2年間地区で経営指針づくりに取り組んでみて
野田太志太美工芸(株)(名西地区前地区会長)
九六年二月、地元愛知で行なわれた第二六回全研の特別報告で、あの阪神大震災という修羅場を潜りぬけた兵庫同友会の前代表理事の佐藤紘輝氏の話を参加者千百名が息を凝らして聞いた。一時間におよぶ佐藤氏の話の中で、鳥肌が、また目からウロコとまではならなかったが、よく同友会の中で聞き慣れている言葉が出て来ました。「経営指針」です。地獄と化した中で「もう、これまで」と、観念した経営者もたくさんおられたでしょう。しかし、同友会の活動に熱心な会員さん程、立ち直りは早かった。中でも経営指針のある会社は立ち直りが早かった。常に次に何をするかを考えてるからと。やはり、これは鳥肌が立たない私がおかしいのでしょうか。その年の四月から名西地区会長に内定していた私は早速地区に帰り、「経営指針の成文化を地区例会でやろう」とぶち上げました。それも、私の任期二年間を通してです。最初は反対もありました。面白くないとか、例会出席者が減る等です。「そんな悠長なことをいっている場合でない、兵庫が良い教訓を教えてくれたではないか」と、役員の皆さんに強調し、例会で実行しました。一年目は、会員が同じレベルでスタートできる様にと勉強しました。
八名が理念を成文化
結果、「理念らしきもの」を含め、八名が成文化できました。三カ月に一度の指針の実践会です。「点と点」になりがちですが、これが「線」になれば、十二〜十三人は成文化できたと思います。またもう一つ、三人一組で他地区訪問で、月一組が必ず他の地区例会を訪問し、勉強させて頂きました。私が二年間まっとうできましたのは、九九パーセント地区会員の協力の御陰です。一パーセント私にあるとすれば、その内九九パーセントは社員と家族の理解でした。今は、充実感と達成感が交差し、新会長に協力していく気持ちでいっぱいです。