ言われることはわかっている。しかし、1本の井戸ではいつか必ず枯れる。2本目の井戸を掘ることが2代目の役割ではないか」と、これからの自分を見つめ直し、報告を終えられました。