激動の時代に経営体質の強化を27名が研修大学を修了
第2期同友会研修大学が修了式
中同協・赤石会長が記念講演10月27日
社会的役割の自覚を
今年3月に始まった同友会運動の次世代を担う「第2期同友会研修大学」が全日程を終了し、10月27日、愛知県勤労会館で修了式が行われました。会役員を含め44名が参加、受講生40名の内27名が修了のこの日を迎えました。会を代表して鋤柄代表理事が挨拶を行い、引き続き中同協・赤石会長による「私と同友会、そこで経営者として学んだもの」と題して記念講演が行われました。赤石会長は経営者の仲間入りをした頃の想い、同友会との出会い、そして経営指針を作成することで職人集団だった会社を一つの方向に導いてきたこと、「自主的自己管理」による自社の企業体質の強化などを報告されました。「企業の存続繁栄のため企業内努力と金融・税制などの経営環境改善のための社会的努力をすることにより、企業もそこに働く人々も、良好な状態が維持される」と、中小企業の繁栄とは何なのかの問いかけを行いました。最後に、「中小企業家はその社会的な役割を自覚し、同友会理念を実践することで人類の未来を拓いていこう」とまとめられました。
27名に修了証が
その後の修了式では、修了生を代表して6名による修了論文の発表が行なわれた後、佐々木愛知同友会会長より各グループごとに修了証書の授与が行われました。また皆勤賞として全講座に出席した受講生五名の紹介や、第2期の同窓会会長となった(株)キタムラ塗装の北村誠氏(緑地区)の紹介なども行われました。最後に受講生の記念撮影が行われた後、会場を移して懇親会が行われ、半年間にわたる受講の思い出を各自が語り合いました。
●同友会研修大学修了生のレポートから
私の同友会観が変わった
北村誠(株)キタムラ塗装(緑地区)
同友会すべてが新鮮だったが…
入会以来九年、入会の目的「人と接する事により学ぶ」ということを見失いかけていた時、「同友会研修大学」の参加者募集を目にし、さっそく参加を決意した。私が青年同友会に入会した頃、見るもの・聞くものすべてが新鮮だった。自分の知識欲に訴えるものや、新しい仲間が増えていくことによって得られる出会い、そして一人ひとりの違った個性との出会いが、私を刺激した。自らの長所・短所を自覚し、同友会の「社長が変われば、会社は変わる」「会社は社長の器以上には成長しない」などの言葉を知って、少なからず変わろうと努力してきたつもりであった。しかし同友会への入会前の当社の急成長期の様な頑張りも、粘りも、貪欲なまでの集中力もなくしつつあった。ただ一定の期間頑張り、一定のレベルに達し、一定の儲けがあり、なんとか廻っていく会社が出来あがっていたというに過ぎない。
退会を考える
青同卒業後に緑地区に所属したが、地区の活動は一旦休止、別の勉強会に入会し、同友会にない厳しさに出会い、新たに目標を持って行くことが出来るようになった。引き換え、一見して甘くさえ感じられる同友会の「自主・民主・連帯」という考え方への間違った理解で、経費の節減やら、使った時間に見あった成果を感じられない同友会に対し、退会を考えた。そうは言っても最初に同友会があったからこそ、ここまで成長してこれたという自覚と、他地区の例会に参加させていただき、同友会の良さを再認識し、退会を思い止まった。しばらく「休眠」していたにも係わらず、昔の仲間は何もなかった様に「久しぶり!」と声をかけてくれた。
目一杯、今を生きている仲間達がいた
そしてこの研修大学に参加し、各地区から選りすぐられたような向上心の塊のような仲間に出会い、「チョット待てよ」と感じた。同じ班になった経営者は誰一人として現状に満足することなく、目一杯今を生きていた。その事がまず私の心に響き、そして毎回出席することが楽しみになっていった。また講義を担当された理事クラスの皆さんの講義は、それぞれに私の同友会観を変えさせた。情熱のこもった講義の連続であった。「これはいかん!同友会をやめるなんてとんでもない。誰もやらないのであれば、自ら地区の活性化の火種となって、真の同友会の活動を続けていこう」と決意した。今後、自分の地区への研修大学の参加呼びかけを行っていきたいと思う。
自己流の同友会を力説していた私が…
藤原清明(株)サンヒコ(西地区)
今年2月に研修大学のお誘いを受けたときは、「また同友会の時間が増えて大変だ」と思っていました。今は10講座がアッという間に終了した感があります。今年3月までは地区会長の立場から地区の皆さんに「『同友会とはどういう会か?』というような疑問が出るようではだめだ。他の会とは違うのだ!」と、自己流の同友会を力説していました。研修大学の講座が進むにつれて、段々と自分の未熟さが露呈されてきて、自分を恥ずかしく思うことが多々出てきました。
「地域とともに」の意味が分かった
2年前の「99同友会ビジョン」で「旗印T・U」が発表され、当時鈴木副代表理事に説明を伺いましたが、全く理解できませんでした。これが今は大分わかってきました。「自立型企業とは何か」「何のために経営指針が必要なのか」「共育とはどのようなことなのか」等を学び、さっそくわが社に採り入れようと思いました。旗印Iの「地域とともに」。これはわが社にはあまり関係ない、地域にお客はいない、問題が抽象的で今ひとつピンと来ない、まあ「旗印Iは置いといて」と思っておりましたが、旗印Iをテーマにした第10講座を受けて、理解を新たにしました。自分が住んでいる地域、企業活動をしている地域がいかに大切かを痛感しました。地域に認めてもらえる会社、近所の方々に迷惑にならない会社づくり、税金を納めているだけではなく、尊敬される会社を社員全員で築いていこうと思うようになりました。
一泊研修会で企業戦略を社員と
研修大学で一番学んだことは、「経営指針づくり」です。第3講座で加藤社長に「経営指針」を熱く語っていただき、「こんな素晴らしい会社があるのか」「素晴らしい経営者だ」と感銘を受けました。北海道での全国総会の分科会はもちろん「経営指針」の分科会に参加しました。わが社でも毎月1回指針づくりの為の会議を行い、「経営理念」はでき、現在は経営戦略の作成中です。12月には変則忘年会を予定し、社員とともに一泊研修会で「経営戦略」と「計画」を練る予定です。研修大学に参加できて本当に良かった。年間72000円の同友会の会費は安いですよ。来年第3期が予定されましたら当地区からも将来の会長予定者・最低3名には入学してもらえるよう熱く語ろうと思っております。最後に、佐々木会長が始業式で言われた「やわ肌の熱き血潮に触れもみで淋しからずや道を説く君」(与謝野晶子)の意味が、今、少しは理解できたのかと思っております。
共に学び成長したい
尾崎浩和(株)オプコ(名古屋第1青同)
泥臭い印象しかない
私の記憶では、1987年に名古屋駅前のクレールで開催された研修会に、父である社長に勧められて参加した。内容は今回の役員研修大学に類似するものであった。当時の年齢は23歳、その会に参加する事を社長は私に勧めた。全スケジュールの3分の1程参加し、今回と同じ一泊研修にも参加した。しかし途中でギブアップした。社長に「時間的に不可能だから断りたい」と願い、極めて簡単に了承された。実際には時間の調整より辛い事があり、逃げ出したのが本音であった。それは、同じグループのある方に、毎回の様に指摘される「君は考えが甘い、厳しさが足らない」という叱咤激励が理解できず、イヤミにしか聞こえなくて軽いノイローゼに陥ったからである。入会前の同友会に対する印象は田舎臭く、相手の気持ちに土足で入り込み、悪い印象はあっても、良い印象は僅かであった。しかし、その僅かな印象は貴重で、人生感において重要な経験をさせて頂いたことも事実である。
見よう見真似で、会社はボロボロに
さて、何故同友会に入会したか、35歳の夏に父が急に他界した。あまりにも突然のことで何もできなかった。ただ葬儀には同友会の方々に多数列席頂き、加えて心暖まる言葉を頂戴したのも同友会だった。半年が過ぎ、相続手続きもそれなりに終え、ふと気づくと社長職の意味すら理解できない自分に焦った。空回りしているだけ、真剣にマズイ、何をすべきか分からない、会社をどうしたいか?何もない自分に気づき、経営方針の本を読み、見よう見真似で作成し、半年やってみた。結果は想像を越えボロボロ、社員の意思はバラバラ、現場はガタガタ、悲惨の一言。実力が形に現れ、落ち込んでいた時、父の代わりに北地区に席を置いてほしいと事務局より依頼。断る理由も見つからない。親しい方に相談したら、「青同に行け」とアドバイスされ、気がつけば入会していた。生涯つき合うことのできる友人を求め、更に同年代の連中と互いに刺激しあい、実力をつけたいと思い、入会した。
半年の学びで経営指針を作成
大学で学んだものは感謝が全てだ。過去、ビジネスでも、プライベートでも「お陰様で」とか、心を込めて「ありがとう」は無縁な世界にいたような気がする。更に言えば、経営者として理念を掲げる時、「社会貢献」なんて偽善的な気さえした。しかし、皆さんに教えて頂き、若干ではあるが自分に変化があることに気がついてきた。今、心より感謝する。本プロジェクトの意味や関係者の方のご厚意に、そして、半年間で学んだ事により、納得の行く「経営理念」「経営方針」及び「年度方針」が作成できた。景気、経済、政治、教育、平和…何一つ安心で任せられるものがない今日、経営者として目指す方向を示す必要があると思う。さらに、今後同友会に新入会員が入会してきた時、私がそうであったのと同じであれば、共に学び、成長したいと思う。それが、この研修会で学んだものである。