愛知同友会 創立50周年 記念シリーズ⑧
時代を創る企業家たち

愛知同友会は1962年7月9日に会員34名からスタートし来年には創立50周年を迎えます。そこで同友会運動に永年関わってこられた会員の皆さんに登場いただき、その歴史に学びつつ次の時代に継承すべき課題について考えていきます。
今回は1社3代にわたり会員として活躍頂いている藤栄商会の加藤社長にお話を伺いました。

親子3代 現役会員

加藤 良一氏 (株)藤栄商会(中川地区)

 

(写真)加藤良一(かとうりょういち)氏

 

1944年生まれ、1970年に父親である加藤庄造氏(現愛知同友会名誉会員)の紹介で入会。青年同友会で活躍し、現在中川地区に所属。(株)藤栄商会の代表取締役。

バトンをつなぐ

私の会社は鉄やプラスチックの原料を卸す仕事をしています。口銭(利益)の薄い商売ですが、大きな引っ掛かりもなく、60年以上息長く先人達の創った商圏を守ってきました。これは会社の経営力と社員の営業力と情報力だと思っています。

しかし2009年のリーマンショックの時は、あんなにひどい時期は初めてでした。それでも1期赤字でしたが、次期から黒字にしました。事業は継続していれば必ずチャンスはあるのです。

私達のように、親子3代に渡って、それも現役会員というケースは珍しいそうですね。父の庄造は1965年に入会(現名誉会員)、私は1970年に、息子の久晴は昨年12月に名古屋第3青同に入会して、3人とも同友会で学んでいます。

先人との交わり

同友会で印象深いのは、仲野正氏(中同協元事務局長・故人)に経営について教えて頂いた事です。仲野氏は、1987年に中同協を定年退職され、コンサルタントや大学の講師をやっていたのです。

そこで月に2回ほど当社の部長を集めて勉強会を行って頂きました。私達と同じように多くの会員が仲野氏にお世話になったのです。

仲野氏は性善説に立たれた方で、さまざまな話をする中で、組織的な経営の意味がわかってきたり、理屈が知らず知らずのうちに身についてきたと感じています。

青経塾で学ぶ

それから青年経営者研修塾で学んだ事が思い出に残っています。この塾は、菊水化学工業の遠山昌夫氏(愛知同友会顧問)が立ち上げたものです。

もともとは、遠山氏が先進的な北海道同友会を視察し、愛知との決定的な違いが事務局にあると気づいたことが発端です。そこで「会のセンターとなる局員を育てなければ同友会運動は発展しない」と勉強会を始めたのがきっかけでした。そこから若手経営者が集まるようになり、同友会から独り立ちして、今日に至るのです。

継続の中に歴史あり

継続の中には歴史があります。私の会社の社員の定着率は良いと思います。しかし最近ではみんながドライになっている傾向があります。

当社の歴史を創ってきたベテラン社員が定年退職を迎える中で、これから息子の代に移っていくにつれ、これからどのような歴史を創っていくか考える事が必要となります。社員とのツーカーの関係の構築も大切です。

働き方も、ただ仕事をやっていれば良いわけではないと思います。ひとりひとりが「俺はこの目標に向かってこの仕事をしている」といえるような社風にしていきたいのです。

(写真)左から良一氏(本人・中川地区)、父の庄造氏(名誉会員)と息子の久晴氏(名古屋第3青同)

経営者のあるべき姿

世の中には様々な団体があります。その中で、なぜ同友会は会勢が増え続けているのか、その魅力について考えてみました。

同友会に入会した当初は、会社や、商売のためになるのではないかと思いました。しかし直接的に商売に結びつくことは容易ではありません。いま思うとそれがかえって良かったのではないかと振り返っています。

同友会で出会う経営者との付き合いによって、自然とあるべき経営者の姿が身につきました。それは人間尊重の経営というものでしょうか。気がつくと人を引き付ける考え方を得ているのです。

また同友会は、童謡にある、先生が生徒に教え込む「スズメの学校」ではなく、生徒と先生が一緒である「メダカの学校」であり、民主的な考えがその根幹にあるのです。

時代の真ん中に

同友会は漢方薬のようなものです。その良さがわかるのは入会して10年くらいかかります。「知り合い、学びあい、励まし合う」仕組みもよくできていると思います。

経営の現場は、本に書いてあるノウハウを知っていれば良いというものではありません。人に学び知恵をつけなければなりません。

かつては異端だった同友会が時代の真ん中に来ているのを感じます。経営者の団体が人間が人間らしく生き、その可能性を共に育むことを提言し、中小企業憲章にあるように、持続可能な社会づくりを希求するのです。同友会はこのような壮大なロマンを発信し続けて頂きたいです。

 

【文責・事務局 八田】