チャレンジ経営指針成文化(特集号−12)
21世紀型経営者像その真髄を学ぶ 10月18日第4支部秋の研究集会
真のトップが悩み、苦しみ、見つけていく経営とは
第四支部では、初めての支部研究集会に取り組みました。実行委員会は約半年にわたり、直前にはグループ長も交えて入念な打ち合わせを行い、当日は九十六名の方々が参加されました。三つの分科会では、三者三様の考え方が報告されました。しかし、共通したことは「経営指針を経営のベースに置くことで、経営の目標が定まり、強靭な組織づくりが進んでいる」というものでした。分科会の締めくくりとして、一人の経営者として佐々木正喜会長に「生きざま、生き方そのものが経営だ」と題して、記念講演をしていただきました。会長の経営に対する熱い想いが全面に浮きだした内容で、経営者の姿勢を考え直させられる講演でした。以下、各分科会の報告要旨を掲載します。(編集部)
環境が変化しても夢は変わらない第一分科会青木亮一竃シ古屋パーティプロデュース
日本で三番目に古いバンケット(宴会)コンパニオン業務の請負会社で、イベントの企画、運営管理の二本柱で仕事をしている。その性格上、ホテルの宴会が仕事の中心であり、仕事の場所でもある。その中で、同業他社との差別化にはどうしたらいいのだろうか。また若い人が経験を積み、一人立ちできるようになると辞めてってしまう。この二つの大きな課題の追求の中から、「理念」を追求することが始まる。「サービス」とは何だろうか。その結果、次の二つに集約された。

内面的サービスで他社と差別化
一つは外面的サービスとして、コンパニオンの容姿、服装(ユニフォーム)。マニキュアはこの色はだめだとか、ユニフォームは一人一人の体形に合った物を準備するとか、髪型をどうするとか。この部分は専門家を使ってお金で解決できる部分ですので、同業他社にすぐマネされる部分である。もう一つは、内面的サービス。お客様に言われる前にすること、お客様が欲することの先を読んで行動することである。そのためには「目配り、気配り、足配り」。例えば、お客様がポケットに手をいれたらタバコが出てくるとか、このお客様はどのウイスキーが好きであるとか、キメの細かいサービスの提供で、お客様の満足を確保する。そのような「サービス」が自然にできるようになるには、コンパニオンの質のレベルアップ(その裏には、人格の向上と、その結果としての生活の向上)ということで、「無財の七施」という、仏教の教典の一筋に集約された。
サービスのプロとして活動の場を広げる
日本経済が右肩上りのころは、そんな「理念」の追求・徹底、教育によって業績も伸びたが、バブル後は理念だけでは対応できなくなった。具体的な数字を基にした経営計画が必要になり、理念と経営計画の両方が必要なのだ、ということに気付いた。視点を少しずらして、ホテルでも宴会だけでなく、もう一本の柱である結婚式で、フリードリンクサービスだけを対象としたコンパニオン業務を請負える場の創造に向けて努力してきた。そして同業者にも働きかけた。ホテル以外にも視点を向けて、例えばデパートの案内業務やエレベータガール、銀行の受付業務、万博でもコンパニオン業務の請負いができるような人的ネットワークの構築というように、あらゆる分野で「サービスのプロ」を武器に、活動の場を広げていく戦略をはじめている。人それぞれ得意不得意がある。数字が得意な人は「計画」から、文章が得意な人は「理念」から作成し始めることが必要。ただし、車の両輪と同じで、必ず両方が必要になる。
梅屋金物竃リ野村幸夫
創業精神に気づいてからの経営森川幸洋氏鰍ュらぶ亭第二分科会
困難の時代こそ長期の計画を

三年前、創業八十周年を期に立てた十カ年計画の初年度の計画が、少し遅れて来年達成できそうです。先行き不透明な時代ですので、売り上げの維持や経費の削減が課題です。全社員が一丸となって創造力を身につけなくてはいけないと思い、十カ年計画を立てました。
計画を発表するにあたって考えたことは「これからもより多くのお客様に楽しい一時を過ごして頂けるように努めていくことが、最終ゴールである」ということでした。その結果、常に新しい食文化を創造することに挑戦することが会社の特性であると分かりました。そして社外の方々に対しては、八十三年の歴史を支えて下さった感謝の気持ちを大切にしていきます。
「つぼ八」に参加し新しい店舗戦略を
一九八三年から「つぼ八」FCに加盟しました。加盟した頃には不満も多くありました。最近は内容も充実して、現在は三店舗を経営しています。今後の「つぼ八」の店舗運営にあたって、FCは大変効率のよい経営をしていける利点があることを活かし、今後も「つぼ八」を中心にして展開していくつもりです。しかし「つぼ八」も内容が常によくないと、いずれだめになってしまいます。と言って、やめてしまうのではなく、お客様に喜んで頂けるように私たちも努力する必要があると思います。
経営指針をベースに社内の組織づくりを
経営指針作成に際し、全社員を一度に集めることは不可能でした。店長会を中心に約半年かけて「くらぶ亭を今後どのような会社にしたらよいのか」を議論しました。
指針は店長を通じて各店で浸透させるだけでは不十分でしたので、社内報も作って浸透させました。経営指針をつくったことの利点は、いつでも指針に沿って同じ話ができるので、社員も早く正確に理解してくれるようになったことです。経営理念の成文化は社員の気持ちを一つにできたようです。
兄弟四人で分社化を
一九八九年に会社を分社しました。先代より会社を引き継いだ時から、「いずれは兄弟で会社を分け合うだろう」という気持ちがありました。以前から兄弟四人ができる限り力を合わせてやっていこうと約束していましたので、分社の時も戸惑いはありませんでした。今後も兄弟で力を合わせてやっていこうという方向づけもできました。いつまでも「くらぶ亭グループ」という意識を持っていたいと思い、今でも定期的に集まって話し合っています。それぞれが自分の会社をよくしていこうとしている点で、分社したことはよかったと感じています。
そして創業者の気持ちで
十カ年計画の作成、そして経営指針の浸透といった課題の中で会社を分社したときから、私は「新生くらぶ亭の創業者だ」という気持ちで経営をしております。計画の締めくくりに株式の公開を念頭においていることで、中身の濃い経営ができると思います。
滑ヤ宮金型製作所間宮義彦
隙間の需要から生まれた会社の存在価値
野村昌宏氏 菊水写真研究所

写真業界の中でも「ポートレートフォト(人物写真)」で、赤ちゃんからご老人までの誕生記念や七五三、結婚記念、成人式など、人生の節目の写真が中心です。写真館、フリーカメラマン、結婚式場、ホテルの写真室などからの写真を手焼きで現像プリントする仕事です。
悩んだ末に見出した「私の仕事」とは
サラリーマン勤務しながら三年間、「青経塾」で経営や社長の姿勢、商売のノウハウを勉強し、独立を決断しました。約十五年前です。最初は会社を維持していくのが精一杯でしたが、なんとかやっていて五年目くらいにいろいろと悩みが出てきました。それは自社が下請けであること、地域が限定されること、次々新しい機材が出て設備にお金がかかることでした。もう一度経営の原則を考え直し、過去を思い出して、お客様、社員、友人があってこその自分であることを認識しました。そして、自分の仕事は同じ写真でも「人様の人生を記録し、豊かにする仕事だ」と考えられるようになりました。それからは仕事が楽しくなりました。
学んだことを業界に伝えたい
経営の原理原則、そして自分の存在感、会社の存在感をよく考え、自分が今まで学んだことを業界に伝えようと、ポートレートフォトグラファーと協力して「〓マハカプランニング」という会社を設立しました。ポートレートフォトグラファーには、プロとしての技術面(ハード)を担当してもらい、自分自身は経営ノウハウ(ソフト)の部分を担当し「円塾」というセミナーも始めました。「理念などいらない」「商品などいらない」「販売計画などなくてよい、技術さえあればよい」、そういう昔から「先生」と呼ばれてきたカメラマンが今もたくさんいます。こんな人達に「今まではやっていけたが、これからはやっていけないよ」と、ポートレート写真のことを中心に、社員教育や宣伝広告の企画、店舗の作り方などまで教えており、現在、全国に三百五十名の生徒になりました。
「人間らしさ」を大事にして
バブルがはじけて以降、サービス業としての真価を一層問われる時代となりました。撮影技術や、プロカメラや、高い機材では勝負できない。他の業界からも、機材を投入して写真業界に進出してきています。ですから、ポートレート撮影をするカメラマンの「人間としての部分」が大事になってきています。今まで経営方法中心に行なってきた「円塾」も、新しく写真業界に入ってくる人たちのために内容も変えてきています。
もう一度自分の仕事を考えて
「人様の人生を豊かにするポートレート写真に関わっていきたい」「自分自身の人生も豊かにしていきたい」という理念は今も変わりません。 しかし会社の戦略、基本方針、戦術は時代のニーズにあわせて柔軟に受け入れ、社員と共に頑張っています。この仕事の原点に帰り、その上で新しい市場、商売に取り組み、みんなと一緒に頑張っていきたいと思います。
泣Aーティストリー水戸勤