大田から学んだもの大田視察に参加して
大田視察に参加してB

大田支部の活動を語る大橋氏
支部は経営者の能力を不断に高める場
田中亨田中政商店(地域開発委員長)
大田を視察し、地域に根ざした中小企業が主体的に担う地域づくりを現場で見て、次の点について意を強くした。まず一つは、自治体に一つの支部組織が前提と考えるならば、地域活性化はやりやすく、地域産業ビジョンも作成可能となること。二つめは委員会名称の「地域開発」という用語は、どちらかというとかげりの見えてきた外来型開発のイメージがあり、委員会の名称として今日的でないということ。大田での地域活性化の方策として工場集積という地域の歴史や文化、風土の特色を生かし、地域社会を再生していく内発的発展を見てきた。大橋正義氏(椛蜍エ製作所・社長)が大田支部の役割と到達点について五つに要約され、支部づくりのスケールの大きさ、その深さに感銘した。以下要約。
@環境変化を正確に捉えるための訓練の場
A中小企業の現状を中小企業家の立場に立って分析し、共通の課題を見つけ、目標と手だてを持って実験する場
B企業家として人間として一人一人の認識をたえまなく広め、その中から様々な経営資源をつかみとり、活用できる能力を向上させる場。同時に何よりも人間として生きる途を検討する場
C支部の運営風土は経営者としての持ち味を生かし、専門性をも生かし、徹底した準備と論議をつくす場D専門家、行政、外部機関との交流を通じ、それらを受け入れる能力を高め、協同の場面をつくる場。一言でいうなら、大田支部は経営者の能力を不断に高める作業をしている場なのだ。
二次会で大橋氏の隣席となり、ボジョレ・ヌーボーを片手に聞く。「自分の会社を見つめ、大田区を認識し、東京、日本、世界という視点で地域から世界まで展望し、人間社会のあらゆる事をつかみ、自社の経営課題と結びつける」と大橋氏は語った。目から鱗が落ちた。愛知の会員にとっても、もっと身近でわかりやすい委員会になればよいと思う。
大田視察に参加してC

写真人物中央が斉藤氏
「中小企業の聖地」大田へ巡礼して
斉藤泰潟vロセススバル(政策委員長)
「中小企業の聖地」、大げさだが、大田についてはそんなイメージを持っていた。だから、往きの新幹線の中で、エルサレムを目指す巡礼のごとく、私は少し興奮していた。しかし行ってみれば、大田とて中小企業をめぐる今日的問題を、その集積がゆえに、むしろより鮮烈に抱えて、苦闘しているのではないか、というのが最初の印象であったし、帰り際には、大田区内全工場の四八・七%を占めるという従業員一〜三人の町工場群を一つも見てない自分が妙に気になっていた。一九八三年に九一九〇社を数えた工場が九五年には六七八七社に減少し、今もなお工場数の減少は続いているという。実に一週間に四社の割合で工場が消えている計算である。機械金属加工業を中心としたフルセット型高度加工技術集積地としての大田という側面はむろん驚異であり、企業と行政が手を結んだ努力の成果には尊いものがあるのだろう。しかし、町工場が基盤技術の裾野をにない、「裾野の縮小は製造業全体のピラミッドを低くする危険性をはらんでおり、生産の連還性も喪失させる恐れがある」(大田区工業ガイド)との指摘は深刻である。つまりは、良くも悪くも大田は中小企業の街の典型ということであり、その分だけ矛盾や苦悩も大きいということだろう。同友会の政策活動に多少とも関わりを持つ私の立場からすれば、矛盾や苦悩を、いかに政策課題や要求に発展・結合させているか、そこが知りたかった気がする。その意味で、やはり貴重なのは十三年余に及ぶ「21研」の取組みではないだろうか。目先の経済や経営にあえて特化せず、広く地球環境や文化、教育、歴史にまで視野を広げ、その実「21研の勉強会そのものの内容に、いつも政策提言が底流にあり、それがこの勉強会の本質」(大田支部総会議案書)という志の確かさを大いなる刺激としつつ、「では、私は何をすべきか」を今、考えている。