水上バイク(木曽川下流)
水上バイクを走らせているのは、私の友人の知り合いです。
バイク歴10年以上のベテランで、最近では「宙がえり」もできるようになっています。
昨年8月木曽川下流で撮影しました。

写真:井上鎭氏(資)井上化成(瀬戸地区)



どうゆうき


▼学校中の大事件であった。終戦の年の秋頃である。小生、国民学校三年生で、田んぼと植木の純田舎へ疎開。学校への登校は村中の小学生が氏神様へ集合し、二列に並び、上級生について集団行進する時代であった
▼村へ突然ジープが入ってきたのはそんな朝早い登校時間のころで、初めて見る進駐軍であり、ジープであった。村のメイン道路といっても狭く、車が通る事が珍しく、ましてクラクションを鳴らし、鬼畜の進駐軍の車であれば、子供達が驚き、右往左往するは必定。ジープの前を横切る者も数名。それぞれが驚愕し、各々が見た事を自慢しつつ、興奮を引きずったまま学校へ
▼当然、職員室でも話題になり、何時間目かに先生からの呼び出しが。ジープの前を横切った者は「職員室へ来い」であった。三名が名指しされ、ゲンコツか、厳重注意を受けた。翌日に村の六年生から小生を含め残りの者が往復ビンタの洗礼を受けたことは忘れない。同じ村の同学年は皆同じ組であり、それを先生にチクッた事は連帯責任である。そんな時代であった
▼その後であったと記憶するが、進駐軍の車の追越禁止条例ができた。日本人は米軍車を追い越してはならぬ、正に占領された国であった。「ギブミーチョコレート、パンパン、マーケット、サマータイム、バラック、マッカーサー」。こんな言葉やひもじさも懐かしい。大東亜戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦と戦争名は変わるも、あれから五十五年、米国様々と平和と豊かさを甘受しつつ、八月十五日を知らない国民が過半数となった。昨日が今日の答ぞ。

副代表理事 廣瀬嘉人