「第13回あいち経営フォーラム」 基調講演
世界に一つだけのモノづくり
佐藤 正樹氏 佐藤繊維(株) 代表取締役社長

下請工場の4代目
私は山形県で糸作りと、セーター作りをしている会社の4代目になります。私が地元に戻った18年前は山形県のニット産業はピークで、その後は、人件費の安い海外に生産が移っていきました。
海外と戦うには、差別化が必要だと思い、ヨーロッパから糸を仕入れセーターを作るようになりました。ふと同じような糸を自社でも作れないかと思いスタッフに尋ねると、「うちではできないよ」と言われました。当時は一番安い簡単な糸を作っている、地方の下請け型の工場でしたので、設備も技術力もなく、諦めることにしました。
イタリアの工場と展示会を視察
イタリアの糸メーカーから、展示会と工場視察の誘いがあり、行ってきました。思い返すと、これが私のモノづくりのターニングポイントになったのです。
工場視察では、工場長が「俺たちは世界のファッションの元を作っている」と言っていました。工場では、私の会社でも使われている機械が改造されていて、見たこともない糸が作られていました。彼らは、自分達のアイデアでゼロから作ったものを世界に発信していたのです。
翌日の展示会では、その見せ方に驚きました。日本では同じようなブースが並び、今一番売れている商品が並べられるのに、イタリアではブースもすべて手作りで、ワインボトルの前にきれいな色の糸を並べるなど、今まで見たこともないような編地のニットを飾っていたのです。
モノづくりに夢を持つ
山形に戻り、もう一度自社で糸作りをしないかと問いかけても、できない理由が並びました。「こんな糸が作りたい」という考えがうちのスタッフにはなかったのです。私達は大手の下請けで、言われたものを作り続けてきたため、いきなり言われてもできなかったのです。しかし、今回ばかりは諦めまいとスタッフに無理やりにでも作ってもらう事にしました。
その1カ月後、あるスタッフが1本の糸を持ってきました。そのスタッフは50代後半で、今まで40年間、同じような糸しか作り続けてこなかった人でした。彼は初めて自分で考えて作り上げる楽しさを知ったのです。ここで社員が働く環境づくりが私の仕事なのだと気付きました。一番大切なことはモノづくりに夢を持てるかどうかです。

自ら発信するモノづくり
その後、東京の展示会に出ることになり、そこでは、売れるものを作るのではなく、妻と2人で自分達の作りたいものを出すことにしました。結果、見たこともないような商品にお客様が釘付けになり、約300名の方と名刺交換をさせて頂きました。
その後、来て頂いた方々と取引を始めましたが、自分達がデザインしたものをお客様に預けると、自分達の想像とは違う形で商品として売り出されてしまいました。
東京でデザイナーをしていた家内に「いつかお前のブランドをつくってあげる」と言って結婚したものの、結局はメーカーの言いなりになるしかなかったのです。
家内からは「初めて2人で夢を持って作った商品が世の中に出るのに、なんでこんな形になってしまうの」と言われました。とても辛かったのを覚えています。ここで自分達のブランドをつくることの難しさを痛感しました。
夢へと歩み続ける
そんな時、外国で売ったら高い評価を受けて、日本でも売れ出したというドキュメンタリーを見て「これだ」と思いました。早速、先の展示会でアメリカでブランド展開をすることを薦めてくれた人に連絡して、展示会の出展を申し込んでもらいました。
アメリカの展示会では、ブランドストーリーを作りました。「100年前から日本の田舎町で羊を飼いながら糸作りを始めました。代々糸作りを守りながら、4代目の息子が糸とテキスタイルを妻のために作り、その妻がデザインをしている」というものです。これはテレビでも取り上げられ、ニューヨークでステージの高い展示会に出展できるようになりました。
自分から発信できるモノづくりをしようと決意したのが15年前。下請けの安いものしか作れない会社が、モノづくりに情熱を燃やし、今では、世界のトップの会社と肩を並べる事ができました。夢を持っていつかこうなりたいと思って仕事に取り組み、実現させようとする気持ちが一番大切だと思います。
【文責:事務局 服部】