どうゆうき


8月15日、終戦記念日。はや56年を経過しました。されど、賠償、謝罪、教科書、慰安婦、沖縄、靖国神社などの言葉が今もって新聞紙上を賑わし、戦争に巻き込まれた国々の想いの深さ、そしてそれらの問題の複雑さ・根深さを感じます
▼さて、終戦といえば国民学校の弁当を思い出します。毎日『食べる事』がすべての小学校2年生でした。今の稲沢市千代田の農家の離れを借りて、私達家族は疎開していました。農村地帯であっても、大根を刻んだ大根飯や薩摩芋の才切りのご飯、麦飯なら大喜びでした。今思えば、親はそれらの弁当を持たせる為にかなり無理したと思います。証拠に家での食事は、雑炊や芋を工夫して作ったパンらしきものばかりだったと記憶しています
▼しかし疎開したその他の子供らはもっと大変でした。昼になると運動場へ出て遊び、昼食時間が済むと戻って来る子がいました。水道水でお腹を満たしていたと思います。朝礼で校長先生が、「お雑炊を水筒に入れて弁当にしなさい」と。今でもこの言葉が忘れられません。校庭で私達が作った芋が一貫目5円でした。買って帰りました
▼当時私達には次のような歌でよくからかわれたものでした。子供達のたわいのない文句ですが。「芋食ってピー♪豆食ってピーピッピピッ♪」。いつもお腹の具合が悪かったことを思い出します。色白で服装も違うモヤシッコへの差別があって当然でした。子供にも不幸な時代でした。離世の感ありますが、食べ物は残しません。罰が当たると教育されました。二度と体験したくありません。

副代表理 事廣瀬嘉人