第34回青年経営者全国交流会
第6分科会9月14・15日
「誰がやるのか、なぜやるのか」〜指針書を通じて自社改革
出分 洋之氏 (株)昭和写真工業所・常務(名古屋第1青同)
同友会で経営指針と出会う
後継者として早く認められたい
昭和写真工業所は、私が生まれる前の1958年に父が興した会社で、主に特殊印刷業界での写真製版業務に携わっています。創業者である父は、私が高校1年生の夏に病気で亡くなり、その後を、母が社長、義理の兄(姉の夫)が勤め先を辞めて専務という形で会社に入り、会社を続けてきました。ワンマンだった父が抜けた穴は大きく、母と義兄、社員と社長のぶつかり合いも多く、「もう会社を閉めようか」という話が出たこともあったと聞いています。しかし、私も会社に入った今、社長や専務といっしょに経営できることに感謝しています。同友会には、別の会社を経営するもう一人の義兄から誘われました。ちょうど修行先の会社から戻ったばかりで年齢も経験も社内ではいちばん若く、後継を決意していろいろ社内でやってみても、失敗の連続でした。「後継者として早く認められたい」という気ばかりが焦って悶々とした日々を送っていたので、すぐに同友会への入会を決めました。
指針を発表して手応えを感じる
入会して3年目に「経営指針成文化研究会」の案内状が送られてきました。それまでも例会の席で「経営指針は必要だ」ということを耳にしていましたので、「これに参加すればできるかな、できれば何かが変わるかな」と思い、参加しました。その講座には親切なテキストが用意されていました。講師の指示どおり項目順に作業していけば課題が整理され、最後まで終わってみれば、経営指針書ができていました。そうしてでき上がったのが、この「Vision Book」です。完成したビジョンブックを社員に配布し、発表会を行いました。これまでも、私の思いが伝わらない経験を繰り返していましたので、心の中は受け止めてもらえるかどうか不安でした。発表を終えた時、社員からは「会社の方針が出ると社員も動きやすい」(中堅)「実行できない内容では意味がない。項目を絞り込んだほうがよい」(古参幹部)「絵に描いた餅にならないか心配だが、方針を意識することが始まりです」(ベテラン)「私には難しい内容でしたが、自分なりに『こうすればいいのかな』というものが見えてきました」(20代)などの意見をいただきました。中には冷ややかな意見もありましたが、前向きな意見もありましたし、今までのように完全に「NO!」ではなかったことで、何か手応えのようなものを感じました。それが5年前の話です。
ビジョンブックの取り組み
指針をベースにコミュニケーション
このビジョンブックに基づいての具体的取り組みの中から、3つの事例を紹介します。1つ目は「週報の活用」です。当社は職人的な仕事が多く、仕事の共有が課題です。そこで、パソコンのメール環境を活用して毎週の仕事の報告をお願いしました。私は毎週末、全部のメールに目を通してまとめ、一人ひとりに返信しています。この作業は最低でも3時間、下手すれば半日仕事になってしまいます。内容を読み違えて返信してしまい、週明けに社員から詰め寄られる経験もしました。その後のやり取りも含めて、自分の思いを伝えるという意味では、ビジョンブックをベースにした社員とのコミュニケーションをはかるためのツールとしては、有効だと実感しています。もう5年も続いていますが、週末にまとまった時間を費やしますので、家族の協力なくして不可能であり、家族に感謝しています。
社員の頑張る姿に感動
2つ目は「スキルアップセミナー」です。社員一人ひとりの成長が会社の発展につながると思い、社員が交代で講師になって、全員参加の勉強会を開いています。ある社員は完成したパチンコ台を借りてきまして、当社の製品が後加工されて組み込まれた完成形を見せてくれました。また創業当初からの古参社員は、エレベータ関連の仕事を通して当社の社歴を話してくれました。私の生まれる前の会社の話を聞けたことは貴重で、普段はメールも打てない彼が息子さんに頼んでワープロ打ちの資料を作ってくれ、本当に感動しました。私の想像以上に社員は頑張ってくれているのです。3つ目は「能動的受注目標カレンダー」です。目標設定の大切さはわかっていても、なかなかできないというのが本音です。そこで、目標設定シートを作り、社員から課題を聞き出しました。そのときに成長目標も合わせて聞き出し、それを踏まえて改善点も聞き出し、目標設定を行っています。当然、各自ばらばらですが、進めることが先決ですので、まず1年やってみました。それから5年間続けてきています。3年目には社内も組織化できたので、今年度はグループごとに目標設定し、それを月単位の目標に落とし込み、それに基づいて個人目標を設定しています。
自社と自身の変化
最初のビジョンブックは私からの一方通行でしたが、5年経って社員も考えてくれるようになりまして、理念が共有できるようになったことを実感しています。ビジョンブックを実践していく中で思ったことは、「誰がやらないといけないか」という自覚でした。確かに旗を上げることは大切ですが、一人では旗はたなびかせられないのです。一人ではできないから協力を得るために「旗印」としての目標を明確にし、旗印を中心に皆がそれぞれ考えることができるように、各自にステージを与えるようにしました。そうすることで、以前と比べて自分が楽になったと感じています。それは、目標が明確になり、自分も納得しているからだと感じています。ビジョンブックを作成して解ったことは、経営指針は作成してからが『本当のスタート』だ、ということです。これまで報告してきた私自身と自社の変化は、このような地道な一歩があったからこそ、できたと思います。お手元にある写真は、当社の自慢の仲間です。この仲間と日々、色々なことに取り組んでいます。確かに色々な衝突があります。それにより落ち込んだり、悩んだり、イライラしたりもします。でも、この仲間が好きなんです。だから、「誰がやるのか、なぜやるのか」を絶えず自問自答し、自分に負けないように、今後も毎日取り組んでいきたいと思います。
【文責 事務局・井上一馬】