第6回あいち経営フォーラム
10月19日
第4分科会
事業継承は飛躍のチャンス
選ばれる企業になる第2創業

五島茂樹氏(株)丸一建商社長(尾北地区)
(株)丸一建商
・設立1959年・資本金1000万円・社員数8名・年商3億7千万円・事業内容建設資材小売・エクステリア
親父とケンカし27歳で飛び出すが
わが社は42年前、父が「丸一建材店」として創業し、犬山を中心とした尾北地域で、建設業者にタイル・コンクリート・セメントなどの建材の販売を行っていました。6年前からは一般向けにエクステリア事業として、外構工事も手がけるようになりました。さて長男の私は、小学生の頃から「お前は家業を継ぐんだ。跡取りだ」と言われ続け、自分自身家業を継ぐものとばかり思っていました。21歳で親の会社に入社、トラックで建材を運ぶ営業の仕事をやらされていましたが、27歳の時にいきなり専務にされました。そんなこともあり、「なぜ自分だけが働かなければならないのか」と、父とよくケンカをするようになりました。ついに我慢できなくなり会社を飛び出し、サッシ店に勤め始めました。そのサッシ店は工事も請け負っていました。自分のところも工事という付加価値をつけなければと思い立ち、31歳の時に今の会社に戻り、タイル工事を始めました。その翌年、社名を現在の「(株)丸一建商」に変更、新社屋も建て、建材部門も併設しましたが、父との衝突の中で、「自分は会社をこうしたい」という想いを強く持つようになりました。
絵に描いた餅だったわが社の「経営指針」
最初に受けたタイル工事がうまくいき、それからどんどん工事を受注しました。売上も伸びましたが、赤字も増えていきました。同友会に入会したのはちょうどこの時期で、35歳の時です。同友会では2年目に地区会長を任され、「経営理念くらいはつくらねば」と思い、聞こえのいい言葉を並べて、自社の経営理念を作成しました。しかし、そんな借り物の理念が社内に浸透するはずもありません。翌年、大赤字を出し、持っていたコンクリート工場を閉鎖しました。その一方で、タイル工事の受注は増えていきましたが、工事単価は段々安くなり、利益の出ない仕事を延々とこなすだけという状態に落ち入りました。こんなことを続けていてはダメだと、社長に就任した翌年、同友会の「経営指針の手引き」を参考に、見様見真似で経営指針をつくりました。その指針自体は売上計画のみの、絵に描いた餅に過ぎませんでしたが、実際に「つくった」ことが後々、私には大きな力となりました。
「99ビジョン」が私を、会社を変えた
その翌年に愛知同友会は「99同友会ビジョン」を発表し、「自立型企業をめざす」「地域と共に歩む」ことを2つの旗印に掲げました。特に前者は、「自分の仕事は自分で探そう」ということです。これまではまったくの他力本願だったわが社でしたが、ビジョンとの出会いをきっかけに、地元に密着し、仕事を自分達で見つけられる会社をめざすことを決めました。これが私にとっての「第2創業」の出発点でした。そこで当時、建材の中で唯一売上の落ちなかったエクステリアの分野に着目し、建材販売から発展するかたちで、個人住宅向けのエクステリア部門をつくり、自社の敷地内に展示場を開きました。この展示場を開くにあたって、銀行からの融資を受けるために計画書が必要でした。ここで初めて経営計画づくりの経験が活かされました。経営計画書の中で、「5年後には一般工事の請負を、売上全体の50%以上にする」という目標を立て、現在のところほぼ計画どおりに進んでいます。
地域のお客様はわが社の「財産」
エクステリアの仕事は一通りのことが終わってしまえば、もう後の仕事はありません。地域のお客様に長期的に付き合っていただくため、定期的にチラシや情報誌で情報発信したり、春・秋には売り出しのイベントを行ったりもしています。先日の売り出しの時にはあいにくの雨でしたが、のべ270名のお客様に来ていただきました。雨の中でこれだけの来客があったことはわが社の財産であり、この財産をいかに地域の中でつなげていくかが、今後とも私たちの役割であると、社員と話しています。
「当たり前のレベルを上げる」
わが社の社員教育の基本は、「当たり前のレベルを上げる」ことです。大企業のように多くの資金や設備が、また人材もいないわけで、お客様へのあいさつや現場の掃除など、ごく単純なことをどこまで「当たり前」にできるかが当社の共育のカギなのです。協力者に対しても、「当たり前」共育を行っています。「なぜ仕事をきちんとやらなければいけないか」が、どれだけ社員や職人に浸透していくかが大切なのです。
お客様が「喜ぶ」環境をつくる
わが社は「信用=創造=感謝=喜び」というビジョンを掲げています。会社にとって「信用」は第一です。その次は「創造」で、これは2つの意味あいを持っています。1つは創造性を持つですが、もう1つは与えられたものを、きちんと造れる会社になるということです。そして、その与えられたことに「感謝」ができること。最後に、いつも「喜び」を与える側にならなくてはいけないということです。お客様・地域の皆さんに喜びを与えられる、喜ばれる環境づくりをすることが、わが社の理念であり使命です。「第2創業」以来、おかげさまで会社は発展しています。しかし、これまでの「自分がどんな会社にしたいのか」という想い、それまでに会社が培ってきたもの、そして同友会で学んだ「経営指針」と「共育」の考え方がなければ、ここまでの発展はなかったでしょう。現在、社員と一緒に経営指針の見直しを行っており、今回のこの分科会での報告を期に、より明確な、より実のある経営指針に発展させていきたいと思います。
【文責事務局・政廣】