広報部
4月25日
プロから学ぶ!本物の情報加工術
津田一孝氏(中部経済新聞論説委員)
4月25日、中部経済新聞社内で、広報部会が行われ、22名が参加、社内見学と情報に関わるプロの方から記事の書き方や心得を学びましたのでポイントを紹介します。(編集部)
「書きたい事を書く」が基本
文章の書き方にどうしても守らなければならないという決まりはありません。ノウハウを身に付ける事よりも、この事を深く認識して下さい。文章表現は本来自由なものです。「書きたいことを書きたいように書く」のが基本です。新聞社で新入社員に書き方を教える場合、「好きなように書け」と教えます。文章に対する情熱に火をつけ、目覚めを体験させるためです。文章作りの細かな取り決めをいちいち指摘した場合、萎縮させてしまい、返って書くことの楽しみも喜びも、痛みや恐ろしさも理解できなくなるからです。
媒体ごとにルールが
極端な言い方をすれば、業界の身内意識の高い専門家など、きわめて限られた人を対象にした新聞ならば、表記上の正しさより、伝える内容の正確さやスピードが優先されます。仕事柄、いろいろな所で、社内報や、機関紙を目にする機会がありますが、「なぜ無理をして商業新聞のスタイルを真似るのか」と思う時があります。私が小学生の頃には、壁新聞をワクワクしながら作ったものです。こういったものも悪くはないということを思い出すべきです。つまり、自分達の表現したいものを表現したいように表現されているのが良い新聞だと思います。ただし、商業新聞では「売れなければならない」という制約があり、そういう意味では、私的な機関紙や社内報のほうが、高い自由度を持っているはずです。
情報媒体としての形を整える
しかし、私的な新聞は自己満足に傾く傾向も強いといえます。好きなように書ける訳ですから、自由な表現なのか、それとも自己満足に過ぎないのか、この問いかけは永遠に続きます。自由であり、何でもありだからということだけでは、新聞はできません。メディアとしての形を決めなければなりません。まず、第一に、どのような層をターゲットにするか読者を絞り込みます。第2に、ビジネス向けとか娯楽向けなど目的を明確にします。第3に、品位を保つ事です。これは意外に忘れられがちですが、作った組織のイメージが変わるほど重要な事項といえます。最後は影響力です。さまざまなメディアは自由な表現のためにありますが、情報の力を考え、配慮する必要があります。最近話題の『ブログ』もひとつのメディアであり、同じ事が言えます。ところが自由度が100%であるため、書く人の人間性が全部出てしまい、頭の中が垂れ流しになってしまうこともあります。これからは、自分の書いた文章をプリントアウトして、検証する事。多くの人に見つめられている自分を意識して文章を書いて頂きたいと思います。
広報部に参加して
藤井裕子藤井窯業原料(株)(瀬戸地区)
社内見学ではちょうど翌朝の朝刊の編集の最終段階である記事の仕上げと、紙面へのはめ込み作業が佳境に入る時間帯で、緊張感の漂う編集室を見学させていただきました。その後の津田一孝氏のお話で印象に残ったのは、文筆家として、「朗読の大切さ」を訴えていらしたことです。欧米では、母国語の勉強の基礎の段階で、シェークスピアなどの古典の朗読にかなりの時間を割くそうです。それにひきかえ日本ではそんな時間が少なくなっていると嘆かれます。確かに言語の基本は「話し言葉」であり、耳から入る言葉の大切さは、おろそかにはできないと思います。以前、NHKのベテランアナウンサーで(もう今では役員になっていらっしゃるかも)古典朗読のエキスパートである加賀美さんの「伊勢物語」を生で拝聴する機会がありました。自分が目で追ってもよく意味が理解出来ない文章でも、加賀美さんが朗読されると、言葉の力なのでしょうか、不思議と説得力があり、意味がわかるのです。そんなことを思い出しながら、大変興味深く講演を聴き、質問もさせていただきました今回の参加者の中には、広報担当でない方もお見えでした。理由は広報部の雰囲気が好きで好きで、時々は広報部会に参加させてほしいということでした。そんなことが堂々と言えてしまう広報部がいいですね。