愛知同友会 創立35周年「私と同友会」特別編
創立のこころざし
仲野 正(中同協・顧問)
今年の七月九日は愛知同友創立三十五周年の記念日になります。愛知同友会の創立に参画した仲野正氏より寄稿いただきました。
仲野氏は愛知同友会の初代事務局長として活躍され一九七三年より中同協の専任事務局長となり、その後専務幹事に。退職後、中同協顧問となり、日本福祉大学講師などを経て、泣Vステムパワー創造を設立。現在経営コンサルタントとして活躍中です。
四十七名で創立総会
愛知同友会は、一九六二年七月九日に、名古屋中小企業家同友会として、丸栄ホテルで創立総会を行い、発足しました。当日の出席者は四十七名だったので、忠臣蔵の四十七士と数が合うことから、「正義の旗揚げ」と前途を喜んだものです。
私は、その創立総会の三カ月程前、明治生命の外勤職員を三月三十一日でやめ、四月一日から同友会準備会のため事務局要員となりました。
何の財政的な基盤もないところからのスタートです。一カ月に十名以上の会員を募り、入会金と会費三カ月分の前納金で四万円の給料をひねり出すという自転車操業よりもまだ悪いやりくりで、六月末にほぼ三十名の準備会員が生まれました。
理事から募金を集め 三坪の事務所を開設
最初四月の一カ月で、十一名の方に設立発起人なってもらい、その連名表を持って、五月、六月と、遠山昌夫氏(現顧問)や今井保氏(故人)などに同行していただき、会の設立を訴え、入会をお願いに廻りました。 設立発起人のリストは手元にありません。忘念があると思いますが、現在ご健在の方は、遠山氏、太田良男氏(現名誉会員)、税田公道氏、西沢信義氏などで、他は故人となられました。 当時、名古屋機工新聞(故鈴木治氏、発起人の一人)が中区の貧乏長屋の一軒を借りており、その中の机を一つ借りて、準備会の仮事務所としました。
設立してすぐに中区の寿藤会館にうつりました。それは第二回理事会で「拠点となる事務所がなくては活動ができない」と、小瀬木昭三氏が理事一人五千円の募金を提唱し、そのお金で寿藤会館に移ることができたのでした。三坪の事務所でした。
今日の理念に通じる 当時の規約内容
当初の発起人や会員の方々が、同友会をつくり、育てることになぜこんなにも熱意を注がれたのでしょうか。発足総会で定めた規約が、それを思いおこさせてくれます。
そこには会の性格について「中小企業家のための団体で、この独自性を堅持しながら、すべての中小企業団体と提携し、政治的諸団体とは一党一派に偏しない」と明記されています。
ここではすでに後に自主・民主といわれる理念や、「同友会三つの目的」の第三番目に位置づけられる内容を含んでいます。
また、会の目的として「中小企業家の経済的地位を向上し、併せて国民経済の発展に寄与する」とあり、現在の三つの目的の内容をすでに含んでいます。
過当競争の嵐の中で
愛知同友会の生まれた昭和三十年代後半は日本経済の復興・発展期にあたり、中小企業をとりまく情勢はまことに厳しいものでした。一口にいえば、過当競争の中での多産多死です。
したがって、中小企業の団結・連帯など話題にもならず、「同業者は敵」という雰囲気の中での経営を余儀なくされていました。
当時、私たちは、国が大企業・大資本を優遇する政策を強めていることに強い不満を持ち、また大企業・大資本がやりたい放題に中小企業をいじめているのに、行政は見て見ぬふりをしていることにも、不満をもっていました。
同じ土俵での 公正な競争を
そこに「中小企業基本法」がでてきました。これは、中小企業の自助努力を強調するものでした。
私たちは、「製造業の七割が大企業の下請で不利な立場に立たされている。中小企業の国民経済の中での主要な役割を考えるならば、独占禁止法を改正・強化して、中小企業に力をつけさせ、その上で、中小企業と大企業が同じ土俵で角力をとれるような公正な競争をしたい。それなのに『自助努力』のみを強調するのは、経済政策の放棄であり、本末転倒だ」と主張したのです。
このような主張に理解をしめしてくれたのは、日本社会党と日本共産党でした。しかし政党とつきあえば、選挙の票あつめ、金あつめ団体として扱われるおそれがある。そうでなくても色眼鏡で見られるだろう。
だから会としては、会員の思想や信条を尊重するためにも、一党一派に偏しないということを規約に書き込みました。それは同友会の伝統として今日にも生かされています。
中小企業の 役割を明確に
しかし、この時代は世をあげて「大きいことはいいことだ」とか「日本の労働者の低賃金(いまからは考えられないことですが、先進資本主義諸国より、ずっと低かったのです)は、効率の悪い中小企業の存在そのものにある」という風潮でした。
この中で日本経済における中小企業の存在価値と役割を明確にし、それを根拠に中小企業政策の充実を要求する不偏不党の団体が、当地愛知でも生まれたのです。
必ず大きくなろう
当時の私たちは「今は小さな団体でも、必ず大きくなって不公平な競争状態(大企業優遇)を是正する力になりたい、なろう」「そのためには、すべての会員の要望をくみ上げて活動しよう」というのが、熱いおもいであり、志(こころざし)でした。
いま三十五周年を迎え、五十名足らずの会員は、二千二百名と五十倍近くになっていますが、まだ世論を動かすほどにはなっていません。
当時の情勢は今日でも基本的には変わっていません。どうか設立の熱い想いを受け継がれ、すべての会員の皆さんが、会の活動に力を注いで下さるよう願っております。