第7回理事会報告(11月13日)
◆会場愛知県勤労会館
◆参加者二三名/三五名
【討議事項】
議題(1)来年以降の「あいち経営フォーラム」開催
*前回理事会を踏まえて各組織の検討状況
〈各支部からの意見〉
・支部研究集会は役員育成の場で、今後五年くらいは継続したい。それ以降「フォーラム」は毎秋開催を。
・周年行事として五年ごとの開催が望ましいのでは。
・「フォーラム」開催の場合は「支部行事」にあてるが、秋に開催して欲しい。できれば、二〜三年くらいは休んで欲しい。
〈その他の意見〉
・来年の「フォーラム」を終え、「成果・課題・教訓」を検討し、開催の検討を。
・会のスタッフである「委員会」のテーマに基づいた「フォーラム」を委員会主導で開催する流れに。
・全愛知で開催していくことに大きな意味がある。対外的にも会をPRしていく場として必要では。
◎結論は次回理事会で。
議題(2)「事務局活動改善に関する提言(案)」の討議
〈意見〉
・討議には事務局の現状と課題など、論議経過が必要。
・同友会運動のパートナーシップがどうあるべきかが提言されているが、会員は事務局の仕事が何なのかがよく見えない。
・今後、役員である「専務理事」のより高いレベルのリーダーシップが必要。
・事務局のできる範囲はどこまでなのか、どこに必要な情報があるのか、どんな仕事ならばできるのかなど、事務局の仕事が不明瞭な事が課題。
◎次回理事会でさらに深めた議論を行う。
議題(3)大田21研等の視察
*資料に基づいてスケジュールや準備状況等が説明。
議題(4)第37回定時総会の準備
*議案作成のテンポ、各組織での討議日程や委員の選出を了承。
【報告・承認事項】
◎「会費問題」などに関する詳細な資料が提示。
◎入退会承認
●入会者七名
●退会者三三名
●現会員数二二一四名
【文責・福島】
私と同友会(21) 同友会に卒業はない
浅海正義(社)ゆたか福祉会(千種区・会暦35年)
会と企業発展が軌を一にして
私が入会したのは、愛知同友会ができてすぐで、入会間もなく一年程、入院していた。その間、会費を免除されていたことが記憶にある。そんな規定があったのか、誠におおらかな時代もあったもんだなあ・・。会員も二桁ぐらいではなかっただろうか。戦後サラリーマンを経て経営者の端くれになり、ただただ「経営とは何か」を学び、実践してきた。菊水化学工業鰍フ創設に参加し、環境に対応する経営努力と、経営環境改善に向けた行政的是正を持たなければならないのかを学んだ。同友会などで学んだことは社内で検討実践し、対外的にあらゆる可能性に挑戦してきた。幾多の政府系補助金の獲得や制度を利用し、経営に対する自信と発展は、愛知同友会の拡大・発展と軌を一にしてきた。その中で、経済や行政の仕組みにまで踏み込むという経験を積むこともできた。人と会の絆を感じてこれらは、同友会で言う「会員一人一人が辞書の一貢」のごとく、会員を増やし組織していく活動の中から学び得たものであった。今日、人生の大半を同友会の会員であったことに、今更の如く感謝し、誇りに思う。ある日、事務局で、私の入会申込書が現存していることが判った。そんな古い書類をよく保管していたものだ。一九六二年(昭和三十七年)八月五日の日付であった。三十五年間一貫して会員であったことに、今更の如く、年月の流れの早さに驚いている。人生の多くを菊水化学工業梶i遠山昌夫社長)で過ごしてきたが、退職後潟}イゾックス(前溝口富博社長)、(社)ゆたか福祉会(故今井保理事長)にかかわるようになった。それぞれの社長や代表者が愛知同友会の歴代のトップに名を連ねている方々であったことも、私の人生に同友会との深いつながりと絆を感じないわけにはいかない。
揉めた相手と同友会でバッタリ
愛知同友会の創立に先立つ二年ほど前、江崎本店と菊水工業化学の社員が交通事故を起こした。損害の分担割合で話し合いがつかず、社を代表して、私はたびたび江崎本店に談判(?)にでかけた。当時、現江崎信雄社長は専務で、「この若造が息子か」(失礼、当方も向こう見ずの若造でした)と横目で見ながら、前社長(故人)と一年以上も交渉を続けた。その後、揉めに揉めた相手と、創立間もない同友会の例会で顔をあわせようとは、夢にも思わなかった。この江崎社長は私の仕事の関連でも、いまだに何かと、ご支援を頂いているしだいで、同友会を通して、人の出会いの織りなす不思議な縁は数多い。入会した頃は、新米経営者であり、先輩諸氏から多くのことを教えられた。その内、何となく若い人も多くなり、何かの会合で「最年長の方に乾杯の音頭を」と言われて、誰かと思っていたら、自分だったこともある。そんな想いをしながら、若い方々に混じり、遅れないよう、一生懸命、後について走っている今日この頃である。