シニア部会
2月23日
プロに聞く真髄とこだわり
福谷 正男氏 (資)豆福商店
「豆」の生き残り戦略
豆は自然界の中で、簡単に食べられないように2つの防御策をこうじています。まず、固い実で食べにくいこと。そして、微量の毒性を持つものが多いのです。生で食べると下痢を起こす事があるのはそのためです。しかし、この毒性は、火を通すと消えて柔らかくなります。従って、人類が豆を食物として不可欠のものにしたのは、火を自由に使えるようになってからだと考えられます。2つの欠点を取り除いたあとの豆は、各種栄養素の塊であり、人類の発展と共に栽培・改良がされてきました。現在、日本国内で栽培されている豆の種類は、減ったと言われる今日も、200種類以上あるのです。
日本独自の食文化
世界中で、様々な食べ方がされている豆ですが、豆に寒梅粉(もち米の粉)をまぶして調味する「豆菓子」は日本で生まれたお菓子です。私は、ずい分豆菓子のルーツを尋ねましたが、駄菓子として取り扱われてきた経過からほとんど資料が残っていません。たまたま京都の金平糖の老舗で、製造工程を見る機会がありました。金平糖は、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが日本に持ち込み、初めて食べたのは織田信長と、由来が判っている数少ないお菓子です。その工場の中にある道具類は、当社の工場にあるものと極めてよく似たもので、そこから、豆菓子のルーツは金平糖ではないかと考え、お話ししています。豆に賭ける福谷氏の熱い思いが伝わる報告でした。