第43回定時総会
第2分科会(4月28日)
激変の時代を乗り切る自立型企業〜「あたりまえや」を当り前に〜

吉岡昌成氏(株)ヨシックスグループ会長兼社長(前政策委員長)
会社概要
●設立 1983年●資本金 4000万円●社員数 116名
●事業内容 飲食店経営(「や台や」グループを愛知県内51店舗、東京・大阪に6店舗を展開中)
(基本理念)
赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまで楽しくすごせる心・食・居を演出する
27歳で名古屋に
ヨシックスグループは現在、飲食店経営のヨシックス、店舗の設計施工会社、そして不動産の会社の3社からなっています。今、ヨシックスでやっている飲食店「や台や」グループは、県内51店舗、全国で57店舗を展開しています。私は大阪出身で1977年に大学を卒業しました。最初に就職した会社では、コンビを組んでいた人が倒れてしまいました。大量のノルマを1人でこなさなければならなくなり、「やってられるか!」ということで、3年半で辞めてしまいました。退職後、毛皮販売の仕事をしました。冬の間は大儲けしたのですが、翌2月頃にはさっぱり売れなくなりました。暖かくなり毛皮の需要がなくなったのですが、「季節のニーズ」に気づかなかった為です。結局、その仕事も4カ月で辞めてしまいました。その後、創業したのが店舗設計施工のヨシオカ建装です。神戸の弁当屋「本家かまどや」が、中部や関東にチェーン展開するということで、その店舗を建てる仕事を一手に引き受けました。それがきっかけで名古屋に出てきました。1982年4月、27歳の時です。
浮き沈みを繰り返して
翌年、弁当屋が一躍ブームとなり、ヨシオカ建装の売上もいっきに50億にもなりました。「儲かってしようがない」という状態でしたが、翌年にはピタッと仕事がなくなりました。売上は一気に3億強にまでに落ち込みました。急激に広まったブームには、すぐに終わりがあります。それに気づかずに事業を拡大していたのです。仕事がなくなり、親会社にも助けてもらえず、結局、かまどやの仕事からは全面撤退し、全国にちらばっていた社員を名古屋に呼び戻し、再出発となりました。そんなことがあり、当時の私は「今まで信じていたものが信じられない」「何をやればいいのか分からない」という状況にありました。そんな時、同友会に入会しました。1990年のことです。その頃からコンビニの店舗が急速に増え、それに押され弁当屋の売上はどんどん落ちていきました。「このままではいかん」ということで、いろいろなスタイルの飲食店を始めました。建築と弁当屋の利益をすべて飲食店につぎ込み、ありとあらゆる業態を試してきました。最初は良く売れるのですが、そのうち売上が落ち始め、半年も経つと赤字に転落する、その繰り返しでした。「なぜだろう」と一生懸命考えた結果、お客さんをバカにしていたことに気がつきました。店では冷凍食品やレトルトパックものを使いお客さんに出していました。味はそこそこだし、店舗だけきれいにしていたら客は来るだろう、そんな考えでやっていたのです。
たどり着いた店それが「や台や」
「このままでは本当に会社が潰れてしまう」、悩みぬいた末たどり着いたのが、お客さんから見えるように料理をつくる、今で言うオープンキッチンシステムです。そんなコンセプトで1998年にオープンしたのが、「や台や」です。オープンして以来、売上が伸び続けました。3日経てば売上が落ちていった今までと比べて、雲泥の差です。お客さんが集中する夜七〜九時の時間帯には席がいっぱいで、座れないということまで起きました。そこで、お客さんがその前後の時間帯にずらして来てくれるようにまでなりました。商売がこんなに簡単に行っていいものかと思いました。しかし、実際は簡単ではなかったのです。そこには実験や失敗を繰り返し、試行錯誤を重ねてくれた社員の一生懸命の努力があったのです。「や台や」がそこそこ形になり、社員も増えてきました。社員から寿司屋や焼肉屋、ラーメン屋など、色んな店をやってみたいという意見があり、どんどん立ち上げていきました。現在は八業態まで広がっています。しかし、ただ拡大していったわけではなく、かつての毛皮売りや「かまどやチェーン」の反省を活かし、いかにリスク・ヘッジをするかを考えながらです。季節、時代、地域、業界、どこにどういうニーズが出てくるか分かりません。そこで業態を分散して、リスクヘッジを行う、それが今のヨシックスグループの基本的な考え方なのです。
経営姿勢が変わった
その後「や台や」グループは順調に伸び、社員の給料が月3000万円という金額にまでなりました。それまでは「自分一人が社員を食わせてやっているんだ」と思っていましたが、もはや私一人ではどうしようもない経営という現実に直面しました。そこで、忙しさにかまけてしばらく休眠していた同友会に復帰し、勉強を始めました。そこで経営指針をあらためて基礎から学び直しました。当社の経営指針書は年々分厚いものになり、2001年度は3ページだったものが、今年度は200ページ近くになりました。社員から方針がどんどん沸き上がってくるからです。なぜそうなってきたかというと、私の考え方が変わったからです。いくら自分一人が頑張っても、社員が働いてくれないと、会社はやっていけません。「できるだけ社員を盛り立てていこう」「みんなの意見を取り入れていこう」「それが強い組織につながるんだ」、そのように私の姿勢が変わったからです。
「あたり前」をみんなで創る
現在の経営指針も方針の部分から社員と一緒につくってきました。その基本理念とは、「赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまで楽しく過ごせる心・食・居を演出する」です。普通、居酒屋というのは家族連れでは来にくい、特に子供づれは嫌がるものですが、すべての年齢層の人が夕食を食べていただける空間を提供しよう、そんなことをめざしてつくった理念です。また社是は「“あたりまえや”を当たり前に」です。社員一人一人育った環境も価値観も異なる、みんなが自分なりの「当たり前」を持っています。それを社内で出しあい、話しあって、当社の「当たり前」をみんなで創りあげていこうとしています。や台やのコンセプトは、落ち込んでお店に来たお客様が元気になって帰っていただけるお店をめざそうです。お客様に必要とされる、なくなったら困る、そういう店にしようということです。これが当社の社会性だと考えています。また今年度のスローガンは、「前向きに!前向きに!一所懸命行くで!」です。一所懸命とは、そもそも武士が自分の領土や城を死守する、1つの所を守り抜くというのが語源だそうです。一人一人が自分の城、すなわち店を一所懸命守ろう!ということを、今年のスローガンに掲げています。
「社会性・科学性・人間性」とは
以上、当社の経営指針の経営理念の部分を説明させていただきましたが、同友会では経営理念には「社会性・科学性・人間性」の3つが必要だと言っています。当社においても、(1)科学性=時代の流れを的確につかみ社会のニーズに合った経営をする、(2)社会性=お客様に必要とされる、(3)人間性=社員と共に成長する、この3つを取り入れた経営指針をつくっています。ぜひ皆さんの企業でも、このことを意識した指針づくりをされることを望みます。
【文責事務局・政廣】
参加者の感想
◆売れているときはずっと売れるものだと思い込んでしまう。科学性!よくわかりました。科学性とは、社会のニーズにあった経営。業界・時代・社会のニーズをどう感じとり形にするか。お客様の思いを形にする、これをいかに早く実践するかが課題。(N氏・Y氏)
◆市場細分化、層に焦点を合わせた店舗展開。コンピテンシー評価制度。数値化と情報共有化。(N氏)
◆自分の会社ができること、社会のニーズとは何かをよく考えさせられた。(A氏)
◆「あたり前」の定義づけがしっかりしている。「あたり前」の言葉に人を動かす力があることをあらためて感じました。会社のあたり前(社会性)とは何か。(A氏・H氏)
◆愛、ふれあい、元気が出る空間の演出、団らんの演出、やすらぎの演出。ニーズは追うものではなく、創りだすもの。(S氏)
◆やさしい言葉で伝えること(簡単な言葉)。社員と共に創ること。時間をかけて創ることに意味があること。会社の宝は社員である。方針書づくりでの過程を大事にする。(Y氏・T氏)
◆経営指針の必要性を再度思い、つくる気持ちに火がつきました。(H氏)
◆社長のバイタリティーと前向きな姿勢。異業種の経営者の立場でありながら、考えが変らない点に納得。(O氏)