第8回あいち経営フォーラム
10月28日
優しさの創造〜モノづくりの心が伝わるIBIZAの顧客満足〜
吉田 茂氏 (株)イビサ 取締役会長
様々な経験から学んだこと
手形取引は一切やらない
私は1951年に名古屋の岩田産業(革を扱う商社)に入社しました。入社3年後、大阪支店に赴任し、手形の商売を目の当たりしました。手形のジャンプを頼まれたり、弱みを握られる原因を作ったりと手形の怖さを学び、自分で商売を始めても一切手形は切っていません。大阪支店は閉鎖になり、名古屋に戻りました。その後東京支店の支店長以下七〜八人が売り先を持って独立してしまい、経営再建をするために東京支店に転勤になりました。幸い大きな会社で仕入れは困らなかったのですが、売り先には困りました。そこで、パレスホテルやニュージャパンなどで、デパートのバイヤーさんを呼んで秋冬用、春夏用の革の展示会を開催しました。
業界の盲点を突く
ある時私は、今まで革に名前がついていなかったことに気が付きました。牛革の茶色とか黒色とか、豚革の何色とか馬革の何色っていうぐらいしかなかったのです。そこで私は磨耗に強く、色落ちしない革に「グロリアン」という名前をつけヒットさせました。展示会を開いてPRした結果、バイヤーから問屋にグロリアンを使うように指定して頂き、グロリアンが口コミで伝わったため、一世を風靡するほど販売できました。そんな時期、ボーナスの話で支店長と折り合いがつかず1965年に独立しました。もともと独立する気はなく、お金もなかったので大変な思いをしました。勤めている時に革屋さんから、「独立したら応援してあげるよ」と言われていました。実際に独立してみると、「一人で経費がかからないのだからよそに出すよりも高いよ」と言われ、売り先からは「一人で経費がかからないのだから安いのが当たり前」と言われいたたまれなかったのを覚えています。単なるブローカーでは、商売は難しいことを知りました。その頃、友達から「喫茶店やると儲かる」と誘われ、喫茶店を始めることを決めました。敷金の1500万円と家賃の45万円で始めましたが、場所がタクシーのたまり場で大変な思いをし、半年で閉めることになり、結局1000万円近く損をしてしまいました。
素材とモノづくりのこだわり
イビサ島で自分の武器を再確認
特に目的はなかったのですが、ヨーロッパに出かけました。スペインへ行った時にたまたま知人に「島に行くから一緒に行かないか」と誘われて行ったのが「イビサ島」です。本当にひなびた、人口4万人ぐらいの島です。そこでヒッピーたちが手作りのバッグを作って売っていました。この光景を見て、自分にはやはり革が武器になるのだと思いました。そして、日本に戻り、革に穴を空け革紐でかがったバッグを作りはじめました。当時はヒッピーの時代で、そういう人たちの興味を惹くバッグに仕上がりました。こうした手づくりのバッグは職人は作らず、問屋からも応援して頂いたこともあり、よく売れました。
商品への誇りとハードル
ある時、「イビサのバッグを小売店がバーゲンで安売りをしているよ」と教えられ、私の商品はバーゲンをしないで欲しいと問屋にお願いしましたが、「小売屋さんに売ったものは小売屋さんのものだから、バーゲンされてもしょうがない」と言われました。とにかく返してほしいと言うと、そのままそっくり戻されました。これではだめだと思い、問屋を通すのをやめようと決めました。そして、「作って売る店青山イビサ」として青山に出たのです。あれだけ問屋さんを通して売れたから、当然今回も売れると思っていました。ワゴンに商品を積んで東海通を売り歩いたのですが、1軒も買ってくれませんでした。「あれこれ言わなきゃいけない商品は売れないよ」と小売屋で言われて本当に淋しい思いをしました。転機は、高知のデパートのバイヤーが訪ねてきて、イビサの商品を一人の作家として高知の町で見せて欲しいと言われたことです。その時に、ローカルテレビや新聞で紹介され、次の日にはお客さまが来てよく売れました。この時、「何か不都合があったらお申し付けください。また要請がありましたら手紙を出して、来ますので」と住所と名前を頂いたのが現在の名簿の始まりなのです。あの時、売りっぱなしだったら当社はいま存在していないのではないかと思っています。
小売店の直接購買
当時、青山・赤坂・六本木という時代で、ファッション雑誌に掲載していただく事がありました。それを見た今まで問屋から買っていた小売店が、また大勢買いに来てくれるようになり、今度はバーゲンしないと確約を取りつけました。チェーン展開をしている小売屋も仕入れに来て、店舗を出したら、うちの商品を中心に並べていただきました。ところが、支店長が変わると返品が増えるなど悩みが多かったことを覚えています。ある銀行の紹介でデパートで販売するチャンスに恵まれました。しかし、デパートに行くとバイヤーが「うちの1階のハンドバッグ売り場には合わない」など言われ、なかなか受け入れてもらえませんでした。それでデパート7階などの催事場で行われている皮革市で「私が作ったバッグです」とお客さまと対面で販売するようになったのです。しかし、「お客さまの名簿はとってはいけない」などと言われ、なかなか理解してもらえませんでした。何度か皮革市で販売するうちに、お客さまから「普段どこで買えますか?」という声が届くようになり、ハンドバッグ売場に少しのスペースを頂く事ができたのです。このとき、誰を見方につけるべきか、「目線はお客さま」だと、改めて実感したものです。
適正な量を販売する
前年対比を気にすると営業マンは売り上げ主義に走ります。その結果、小売店から商品の発注が入ると、それ以上に送り込み、店頭には置かれることになりますが、小売店は「商品を置いてるだけなので支払いはすぐにはできないよ」といい、1年すると入れ替え交換といって返品されます。こういう状況なので、営業マンは売りたい、私は「売るな」と言い、営業マンにとっては、「売るなといわれてどうやって売るのかと…。」そういうことが続きました。そこで、売上は今までの納品ベースから、商品が売れてレジに打ち込まれてはじめて売り上げを立てる実売ベースに変えていきました。10年前後の間に、売上が53億から40億くらいになりましたが、それでも良かったと思っています。なぜなら、送り込むだけになりがちな専門店を縮小し、デパートに販売員を置いて、作り手と使い手がみえるようにしました。このように適正な生産量と売り方は必要だと思っています。それでバーゲンは一切やらず、修理は永久に保証しています。そのため、不都合があったら直しますとお手入れ会の案内を年間96万通出して、アフターケアに力を入れています。
購買履歴は顧客の信頼
われわれの業界は安い商品やブランド品がたくさん輸入された結果、メーカーは国外で商品を作るようになってきました。これでは職人さんがいなくなってしまいます。わが社では、準社員というパートを雇い入れて、各製造工程を細分化することで、素材を生かしたバッグ作りができています。イビサのバッグを愛用していただいている顧客登録数は、現在103万人います。この表はお客様の購入履歴ですが、買っていただいた金額が一番多いのは累計で3200万円買っていただいている方です。月毎には12万、42万、26万、6万と買って戴いて、結果これだけの数字になります。お客様に買っていただく度に、少しづつ信頼を得ているのではないかと感じています。最近お客様のなかには、海外のブランドを買っていたけど、やっぱりイビサさんの方がいいと戻ってこられる人もいます。それは色んなバッグを使われて、革のよさとアフターケアをはじめとする安心感、信頼感からだと思います。
素材原料のこだわり
今日はバッグの原料となる素材を持ってきたので説明させてもらいます。(革の素材を掲げて)こちらが一般的なハンドバッグ屋で使われている革です。ビニールか革かわからないような素材です。出来上がりは完璧な革で、上に顔料をかけてウレタン樹脂をかけていることから、キズも目立たなくなります。商品からバッグを作っているのです。私共では、素材からバッグを作っています。革を大きなドラムの中でまず染めて、水性染料を使用して染めた革なので、使い込んでいくとつやが出て、人間の皮膚と同じようにクリームを塗ってお手入れをすれば、親子三代まで使えます。このように原料の革から全然違うのです。こちらはパイソン(蛇)の革です。上にコーティングを掛けてラッカーを塗ってあるので、表情が固くなっています。イビサの商品に使っている革はこのように柔らかく、お手入れをすることによって長く使え、お客様に信頼を得ることができています。
製造現場の見学ツアー
パートで働く人たちは、なかなか挨拶も出来ない工場でした。ところがある日、お客様からバッグが出来る工程を見学させてくださいと頼まれて、バスツアーとして工場見学を始めました。そのうち、パートの人でもお客様が来たら「いらっしゃいませ」と挨拶してくれるようになりました。「自分たちが作っているバッグをお客様が嬉しそうに持っている」と作り甲斐を感じるようになったとの話を聞きます。社内で「企画が良いものを作らないから製品が良くない。」「営業が売らないから生産がつくれない。」など社内のセクションの間でいがみ合いになった時期がありました。これをなんとかするため、そして目線をお客様に合わせるために「日本経営品質賞」に挑みました。経営品質賞には、8つのカテゴリーがあり、「お客様は満足しているか」、「リーダーシップは本当にあるのか」など審査していただきます。審査員からお客様に育てられた会社だということで高い評価を戴き、1998年に経営品質賞を受賞することができました。
お客様の声がモノづくりの励みに
2万通の手紙
私は年に2回、革の仕入れのためにヨーロッパにでかけます。その時に、お客様宛の2万通の手紙を持っていきます。日本で印刷をして、ヨーロッパで記念切手を貼り、むこうからダイレクトにお客様に投函するんですね。これは、お客様に大変喜ばれているので続けています。25年前に発刊したイビサマガジンについているハガキが、毎日40通くらい送られてきています。そのうちのいくつかをご紹介します。
◆「15年くらい使用しているお財布が壊れてしまい、たまたま立ち寄った革専門店で『イビサのお財布は一生使えますよ。壊れたら修理もできます』と教えて頂きました。一生使えるならいいかなと購入しました。正直イビサは知りませんでしたが長いお付き合いになりそうです。15年、20年後にどのくらい味が出るのか今から楽しみです。お店の方に名前を入れてもらい世界に一つだけの私のお財布になりました」
◆「同じ形の商品でも革の表情により一つ一つ雰囲気が違い、同じものが二つとない一期一会のようなところがイビサの好きなところです。一番最初は値段の高さに驚きましたが、就職して最初の給料でバッグを買い、長い間に味のあるバッグに変化しています」
◆「私とのイビサのバッグとの出会いは時々家に来る叔母が持っていたバッグが目に留まり、なんと10年も使い込んでいるとのことで、もっと驚きました。それからは私の周りにはイビサが増えてきて楽しんでいます。友人と昔のイビサのマガジンを見ながら次はこういうバッグがいいねと会話が弾みます。友人は私のイビサをみて夢中になり、今は私以上に夢中になっています」
以上のお便りが来ています。こういったお便りやアンケート集計やお客様の声を朝礼で紹介する他に自由に見ることが出来ます。ハガキを通してお客様の声が伝わり、営業以外でなかなかお客さまに接することが出来ないモノを作る人たちの励みになっています。
真の信頼関係を結ぶ機会
お客様相談室というセクションは、経営品質賞を申請した時に審査員の先生方のアドバイスをもらって創設しました。それまではクレームを受けた社員、つまり営業社員が最後まで責任をもって対応する仕組みでした。その頃の大きくなってしまったクレームの事例を紹介します。「7万8千円もするハンドバッグなのにバッグの切り口が毛羽立っているのはどうしてか」というクレームがありました。これは革の繊維が立ち上がってきてしまった状態でした。このお客様の声を受けて、営業マンはすぐ解決しようとしたのですが、お客様への対応が良くなかったようで、さらにお客様を怒らせてしまったのです。今度はその上司が何とかしようとお客様に連絡したのですが「こんなに高い商品なのにおかしい。もう消費者センターに訴えますから連絡してくれなくていいです」と言われてしまいました。こういう事態になってはじめて社長に報告がありました。そしてせっかく気に入って買ってくださったバッグなので、「とにかく使っていただけるようにもう一度作らせてください」と社長から電話をさせていただきました。
本物の思いは伝わる
同じバッグを作っている作業風景の写真と一緒に、バッグをお客様に送りました。そうしたらお客様から「本当にありがとうございました」というお礼状とともにたくさんの、干物を送っていただきました。お土産を社員みんなで分けて、次の日に、皆でよせ書きにして食べた感想や感謝の気持ちをお礼状のような形でお客様にお送りしました。そうしたら、最後にお客様から「社長をはじめ皆様からの色紙喜んで拝見しました。手紙を何度も繰り返し読み、私にとって人生最高の親戚ができた気持ちでございます。長く心に残る出来事でした」という心温まるお手紙を戴き、解決することができました。現在ではお客様が気分を害しているものほど、すぐにトップまで伝わり、全社的にあらゆる事例が共有できるようになっています。このようにお客様が「これからもイビサを使わせてもらいます」というまで対応しています。ご清聴ありがとうございました。
【文責 事務局 井上誠一】