第32回中同協総会(7月13・14日−兵庫)
第12分科会
新しい時代に対応した異業種交流活動〜開発型グループ『エントロピー豊明』の実践

山本栄男氏(株)サカエ・社長(愛知同友会理事、尾張支部長)
グループ発足に先立つ試行錯誤
私が昨年まで所属していた第三支部(今年四月に尾張支部と名古屋支部に再編成)は、会員約四百名からなり、十年程前から異業種交流活動が活発で、いろいろな試みをやってきました。当時はバブルの延長でしたが、バブル崩壊とともにサバイバル競争をやらなければいけなくなってしまいました。なんとか経済交流ができないだろうかと、ワンテーブル交流でお互いを知ることから始めました。ところがなかなかうまくいきません。だったら今度は異業種交流の中で新しいものを生み出せないかということで、異業種交流というテーブルをつくりました。しかし、人は集まってきても、そこまで踏み込んだ話はできません。このままではいけないと思い、率先して異業種交流グループをつくりました。約十名の人達が参加してくれましたが、ほとんど同じ地区のメンバーでした。
互いの腹の内を大切にして
研究者でも、開発者でもない社長たちが集まって、顔を合わせただけでは何も生まれません。「何かないだろうか」という言葉は出ても、「これをやろう」という言葉が出るまでには時間がかかります。そこにはお互いの腹の内の問題、「この人はどういう人なのか」「どこまで自分達と仲良くやっていけるか」という人間性の問題があるからです。だから私は最初にメンバーが集まった時、「何年か経った時に『いい友人になったね』だけでも財産として残れば良いではないか」と申し上げて、スタートしました。手順としては、各企業をみんなで見学しながら、技術を認めあうことが大事であると思います。自分を理解してもらうことも大事ですが、「その企業は何が得意なのか」ということを認めあうプロセスが大切なのです。この過程で一番よかったと思うのは、夫婦でお付き合いすることでした。夫婦同伴の忘年会でしたが、席上で「夫婦の馴れ初め」を発表してもらいました。メンバーはその席で内輪の恥までもさらけ出してしまい、雰囲気がガラッと変わり、打ち解けていきました。
役割分担と自己責任
あるメンバーが「建築現場で鉄筋の『スペーサー』が倒れて上手く組めない、何とかこれをいい形にできないだろうか」と問題提起を行いました。それがきっかけで、第一号の開発が始まりました。しかし考えていかなければならないことは、「誰が開発し、誰が売るのか」ということであり、そこまで踏み込むまでには、相当の勇気が必要です。メンバーの中には当然、役割分担ということがあります。メーカーになったところはパテント申請や開発費用の自己責任という形をとりました。自分のところで開発し、自分のところで責任をとる。販売は、ほかのメンバーがやるということです。

強い信念と科学性が開発には必要
第二の商品開発では焼却炉をやったらどうかとなりました。しかし、一つのものをつくり上げていくのに簡単に飛びついていいのかというとそうではありません。なぜなら、それが売れるものか、売れないものか私達にはわからないからです。議論を重ねていき、市場性や方向性を考えねばなりません。そしてバーナーをつくっておられる方に協力してもらい、ダイオキシンが出ない焼却炉を作ることができました。第三の商品企画は、私が建築関係の仕事をやっている手前、やり手が少なくなった「日本壁」を工業化してみたらどうかということになりました。しかし、この壁を開発するのにかかる設備投資が約五千万円、鉄筋のスペーサーの場合も機械が必要で約六千万円かかりました。このような金額を自己負担してうまくいかなかったら、それは恐ろしいことです、しかしそれぐらいの信念を持って自分がやり通さなかったら、現状のままです。自分達で新しいものをつくり、価格を決定し、売ることができるものを開発しなかったら、いつまでも現状維持であり、時代の大波に飲み込まれてしまいます。
社員たちの気持ちも変わっていく
開発をしていく時に思ったことは、社員達を巻き込んだら、社員の気持ちも変わるということです。これをつくることによって会社がよくなればという思いでやってくれて、素晴らしいことを考えるようになりました。建築業界から見たら考えもつかなかったことを他業界の方が考えてくれます。それは私が思いもよらなかった物を考えるという意外性を発見したことにより、私の考え方も変わるということにつながりますね。従って開発することは非常にメリットがあることだとメンバーは感じました。
継続は大きな財産
三年もやってきますとメンバーの気持ちの中には、やはり大きな信頼というものができ上がってきます。「こういうものをつくろう」と意見が出てきますと、すぐ意気投合します。三年前は「何かやろう」と言っても、なかなかそこまでの意思確認に時間がかかりました。それが以前との大きな違いであり、次のステップで何かやろうとした時に大きな財産となります。やっていなかったら何も変わらないし、やっていたら少しずつ苦労してつくったものが自分達の会社を支えていく、そんな思いで今も一生懸命がんばっております。互いの疑問をキャッチする能力が必要です。私達は発明者でもなければ、開発者でもありません。しかし集まってから何かしなければならないと考え始めると、目の前にたくさん疑問に思うことが通過していることに気づくようになります。そしてみんなで集まった時には疑問に思うことがたくさん出てくるように頭が変わって行きます。いつも疑問を持っておくことで、開発が可能になるのです。
交流は自立した各社で成り立つ
異業種交流を行い、いいものを開発しようと始めました。しかし、これから先もこの考え方が中小企業としてとるべきスタイルか、最近、私は迷っています。本来の中小企業というものは、それぞれが自立をしてやっていくものではないかと思うからです。異業種交流は世の中が大きな構造転換を迎えている中で、中小企業が生き残るための一つの手段にすぎないのではないかと思うのです。継続して中小企業の技術を借り合うという考え方でいくのならこれからの中小企業には大事なことです。このことは考え続けていかなければならないテーマかと思います。最後に、私達は先輩達からたくさんのものを受け取ってきました。けれども後世に残すもの、後輩に残すものはあまりつくっていません。今こそ、一生懸命新しいものをつくり、後輩達に一つでも喜んでもらうことになれば、こんな幸せなことはありません。異業種交流という形で素晴らしい財産を残すことも、一つの残し方ではないかと思います。
【文責事務局・船元】