どうゆうき
▼私が同友会に入会したのは1987年2月でした。最初は、瀬戸の友人から経営者の勉強会があるので来て見ないかと誘われました。行ってみると「裸の付き合い」で一晩中話し合いました。そこで、広報に行ってくれと頼まれ、当時、佐々木前会長が委員長だった広報委員会に通ったのを覚えています
▼その頃は懇親会が多く、記事は事務局が半分書き、2次会で紙面構成を考えたこともありました。やがて広報委員長となり、会員の手で「同友あいち」を作ろうと現在の形に整えていったのです。それから、香川や千葉での広報交流会などに参加して、愛知の優れている点を発見したりしました
▼結局、委員長を4年間務めました。その後は、中部経済新聞社から「同友会のページを一頁組むから記事を」の依頼で今度は、副代表理事の「対外広報」担当となりました。その役目が現在の「報道部」なのです。それから、対外広報の役目から「Ainet」を立ち上げ維持管理してきました
▼仕事に置き換えてみると同友会は「知恵の宝庫」であったと思います。自分の気持ちをさらけ出し、相談を持ちかけると厳しい意見や励ましをもらいます。そうすると、自分が次のステージへと進んでいくような気がしました。このような、いろいろな人との関わりで今の自分があることに感謝しています
▼今、愛知同友会では、3000名会員実現に向け取り組み中ですが、1人1人の体験や喜びを伝えて仲間を増やす増強こそが本来の姿だと思います。4月の総会で理事を退任しますが、20年間の広報活動を振り返っての一言です。
報道部長 舟越 信三