第11期役員研修大学 第2講座(6月4日)
同友会運動の歴史と理念
〜50年発展し続けた経営者団体の魅力〜

赤石 義博氏(中同協 相談役幹事)

 

時代の検証を受けてきた同友会の足跡を知る

結果には原因(歴史)がある

結果には必ず原因(以下、歴史)があると赤石氏は語ります。今ある現状を良くするためには、まず歴史を学び、その原因をつかむことが重要といい、同友会50年の歴史について話されました。

歴史的に見ると、日本は今でも儒教の考えからくる封建制度の影響が残っています。明治政府が掲げた富国強兵という目標は、国民の生活には目の届かないものでした。ですから中小企業のことは眼中になかったと言えます。

そして日清・日露戦争に勝利したことで「お上の言うことを聞いていれば間違いない」という考え方が染みついたのです。

戦中は「国家総動員法」などの影響もあり、多くの中小企業が廃業に追い込まれました。敗戦時には経済水準が戦前の3分の1になりましたが、これらは、唯々諾々と国に従った結果でした。

戦後には政府が「傾斜生産方式」を採用したことで、中小企業は経済政策の蚊帳の外にありました。また同友会が発足した当時の中小企業白書を見ると「中小企業は低賃金、低生産性の悪循環」と書かれており、問題のある存在と捉えられていました。

そこで中同協設立時には「中小企業不要論に反論する」という運動方針を掲げて、中小企業経営者の地位の向上を目指しました。それでも当時の同友会はまだ「業者運動」でした。

 

歴史の教訓を語る赤石氏

業者運動から国民運動へ

しかしその後、第1次オイルショック時に東京同友会が「悪徳商人にはならない」という宣言をしたとき、「国民運動」のきざしが生まれました。

経済は需要から始まります。中小企業で働く人にお金が回れば大きな需要が生まれるのです。しかし近年、大企業が国内よりも海外に売ることを重視した結果、現在の不況につながりました。冒頭に話したように、結果には歴史があるということです。

90年代後半には山一証券や拓殖銀行が破たんし、貸し渋りや貸しはがしが起こり、金融アセス運動が起こりました。これが後の憲章・条例制定運動へとつながります。

昭和40年代の労働運動では「総資本」対「総労働」という言葉を使い、社長の言うことを聞くのは「利敵行為」と見られました。そういう中で「全社一丸体制」をつくるということに私達の先輩は取り組んだのです。

企業発展は同友会の発展

そして13年かかって議論の末「労使見解」を作り上げたのです。それは自主・民主・連帯がそれぞれ「人間らしく生きる」「生きる」「くらしを守る」という深い意味につながることを見出しました。

これらを日常的にどのように高めていけるかが「人間尊重の経営」なのです。こういうことを学んで実践している企業が発展しているのが目に見えるから、同友会は発展しているのだといえます。