第10回全国女性部交流会(大阪)
10月2〜3日
女性の元気が未来を開く
全国から790名が参加
10月2〜3日、帝国ホテル大阪で「女性の元気が未来を開く〜21世紀型経営者像をさぐる」をテーマに、「第10回全国女性部交流会」が開かれ、38同友会から790名が、愛知より24名が参加しました。1日目の全体会では、赤石中同協会長による「(1)生活者の視点を大切に(2)草の根の経済の活性化の原動力に(3)平和の担い手に(4)同友会の原点に立った活動を」との問題提起を受けました。その後、「産学連携」「経営指針」「女性部で学んで」「男女平等社会へ」など10の分科会に分かれて学びました。愛知からは第五分科会「女性部で学んで」のテーマで、辻陽子氏((有)辻安全サービスセンター専務、海部・津島地区)が報告しました。2日目は「地域を愛し、地域と共に〜福祉は文化、共生をめざす“喜楽苑”の挑戦」をテーマに、尼崎老人福祉会理事長の市川禮子氏(兵庫会員)が記念講演。人間の尊厳を重んじた痴呆性老人のグループホームづくりの実践は共感と感動を呼びました。この日、地元女性経営者2名が「よろず相談コーナー」で入会するなど、交流会は同友会で学ぶことの大切さを実感し、その実践への勇気を与えられるものとなりました。
全国女性部交流会第5分科会
「どうしても書けなかった名刺の肩書き」
女性部は“私育ての場”〜経営者夫人の実践から〜
辻陽子氏(有)辻安全サービスセンター・専務(海部・津島地区)
会社概要
設立1997年資本金300万円社員数1人年商6000万円
事業内容 中小企業安全衛生指導。安全、防災用品開発
「商売」「子育て」そして「介護」
私は商店に生まれ、商売の厳しさを目の当たりに育ち、「商売はいや!」と決めていたにも関わらず、縁あって夫に選んだのは安全保護具を扱う会社の幹部社員、しかも「将来独立する夢」を語る人でした。1978八年に独立開業。私が朝星夜星で頑張って小売店をやり、一方、夫も営業で朝から晩まで働き、業績も徐々に上がってきました。その後、同居中の親が相次いで倒れ、私が一手に介護することになりました。そんな中で夫は一九八六年、同友会大学に参加し、「経営理念」というものを作りました。「働く人の命を守り作業環境の向上をめざす」というもので、この理念にそって、これからは業務を物販と安全に関する情報発信を行うと言うのです。その時私はといえば、3人の子供の子育てと商売に加えて、大変な介護の真っさい中で、「経営理念?経営指針?それ何ですか?」という状態でした。
私たちの人生観と経営理念が重なる
1988年731日の朝、安全帯(命綱)と安全靴を夫の友人でもあるお客様にお届けし、お昼のニュースでその方の労災事故死を知らされました。葬儀の済んだ夜、夫は友人を失った悔しさと共に、胸にこみ上げる自分の仕事に対する社会的な使命を感じました。今までの経営理念を見直し、「働く人の命を守る」「労災死亡事故をゼロにする」「安全リーダーを応援する」としました。これが現在の当社の経営理念です。安全保護具は売るだけでは命は守れない。安全意識の啓蒙と共に安全教育の必要性を感じ、夫は自ら安全トレーナーの資格を取得し、いろいろな企業や現場での安全委員会や安全協議会の立ち上げ、サポートを始めました。1989年と90年に義母と父が相次いで亡くなりました。私は大きな喪失感の中にいましたが、夫から「安全に関する勉強をして来い。僕と一緒の土俵に上がれ」と励まされ、私も安全に関する各種の法定資格を取り、夫と共に企業の中に入りました。夫も私も早くから片親を亡くし、兄弟も亡くしておりましたので、「命を大切に」というお互いの人生観をもっており、そこに「命を守る」という経営理念が重なりました。
名刺に役職を書けなかった理由
1997年に安全コンサルタント業務を主とした(有)辻安全サービスセンターとして法人化し、私にも役職がつきました。しかし、私なりの法人企業に対する思い込みがあり、当時は恥ずかしくて、とても名刺に自分の肩書きが書けませんでした。肩書きを書くとか書かないとかいう問題ではありませんでした。創業時から「自分は共同経営者として経営に責任ある立場だ」という自覚のない、「私は夫の仕事を手伝っているだけだから」と考えていた無責任な経営者夫人であったのです。
女性部30周年の実行委員長を務めて
2001年2月、愛知の女性部会は設立30周年を迎えました。会員の心が1つになって、記念総会は今までにない規模で盛大に行うことができました。私は実行委員長として、女性部会という「組織」を運営して、1つのものをつくり上げていく体験を、経営トップとしての「疑似体験」をさせて頂きました。それまでの私に欠けていたのは「組織」についての認識でした。小さな会社ですから、組織で成立っているという認識がありませんでした。女性部の大先輩から、経営者夫人は「社長より前に出るな、さりとて遅れるな。社長にピッタリくっついて、社長の学ぶことを学びなさい」「社長のボタンと自分のボタンを掛け違えるな」と教えられていました。しかし実践はなかなか難しいものでした。つい社長より前に出すぎて「会社に来るな。鍋、釜だけみがいておけ」と社長である夫に言われたこともありました。
同友会の会員となって
2002年、愛知での全国総会の折、会員になりました。さて会員になってみると、「社内役職」を明らかにしなければなりません。全国総会では、皆さんが経営に対して責任ある立場にいることを自覚して、この場に参加されているのです。経営は社長の仕事であると思い、役職も明らかにせずにいる自分が恥ずかしく、情けなく思えてきました。この時から私の意識を支配してきた「夫の仕事を手伝う」という意識に変化が生まれていることに気づきました。自分の仕事として捉えなければと思うようになりました。そして「経営に携わる立場」という自覚がなく同友会で学ぶのは意味のないことだと気づきました。この時初めて名刺に自分の役職を書くことができたのです。
女性部が私を育てた
女性経営者の学ぶ場所はどこにでもありますが、経営者夫人の学ぶ場は限られていると思うのです。私は女性部で長年活動してきて、会員になり、遅まきながら経営に責任のある立場であることを自覚できたのです。今年、第4期の「同友会役員研修大学」に参加し、そこで一番学んだことは、「企業は組織で成り立ち、組織は必ず人と関わっている」ということです。経営者夫人としての私の課題の回答はそこにありました。経営のトップ(組織のトップ)は社長です。私は経営者夫人としての自分を踏まえ、組織のナンバー2としての役割を改めて認識しました。そして、この私育ての場である「女性部会」を次世代につなげていくことが、女性部育ちの私の役目だと思っています。
【文責事務局・浅井】
女性部交流会に参加して
社長より前に出るな、されど遅れるな
女性部に入会以来、他県での交流会に初めて参加し、辻さんが報告者の第五分科会に参加しました。
ご主人との人生理念は「命を大切に」であり、それが経営理念と合致し、共有できる学びをされていることや、何事かが起こるたびに自分と家族が向かいあって解決されているなどのお話に、とても感動しました。
この分科会には、開催地大阪で働いている辻さんの息子さんも参加されていました。息子さんの前で、「無理押しはしない。自分の道は自分で選んで欲しい」と参加者の前で言えることがスバラシイ!と思い、拍手を送りたい気持ちでした。
今、当社でも息子夫婦が一歩踏み入れてガンバッテくれています。六十の手習いで、私はこの機会に更に一歩踏み出そうと思っています。
今回、参加してグループ長の運び方や、発表者のまとめ方など、とても参考になりました。今でも心に残っている言葉は辻さんの「社長より前に出るな、されど遅れるな」です。学びの多い交流会となりました。
(有)倉田電線 倉田 静枝