どうゆうき

▼8月15日、60回目の終戦記念日。もはや若年の過半がその日を知らず、されど現実、日々かしこに戦禍あり。まして軍人に非ず。国民大衆住居の被爆、悲惨さや酷し。この60年をして無条件降伏、東京裁判、日本国憲法の意義が無にして活かされず。なお今ミサイル防衛の配備、武力攻撃出動等、自衛隊法の改正成立、粛々と歴史のあと戻り。ただし我等のみ独歩平和甘受許される世界環境にあらず。しかるに我等のみ原爆被災国、世界平和の求道者なからずして、なにをかいわんや
▼今年は終戦60周年記念ゆえテレビが東京、沖縄、広島、長崎の惨状を繰り返しましたが、私達の本当の苦しさ、悲劇は終戦、敗戦後でした。生きること、生き残ること、まず食糧。街からは買出部隊、帰りに主要駅での一斉取締り、道路も検問、米など論外、今の麻薬と同じ、闇米取締りで犯罪者。私達子供は穀物少々は許される程度でした
▼今は昔、箸の立たない雑炊、代用食はいろいろ。スイトン、ジャガイモ、さつま芋、特にさつま芋は塩辛漬物が必需品。甘くて腹を満たすまで食べられません。米国から援助物資のトウモロコシ(牛のえさ)。小学生でしたが、グランドの朝礼には必ず5人程が倒れます。昼は水道で我慢の子もいました。また誇らしげに夕べは銀シャリを食べたと。子供にも食べることが中心の日々でした。子が待つ親鳥の心中やいかに。日々に疎し、飽食の現代自給率40%を切る、どうする。

副会長 廣瀬嘉人

◎「中小企業家しんぶん」(5月5日号)の「戦後60年」に広瀬氏が寄稿されています。ぜひご覧下さい。(編集部)