新会員オリエンテーション尾張支部10月1日
私の、わが社の同友会活用法
新井敏男氏(株)アライ・社長(尾張支部・支部長)
親の後を継いで
私は最初、新井鉄工という会社の2代目として後を継ぎました。構内下請けで、社員も9名。会社と呼べるほどではありませんでした。その前は10年ほどサラリーマンをやっていましたが、ある意味で限界を感じて、親の後を継げば「社長」と呼んでもらえるという期待でこの世界に飛び込みました。親会社は土木建設の資材をリースする会社で、この分野では日本でトップクラスの企業です。父はその会社の創業以来の下請けでしたから、支店長や役員にとっては煙たい存在でした。私が大学に入った年に、とうとう大阪から追い出され、それで名古屋に来て、不満を持ちながらも仕事をしてきたところへ、私が入社することになりました。親会社も「若い息子が来たんだから、新井も変わるだろう」と期待したと思います。
出ると打たれる世界
さっそく新聞広告を出して、社員を20名にしました。ところが、構内下請けのつらさとでもいいますか、一つの工場の中で、私だけ大きくなるわけにはいかないんです。周りと協調して、あまり敵をつくらないようにしないといけないんです。私はそういう性格ではないので、同業者とも親会社とも衝突しました。その頃には、今のアライの仕事も5名くらいでやっていましたが、これも、親会社は喜ばないんです。それで、20人くらい社員がいましたが、また放り出されそうになりました。結果的には、両親が詫びを入れましたが、同業者は足を引っ張るし、親会社も私が頑張ると叩くし、世間が冷たいということをつくづく教えられました。
経営指針書との出会い
私は同友会に入って10年になりますが、最初はゴルフがしたくて入会したので、例会にあまり出ませんでした。3年ほどして役をもらうと、頼りにされているような気になって、役員会にも出るようになりました。そのうちに、ある会員さんの会社に呼ばれて「経営指針書」を見せられました。その指針書には「何年後には、自分の会社をどうしたい、社員にはどうなって欲しい」という計画が10年先まで書いてありました。経営計画なんて考えたこともありませんでしたから、大ショックでした。「これはすぐ作らなあかん」ということで、同友会の「経営指針を作る会」に参加しました。
私には「理念」がない
頑張ったんですが、リタイヤしました。どうしても指針書ができないんです。言葉だけを並べても、うちの社員と吊り合わないんです。そもそも、私には理念がなかったんです。理念もないのに、人のを見て「作ろう」と思っただけですから、作れなくても当たり前です。それがわからなかったんです。
同友会では、経営指針をつくろう、人間を尊重しよう(労使見解)、経営姿勢を確立しようと言っています。これが会社をつくる上での「理念」なんです。そういう理念なしに指針を作っても、社員には浸透しないんです。そういうことが理解できると指針書ができてくるんです。
社長が変われば会社も変わる
もし同友会に入会していなかったら、経営指針を作らなかったら、そう考えただけでも背筋が寒くなります。私は攻撃はできても、フォローができない。その欠点を同友会は教えてくれました。グループ討論をしながら、「あの人は違う、この人も違う、そういう考え方もあるんだ」と気づき始めました。
経営者が変われば、会社は変わります。私は変わったんです。褒め方が下手だった私が、今は褒めます。挨拶も私からします。社員に「今日一日、あなたたちと働けることが非常に喜びです」と言葉には出しませんが、そんな気持ちで挨拶します。私は経営者は学ぶことばかりだと思います。これだけ厳しい経営環境になってきたからこそ、同友会を活用して欲しいと思います。会社の中で「がんばろう」と言っても、閉塞感があるだけです。異業種の人から学び方を学び、その姿勢を素直に受けて、同友会理念を実践していただけたら、きっといい会社になると思います。
【文責事務局・井上一馬】