第4支部
経営指針成文化グループ
オリエンテーション
3月17日
第四支部では三月十七日、経営指針作成グループの立ち上げの為に、武沢信行氏((有)プラスアルファ)を招いて、オリエンテーションが行なわれました。
講義の前半では氏の体験を踏まえ、零細小売業に過ぎなかったオリンピックがなぜ株式公開企業になれたのか(また倒産の原因も)を語っていただきました。後半は今後の指針グループの進行について述べられました。前半部を紹介します。
経営指針はなぜ必要か?
ある中小企業の実例から
武沢 信行氏 (有)プラスアルファ
中小企業の社長像
一九七八年、私はオリンピックスポーツ(昨年倒産しましたが)に入社し、足掛け九年間おりました。当時、六地域に九店舗しかない小さな会社でした。
社長はたいへんな人格者で頭の切れる方で、ロマンチストでもありました。慶応大学を出て中部電力へ入り、経理のエリート社員でした。
ところが、お父さんの事故で岡崎の「オリンピック運動具店」という家業を継がざるを得なくなりました。三十代後半でした。
そのとき「しがない家業の運動具屋をやっていてもしょうがない、どうせやるなら男のライフワークにできる経営をしよう」とチェーンストア理論を学び、同時に出店戦略、仕入れ、人事政策、資金問題など、モーレツに勉強しました。
社長と社員の間に
大きなギャップ
私はいわば離陸する寸前の滑走路の段階で入社したわけですが、内部体制はずいぶんひどいものでした。
社長のロマンと弁舌に惚れて入社したわけですが、最初に配属された岐阜の店長はとても変わった人で「スポーツが好きだから運動具屋に入った。社長のロマンや先々のビジョンなんかどうでもいい。お客さんにゴルフセットやテニスラケットを売ることが好きだから店長をやっている」という人でした。
例えば、明朝チラシが入る売り出しがある。私は売り場をつくろう、POPを書こうと思い「少し残って明日の準備をします」と言うと、「客が来るのは夕方だから、明日の朝にしろ。それよりマージャン行くぞ」と、本当に行ってしまうんです。先輩社員は(例外もいましたが)そういう人ばかりでした。
初めてつくった
経営指針
そういう会社が、一九八一年に「第十二期(株)オリンピック経営計画書」を初めて作成し、店長やバイヤー、金融機関、主な取引先の問屋さんなどを集めて、発表会を行いました。
当時、年商二十三億の会社でしたが、五年後の売上高目標の欄に「三百億」とあり、五年間の年度ごとのバランスシートが全部入っているんです。
私は数字に弱く、「バランスシートが年度別につくれるということはどういうことだろう」と思い、それが大きな疑問でした。社長が中部電力の経理でしたから朝飯前なのでしょう。
会社の五年先の姿から逆算して、年度末はどうなっているか、損益計算書だけでなくバランスシートで、要員計画や出店計画も全部書いてありました。私は内心に込み上げてくるものがありました。
経営指針で
人が変わる
一〜二年のうちに内部体制が変わりました。やる気のある社員と、運動具屋が好きだという社員が半々だったのが、やる気のある社員が圧倒的多数になったのです。
ある日、岐阜の店長だった人から電話がかかってきました。「もうついていけない。前は楽しかったのに最近どうも厳しくていかん」と辞めていきました。
変わる人は変わるし、新しい方針で成長できなかった人は辞めていきました。
それが良いか悪いかは別問題として、会社の計画をつくり、それに沿って運営していくということが「すごく力のあることなんだ」という体験をしました。
その後八六年に退社し、九〇年に、知人と現在の会社を設立し、コンサルタントの仕事をしています。基本ポリシーは「中小企業が国を支える。プラスアルファが中小企業を支える」です。そういう理想でずっとやっていきたいと思います。
【文責 事務局・井上】
青年同友会を卒業して
加藤 清春 鍋清(株)・専務取締役
(中区錦・丸の内地区)
青年同友会の思い出
私は、青年同友会に十四年間お世話になりました。はじめは、中チームというグループに所属していましたが、「第四青年同友会」と名前が変り、地区になった翌年、じゃんけんで負けて地区会長になりました。入会したばかりで、なにもわからない時でしたので、地区総会では大変な恥をかいた思い出があります。
会で学んだことが
会社に定着
同友会で新しく出会い、会社に取り入れたこともたくさんあります。コンピュータの話に興味を持ったことが、自社のコンピュータ化のきっかけになりました。今のパソコンやニフティ会議室もその延長です。
マネジメントゲームも同友会で出会い、今では社員全員でやっています。また、第四支部の支部例会では経営指針の勉強を勧められたりもしました。
同友会が私を
大きくしてくれた
そういう中でも、先輩諸氏から暖かい励ましをいただいたことが、いちばん忘れられません。「同友会は失敗してもいい。一人ではできないことを例会でやればいい」と言われました。
今、振り返ってみて「人間はやらせて、励まし続けることで、少しずつ本物に成長していくのだ」ということを、あらためて実感させられました。
同友会の役員も
会社の役員も同じ
同友会で役員になるのと同じ頃、会社でも役員になっていました。会社の役員になって考えたことは「どうしたらみんな動いてくれるか?」ということです。 このことは、自分が役員だから「考えて」いたことだと思っていましたが、今思うと、同友会の中でいつも「考えさせられて」いたことと同じことでした。
自分で考え、
人から学ぶ
私は同友会を「人間行動学を学ぶ場」と位置づけています。何かを学ぼうとする前に「どうしたら人は動いてくれるのか」を自分で考え、仲間を見て学べるところが、同友会だと思っています。
今年三月に第四青年同友会を卒業し、「親」同友会にお世話になります。まわりの現役社長から「生きた経営学」を学んでいきたいと思います。