「東海豪雨」、その後−名西地区は、今
9月11日の「東海豪雨」で、最も被害を受けた地域にあたるのが、西区(庄内川より北)や西春日井郡を包括する名西地区(会員数52社)です。現在の地区会員の状況や今後の取り組み、そして自らの体験や今の想いなどを名西地区の広報委員であるお二人に語っていただきました。
対策会議を開催、支援活動を実施
●地区会員52社中17社が被害にあう
中小企業を悩ませつづけている不景気に追い討ちをかけるような平成東海大水害。我が名西地区では、今回の豪雨で決壊した新川の周辺にその多くの企業が集中している。会員企業52社中、避難勧告を受けた企業が27社、少しでも事業に支障をきたした企業が11社、大打撃を受けた企業が6社と、39地区中、最も被害をうけた地区となってしまった。9月18日、自社の復旧作業を行いながら、会長をはじめ地区役員8名が対策会議を開催、情報交換を行い、被害状況の確認をした。状況不明の企業には、19日に電話で聞き取り調査を実施し、被害状況の全体を把握した。また、被災企業に対しては、メンバーが手分けをして訪問し、見舞金をおくった。私は訪問して、「ただただ呆然」。ヘリコプターから見たって実態はつかめない。「これが自分の会社だったら」と考えると、事業継続の自信を失う経営者が必ずいるはずだ。
●今こそ、政治や自治体に期待する
以下はまったくの私見ではあるが…。今こそ国や地方自治体の力を見せて欲しい。「困ったときには力を貸す国」をアピールできる良いチャンスだ。一パーセントで融資するのではなく、思い切って1兆円(?)くらいばらまいたらいい。国の負債は今、650兆円。これが651兆円になって、誰も文句は言わない。不良債権で困ったデパートやゼネコンにはすぐに金を出したり、万博にお金を回すより、どれだけ総理や知事、市長の評価が上がることか。力を貸すことで、国や自治体、政治家に信頼が生まれ、安心して暮らせる日本ができれば、景気もよくなるにちがいない。(有)カシマ印刷鹿島敏博
残酷な自然界の帳尻あわせ
●避難所で一夜を過ごした社員
世紀末の夏は降雨が少なく猛暑で、秋口になり3分の1の降雨量を一日で降らせ、数字あわせをした。自然界の帳尻あわせは残酷である。11日夜十時頃、下着一枚の見知らぬ人が、「車が冠水にあい、動かなくなった」と、ずぶ濡れでわが社に飛び込んで来た。状況確認のため外へ出たが、傘が雨の重みで曲がるほどで、危険を感じ引き返した。残業中であった新川町在住の社員をすぐに車で帰宅させるが、途中で会社に引き返してくる。結局、徒歩で帰宅したが、避難所で一夜を過ごすことになった。この社員が翌朝自宅へ戻ると、自家用車は屋根まで、家は床上10センチまで浸水しており、後片付けのため4日間、会社に出てこられなくなった。翌12日、約3時間かかって中村区の自宅から、清洲の会社に出社した。道中の河川は橋桁すれすれまで増水しており、いつ堤防が決壊しても不思議でないぐらいであった。道路はあちこちで冠水のため通行止めになり、迂回車や救援車などで大混乱していた。小降りになり、会社の周囲を見回すと、出社時より水位が40センチぐらい上がっており、急きょ、会社内の浸水防止の手当をして、帰宅した。
●被災した経営者の心中を察すると
2日後の13日、西区平田、小田井、西枇杷島町、師勝町に取引先や知人を尋ねるが、冠水した会社があちこちにあった。また、水につかった畳などの家財道具が道路の半分ぐらいを占領し、100メートル行くのに30分程かかった。4日後の15日、自宅が被災した社員を尋ね、新川町から西枇杷島町、北区喜惣治町をまわった。水はないが、日に日に増える被災ごみの増加で路上は渋滞し、生ごみなどの異臭が漂っていた。事業所が浸水し、設備をはじめ、真心を込めて作った製品や商品、仕入れた材料が使えなくなり、ごみの山となっていた。被災にあった経営者の心中を察すると、言葉を失う。心の中で、気を取り直し頑張っていただくことを願って、訪問先を後にした。
●言葉も、手も、知恵も出す支援を
悪夢から10日あまり過ぎた被災地は、豪雨前の状態まで復興したところもあるが、いまだにごみ収集ができず、雨の中、懸命に復興をめざしているところが多い。復旧作業を手伝いながら被災された会員の皆さんに、お座なりの激励や援助でなく、同友会らしく、言葉も、手も、知恵も出す支援の必要性を感じた。地区の正副会長を始め各役員さん自身が、自分たちの会社も大変な中でも、地区会員のお見舞いや状況収集に、今も走っている。(株)名西住建後藤武雄