尾張支部賀詞交歓会1月20日
勝ち組希望者は同友会で学ぼう
赤石義博氏(株)森山塗工グループ会長(中同協会長)
社員が安心して働ける会社めざして
私は1933年、北海道の生まれで、終戦の翌年に旧制中学に入学しました。当時は、アンパン1つ10銭が一夜明けると10円になるという激動の時代でした。従って、お金に対しては全くといっていいほど信頼しておらず、そういった経験から、人間がお金をもらうために一生懸命働くとは、経営者になった当初から思っていませんでした。1959年の25歳の時、特殊な鉄を加工して電気機器の部品を製造していた東亜通信工業に入社。経営者のはしくれとして中小企業の現場に入りました。そこで経営者としてまず感じたことは、「中小企業は金も設備もなく人だけが財産なのだ」ということでした。そこで、社員が本当に安心して働ける場をどうつくり上げて行くかを追及し、報奨金制度を導入したり、社員持株制度の勉強会も行いました。しかし、人間はお金のために心底から「生きがい」「やりがい」を感じないと働かないという想いと、「中小企業は人こそ財産である」との実感から、本当の意味で「これだ」という経営の回答は見つかりませんでした。そんな私の悩める姿を見ていた仕事仲間が、同友会を紹介してくれました。これが私と同友会との出会いです。
経営理念の前提とは
さて経営理念を考える上で、3つの柱を根底に理解していただきたいと思います。まず1つ目は、「理念は軸足」であるということです。経営する上で理念がなければ、問題が起こった時の対応がその時々の都合となり、フラフラとした経営になってしまいます。第2に、これからは「中小企業が主役の時代」という認識です。中小企業の経営者が時代を担い、新しい日本社会をつくり上げていくことは必然的だということです。第3に中小企業経営者は、中国の歴史に登場してくる「竹林の七賢」であってはなりません。学んだことを学んだだけに留めずに、実践して形にしなければ、経営者として失格であるということです。
ある病院のケースでは
私の長男は脳外科医で、彼が初めて勤務した病院は大変な赤字でした。彼は診療前の早朝から担当の患者さんを診て回るという熱心な医師でしたが、病院経営の立て直しにも尽力しました。第1に看護士の技術や実務能力を高める勉強会を開いたり、カルテの管理システムにも着手して、自分で管理システムのソフトをつくり上げたりもしました。すると1年でその病院の評判は上がり、地域の患者さんに支持されながら、黒字経営に転換したのです。しかし黒字経営となるや否や、大学の医局から息子のポストに別の医師を派遣するという話が持ち上がりました。地域の患者さんや院長にも支持されていた息子から、「どうしたらいいのだろう」と相談を受けました。私は「理念のないことが原因だ。そもそも日本の医療には『医療とはかくあるべき』という軸足がないから、その様な問題が起きるのだ」と応えました。その後、せっかく黒字経営になったその病院も、息子が病院をかわってしまうと、理念がない為、せっかく改善した取り組みも行われなくなってしまいました。これは私たち中小企業でも起こり得ることです。能力もあり、積極的で勉強熱心という人材を採用できたとしても、理念がなければ、その人材をどの様に評価していくのかの基準がバラバラになるということなのです。また、評価もその時々の都合になり、企業の存在意義や生きがいを感じられず、その人はやる気をなくすか、辞めてしまうでしょう。
中小企業こそ社会経済の真の担い手
OECDの勧告では
私たちの世代が学んだ経済学では、「中小企業は落ちこぼれ」という位置づけでした。しかし、現状を冷静に見てみるとそうではありません。1996年に出されたOECD(先進国クラブ、日本など29カ国が加盟)勧告では、89年〜95年までのEC経済の実態調査より、「ある国の中小企業の売上の伸び率が、その国の大企業の伸び率より大きければ大きいほど、翌年のGDPの伸び率は大きい」ということが述べられています。つまり、中小企業は落ちこぼれではなく、大企業とはまったく別の役割を果たす、社会経済発展の担い手であるのです。さらに、「今後、先進国においては中小自営業者の誕生の促進と育成に重点をおき、中小企業が発展できるような経済政策をとるべきである」との勧告を同じところで提示しているのです。
米国経済を支える2370万の事業所
この勧告を受け、翌年、アメリカの「中小企業法」の前文が修正され、中小自営業者が現在もっている能力を100パーセント発揮した時のみアメリカ経済は発展し、安全保障も現実のものとなると位置づけられました。日本の現状を見てみると、中小企業は廃業が創業を上回っており、現在1億2000万の人口に対して、650万の事業所となっています。マスコミなどは声を揃えて、「日本は中小企業の数が多すぎる。時代の流れには合わない」と主張しています。日本の中小企業の数が多すぎるのであれば、アメリカでは人口2億4000万に対して1300万の事業所数でも多いということになります。しかし現在、アメリカでは2370万もの事業所が存在していることを見ても、日本の中小企業数がむしろ少ないのです。さらにこの事業所の内1670万は個人企業であり、さらにこの中で1050万が家族以外に従業者をもたない零細企業です。この数字からしても、中小企業こそ雇用の担い手、地域経済や社会の担い手であることがよくわかると思います。
働くこと、生きることが問われる時代
380万人が失業中の日本
日本では380万人が失業状態にありますが、この現状に対して「経済回復に向けた痛みであり、多少失業者が増えても仕方のないことである」との認識があります。数値だけでみると確かに380万人ですが、当人にとって失業は失業であり、「生きること」「暮らしを守ること」ができなくなっているのです。これは大変なことです。さらに、5パーセントの失業率という大きな社会不安を抱える中、今の若者たちの間に働くことの意義や人生について疑問が出てくるのは当然です。このような状況の若者たちに対して大人たちは、「余計なことを考えずに汗水流して働け。そうすることにより人生とは何か、社会とは何かがわかる」と言ってきましたが、現実はどうでしょうか。大人たち自身も失業しています。つまり、何も考えずに働いているだけでは暮らしを守ることができなくなり、改めて、働くことの意義や人生について考えることが大切になってきているのです。
地域の暮らしを守る
現在、日本の産業は深刻な空洞化を迎えています。日本の高度成長を支えたのは自動車、家電、精密機器等の加工組立型の産業であり、比較的簡単に海外移転できる産業です。今後、日本に残る大企業は素材、原料産業や造船や発電等の大プラントを必要とするような事業でしょう。そもそも企業とは、人間が地域で暮らしを守るために存在してきたものです。空洞化が進展し、企業が地域から撤退していけば、失業者の増加は当然です。従って、地域で暮らしを守り、生活していくためには仕事づくり、企業づくりが必要であり、その役割を果たすのが私たち中小企業家であることに疑いの余地はないのです。
オンリーワンを追求
では、私たち中小企業家は何をすべきなのでしょうか。例えば20数年前の日本は、カラーテレビなどが流行り出すと、あっという間に広がり、周りが持っているものは自分も持っていないと恥ずかしいという社会でした。しかし、社会が成熟化し、オンリーワンを追及するようになると、他人が持っていないものに価値が置かれます。従って、消費者の個別ニーズに対応し、消費者の声を聞くことが求められます。これは、大企業にはできないことで、中小企業だからこそ追求できることなのです。
理念に基づいた経営の実践を
社員の自主性を尊重
私が長年社長を務めていた東亜通信工業では、1965年、月商4000万円の時に7000万円の不渡りを掴まされました。その後、1973年のオイルショックも重なり、1億円の燃料費を使い3000万円の赤字を出すという大変厳しい経営を続けてきました。しかし、業界でのシェアが高く、社会的責任を果たすため会社を投げ出すこともできず、毎日必死で合理化を進めてきました。合理化を進めた結果、出てくる余剰人員の首を切れば、社員は矛盾を感じ、真剣に合理化を進めるとは思いません。そこで、私のとった方策は、余剰人員の半分には新しい仕事づくりをしてもらい、残りの半分にはさらに合理化を進めるための改善活動を担当してもらったことです。結果として、1977年にはアメリカ経済の回復とも重なり、創業以来の利益を出すことができました。同時に、「自主的自己管理」という精神を大切にし、人事考課や勤務評定制度などは一切取り入れずに経営してきました。
1番大変な道を選択
1965年の暮れ、経営が危機的状況であるにもかかわらずボーナスを出しました。そして社員を前にして3つの選択肢から進むべき道を正月明けまでに選んできてくれと迫りました。第1は身売りをする、第2はもっと儲かる業種に転換する、第3は今の仕事を続けていくというものでした。しかし、その日の夕方までに全員一致で、今まで通り東亜通信工業として仕事をしていくという返答がありました。後日、ある社員に、「なぜあの時全員一致で一番大変な道を選んだのか」と聞いてみると、「一人一人の社員を大切にし、信頼して自主性を尊重してくれた会社は他にはなかった。そういう職場を自分たちで守れなければ、俺たちはいい恥さらしになってしまう」という答えが返ってきました。社員のこの言葉も軸足としての理念があり、決して揺らぐことがなかったからこそだと痛感しました。
経営理念を地域に
全国の仲間で経営理念を実践されている方がいます。私の著書である「経営理念」の中でも紹介していますが、千葉同友会の石戸さんの経営からは多くの事が学べます。石戸さんの経営するスーパーは大変な激戦地区にありながらも、13年連続で増収増益を続けています。簡単に言いますと、経営理念が地域に浸透し、消費者が理念を支持しているスーパーなのです。
渡辺トクさんの実践
また、新潟同友会の顧問である渡辺トクさんは、1963年、53歳の時に医療用寝具のリネンサプライ業をご主人と共に創業されました。 しかし、会社設立2カ月後にご主人を亡くされ、大変な苦労を乗り越えて経営を続けられています。現在、93歳ですが現役の社長です。トクさんは「障害者には誰かが手を差しのべる必要がある」と考え、創業した当初から障害者を雇用しています。また、10数年前には80名近い障害者を雇用し、自らも寮で一緒に生活を続けています。10数年前、皆で食事をしている時に「私、普通のおばあさんに戻りたくなった」と言ったところ、食堂は一瞬のうちにシーンと静まりかえってしまったそうです。トクさんが「普通のおばあさんに戻る」ということは、何を意味するかを皆感じ取ったのでしょう。トクさんはとっさに立ち上がり、「あなたの息子を信じなさい」という曲を歌いながら、踊り出してしまったというのです。トクさん自身もなぜそういう行動を取ったのか分らなかったのですが、それが食堂全体に広がっていき、ようやく落ち着いて元通り食事に着き始めました。「私は言ってはならないことを言ってしまったのです」と振りかえられています。
徹底して自立を促す
また、一方では莫大な設備投資をして社内の合理化を進めますが、実は障害者を厄介払いとして連れてくる家族がいる中で、社員を他社に紹介したり、徹底して自立を促しているのです。そして、「私は先にお墓に入っているから、あなたたちは一生懸命生き抜いて、私のお墓に入りなさいね」と語り、自分のお墓をつくっています。事実、帰る場所のない社員も多いのです。ご紹介した方々は、まさに理念を実践しておられます。ぜひ、みなさんも理念に基づいた経営を実践していって欲しいと思います。
【文責事務局・輿石】