「同友会なぜ?なに問答」
「同友会って、どういうかい?」という疑問がいろんな場で出されます。また、「組織がよくわからない」などの意見も聞かれます。九十年九月から九十二年十二月、二十四回にわたり、「同友Aichi」紙面の「Do・You・同友会」でさまざまな疑問に答えてきました。あれから六年。今月号から新たな装いで、あらためて「解っているようでわからない」同友会についてのさまざまな事柄を「Q&A」形式でお答えしていきます。(広報委員会)
【質問】
同友会は中小企業の経営者団体として、政治や政党とのかかわりをどう考えているのですか?
【回答】
中小企業の利益擁護=中小企業のエゴ?
中小企業運動である同友会運動は、当然、中小企業の利益擁護の運動です。全就業人口の八割が中小企業で働き、生活の糧を得ているという日本社会では、中小企業の繁栄こそ国民生活の安定、発展に直結してていることになります。つまり、中小企業の利益擁護をはかっていくことは、決して中小企業家のエゴではなく、国民生活の安定・向上に責任をもつことを意味します。
三十年前から国に要望書を提出
さらに、同友会が掲げる中小企業の経営環境を改善するための様々な要望は、多くの国民の積極的な賛意、共感と納得を得るものでなければなりません。それは、同友会の理念でもある「国民や地域と共に歩む中小企業」の考え方からも明らかなことです。以上の基本姿勢に立って、中同協では、一九六九年の中同協設立以来、「中小企業家の要望」をまとめ、国に対して働きかけてきました。すべての中小企業家の立場に立つ私たちの要望は、中小企業経営の向上を制度的に支援する施策に反映されてきています。
一党一派に偏しない
私たちの要望を実現する運動をすすめるにあたり、日本の政治は、政党政治ですから、会としても政党の活動を重視せざるをえません。同友会は、会としてはどの政党、政治家とも特別なかかわりを持たず、一党一派に偏しないことを原則としてきました。したがって、私たちの要望をどの政党に対しても心から訴え、その実現に向けての努力を求めてきました。この姿勢は、今後も堅持すべきものです。
「同友会運動の発展のために」より(中見出しは編集部)
石井正雄氏が逝去(東海EC(株)会長)
中同協元会長(現顧問)愛知同友会元会長(現顧問・名誉会員)

六月三○日午後十一時三十三分、急性心不全のため亡くなられました。享年八七歳。
石井氏は一九一二年岐阜県加茂郡川辺町に生まれ、岐阜県立第二工業高校(現在の県立大垣工業高校)に入学。卒業後、東邦電力(現在の中部電力)に入社し、その後独立し、一九五六年一月に東海電気瑞穂工事(株)を設立。一九七一年、社名を現在の東海EC(株)に変更し、八一年には、長男の正己氏(緑地区会員)に社長を譲り、会長となりました。愛知同友会に一九六五年九月一日入会。一九六九年から代表理事、七四〜八○年会長。また八一年七月〜八五年七月までの五年間、中小企業家同友会全国協議会(中同協)の会長を務め、退任後、同顧問として愛知のみならず、全国の同友会運動の発展に貢献しました。
石井氏が中同協会長を退任した一九八五年の中同協第十七回総会での退任の挨拶は下記です。
中同協第17回総会(1985年)「会長退任あいさつ」より
私の魂は同友会と共に燃えつづける
故石井 正雄氏(中同協・顧問、愛知同友会・顧問)
平和なくして企業の繁栄なし
長いようで短い私の人生をかえりみますれば、歩んできたその節々が走馬燈のように浮かんできます。第二時世界大戦が終って四十年、朝鮮戦争から三十五年、私が会社を設立して三十年、同友会に入会して二十年、私の人生は、こんな区切りで今日を迎え、今年七十三歳になりました。四十年前、広島、長崎に原爆が投下され、戦争が終ったわけですが、それは、いまでも広島、長崎の人びとの心を痛めるものとなっています。その意味で、戦争は終っていません。『中小企業家しんぶん』五月一五日号に、長崎同友会の中村諭・元代表理事が「被爆四十周年にあたって長崎のアピール」で、反核・平和を訴えておられました。私もお会いしてお話することができましたが、このことをお話ししないわけにはいきません。私も中村さんと同じ気持ちで、一緒に核廃絶めざしてがんばりたいと思います。(拍手)朝鮮戦争が始まり、日本の工場でも機関銃や弾丸が造られ、あわや日本も戦争にひきずりこまれそうな感じでした。三十五年間、日本はまだアメリカの占領下でしたが、私は戦争反対のために身を挺して闘いました。(拍手)幸いにして、朝鮮戦争はおさまり、私はいまの会社を設立したのが三十年前です。そして、同友会に入会したのが二十年前です。
知識集約型に転換
仲野専務幹事(当時、愛知同友会事務局長)や二村愛知副会長に入会をすすめられ、いやいや入会したそうですが(爆笑)、入った以上、真剣に勉強しました。その頃、会社を創業したばかりの頃でしたが、資本の自由化の波がとうとうと押し寄せ、日本経済はどうなるか、「第二の黒船きたる」といわれた時代です。その問題に対する同友会の姿勢に感動しました。その時、教えられたことは、「これからは労働集約型産業ではむずかしくなる。知識集約型に転換していかないといけない」ということです。そのことを当時教えてくれたこと、そして、私が実行したことが、今日まで生き抜いてこられたものと思います。
今ではエレクトロニクス、メカニズム、コンピュータを一体とした頭脳産業にうつることができ、社名も電気工事会社から「東海EC」と改めました。これらのことは同友会の中で学び、私がつかんだことを実行してきたまでにすぎませんが、本当に同友会のおかげと思っています。
同友会を逃避すると、企業活動が消極的に
同友会のみなさん、同友会と企業活動は、まさに車の両輪だと実感しています。同友会はきわめて刺激的です。私自身を活性化してくれ、企業活動にも情熱が湧いてきます。同友会をさぼり、逃避しようとすれば、必ず企業活動も消極的になります。このことを身をもって体験しました。同友会は不思議な会です。同友会で学んだことを、どしどし企業に生かして下さい。みなさん方も企業と同友会の発展のために大いにがんばっていただきたい。私は、また、同友会を通じて全国のすばらしい方々を知ることができました。これは私の人生のかけがえのない財産となっています。本当にありがとうございました。私の魂は同友会と共に燃えつづけることを誓いまして、私の退任のあいさつにかえさせていただきます。(長い拍手)
報道部だより
【報道・マスコミ関係】
・6/10中部経済新聞「愛知中小企業家同友会だより」
・6/17中部経済新聞「愛知中小企業家同友会だより」
・6/20中部経済新聞「貸し渋り調査結果」
・6/23中日新聞「情報コンビニ」(合同企業説明会を紹介)
・6/30読売新聞「日銀短観について」(山田政策委員長)
・7/1「時局」八月号「月報愛知中小企業家同友会」(鈴木副代表理事)
・7/4朝日新聞「石井顧問訃報」
・7/6「中部経済界」インタビュー(佐々木会長)
・7/7「時局」インタビュー(尾嶋副代表理事)
・7/8中部経済新聞「愛知中小企業家同友会だより」
【対外活動】
・6/24社長シンポのお礼とアピール渡しでの各政党訪問(社会民主党、公明、自由党、日本共産党、民主党、自由民主党)(鋤柄代表理事・山田政策委員長・福島事務局長)
・6/24金城学院大学からのインターンシップ申し入れ会合(佐々木会長・竹内副会長・福島事務局長)
・7/15愛知学泉大学コミュニィティ政策学部設立記念式典に参加(佐々木会長・福島事務局長)