どうゆうき

▼1945年(昭和20年)8月15日、既にめぐり来る事59回。半数ちかくの国民がこの日の意味を即答できずと聞くにつけ、あらためて戦後が還暦かと隔世の感強く思い、また空襲下のラジオ放送用語を懐かしく想います。大本営発表、横須賀鎮地府、御前崎上空、B29、警戒警報、空襲警報発令、中部軍管区情報、発令などなど
▼また教え歌として、「イチレツランバン破裂して 日露戦争はじまった サッサと逃げるのはロシヤの兵 死んでもつくすは日本の兵 五万の大兵 ひきつれて 六人残して皆ごろし 7月10日の 戦いに ハルピンまでも 攻めよせて クロパタキンの 首をとり 東郷元帥 万々歳」。またこんな替え歌もありました。( )内が元曲です。「青葉シゲチャン昨日は」(青葉茂れる)、「ジャンジャン ジャガイモ サツマイモ」(軍艦マーチ)、「きのう生まれた 豚の子が」(湖畔の宿)。歌の文句が食べ物ばかりとは侘しさと哀愁を感じます
▼朝鮮戦争も満50年。こんな記事をみました。「韓国メディアの北朝鮮批判封じにより(太陽政策追認で)、飢餓の実情報じられず。若者の中では『飢餓は米国のデッチアゲ』」だと。また微笑組を例に、「あんな美女がいっぱいいる国に飢餓があるわけがない」「核所有に危機感なく、統一すれば韓国も持つことでしょう」と。そして「小学生の10%は日本が朝鮮戦争を引き起こした」という記事も
▼情報の管理統制、反する言動は非国民、操られる情報の怖さ、されど今私たち自由と権利あり。されば私たち義務と責任あり、忘れるなかれ。

副会長 廣瀬嘉人