●第11分科会
地域を見直す経営戦略〜地域の顧客に目を向けて固定客の強化〜
杉浦三代枝氏スギ製菓(株)・社長
スギ製菓(株) 創業:1970年 社員数:58名 資本金:1000万円 年商:6.7億円 業種:えびせんべい・いかせんべいの製造卸及び製造直売
廃業の中での創業
我社は1970年に創業しましたが、その当時は廃業する方が多く、碧南市内に50件あった業者が、30件くらいまでに減っていました。そんな中での創業でしたから、友人からは「お前は馬鹿か」とまで言われましたが、「なにくそ、見返してやる」と始めました。当時の我社の煎餅というと、澱粉だけを使っており、包装袋に仮面ライダーなどの写真を入れて販売したんですけど、なかなか売れませんでした。やはりおいしくないと、売れないのです。また「えび煎餅」とはいったものの、えびなどほとんど入っておらず、えび粉を少し混ぜただけで、形さえあればいいというものでした。

イカ製品では業界一に
販売先は地方問屋でした。地方問屋というのは、例えば名古屋のお菓子、岐阜のお菓子、三重のお菓子をまとめて九州や東北へ商売にいく問屋さんのことで、そこが最初のお客さんでした。その頃の取引では請求書通りの金額をもらえないことがたびたびあって、「こんな経営ではだめだ」という危機感を感じて「おいしい煎餅をつくりたい」「他社がやりたがらない商品を」と決意しました。それには何がいいのかと考え、「やはりイカがいいのではないか」と思いつきました。イカは味が出ますし、取扱が汚いので、他社があまりやりたくないものでした。えび煎餅業界のなかで、イカを扱った商品では一番になろうと決意し、これにちなんで、「イカ一番」という商品を開発、これがよく売れました。それで商品をこの「イカ一番」一本にして売り出しました。これが現在のスギ製菓発展の原動力になりました。
「郵パック」利用や物産展に出店
当初「イカ一番」はスーパーからの受注に間に合わないほど売れました。しかしバブルが弾けて状況が変わりました。弱小企業の商品を仕入れて利益に結びつけようということで、値下要求はありませんでしたが、販売価格が引き上げられたのです。店頭で300円くらいで売られていた「イカ一番」が380円から400円の値が付けられました。これでは売れません。スーパーや問屋とはうまくやっていけないなと実感させられました。89年にできた郵便局の「郵パック」で、碧南発・産地直送商品として、イカ一番」は全国的にすごく売れました。また碧南市政40周年物産展の話があり、イカの姿焼を実演販売をしたところ、長蛇の列ができ、大評判となりました。ここで直接お客さんに商品を販売しなければだめだなと思い、それが直販店を出すきっかけとなったのです。
地域での知名度が大切
直売店をオープンした結果、かなりのお客さんが来てくれました。2〜3年やっているうちに「この仕事だ」と思い、刈谷店・高浜店と続けてと出店しました。しかし、刈谷店・高浜店は売れないのです。改装したり、店員を変えたりしたのですが、それでもやはり売れません。考えた結果、スギ製菓は碧南に工場がある、工場があるから碧南では売れる。刈谷や高浜では知名度がない。地域での知名度が大切だと気づきました。10年後、地域のスギ製菓の直営店として、16店舗をつくることをめざしております。量販店を得意先とすると利益が上がりません、価格の主導権をスギ製菓が持ち、よいものをよいものなりに売ることが中小企業に求められるものであり、自立型企業をめざすことだと思います。
【文責事務局・上田】