ものづくりの街大田から学んだもの福島敏司
(愛知同友会・事務局長)

工場見学風景
愛知同友会では十一月二十六・七の両日、「地域社会と中小企業のかかわり」「企業間ネットワーク」など、これからの中小企業のあり方を探ろうと、「独自の技術を持ち、今、中小企業が元気」という東京・大田区に二十八名(団長・鋤柄修代表理事)を派遣し、大田支部との懇談会も行いました。第一報を福島事務局長と小瀬木氏に語っていただきました。
開発型企業の集積地域
九月二十四日の現地下見で見学した潟Tンリックや活苡辮サ作所(本紙十一月号で紹介)に続いて、今回の鞄本ヒーター機器や潟Tヤカでも同様のものを感じました。鞄本ヒーター機器は、社員二十名の企業で、ヒーターの発熱を利用して缶コーヒーやお茶を暖めたり、肉マンを暖める缶ウオーマーを製品化して全国のコンビニエンスストアーに販売し、年商二十億円程の売上をあげる中小企業です。また潟Tヤカはそれまで手で折っていたプリント基盤の端を切断する機械を開発。携帯電話のような小型機器に内蔵する超小型プリント基盤の開発によって需要は爆発的に広がり、一台が一千万円程する機械は「この業界で他にライバルはない」という世界的シェアを確立しています。これらの企業に共通するのは、ニッチ市場を対象に他社の追随を許さない独自製品を開発し、この製品で市場創造に挑み、お客様の要望に応え、自社の位置を不動のものにしていることです。また、新製品開発や商品化のプロセスでは、「大田という工業集積地域の特徴を活かし、周辺企業の得意技で協力しあうというネットワークが活躍している」という図式が見えてきました。
愛知の現状は70年代の大田
ある巨大企業が君臨し、その「城下町」といわれ、「誇りある下請企業」とか、「下請で何が悪い」という愛知の中小企業群とはかなり違っていることを感じました。大田を見学した愛知の経営者に「自分のところがあまりにもこういう努力をしてこなかったことに恐ろしさを感じる」という感想がある反面、地域風土の違いがあることを前提に「あの技術は愛知にもある」という感想もありました。どちらの感想にも同感できるのですが、後者については、発想力の違いが問題ではないかと思います。大田もかつては愛知と同じでした。ところが、一九七○年代に国の工場分散化政策によって大工場が大田から出て行ってしまい、後に残された中小企業は、今日のような開発型企業への変身を余儀なくされてしまいます。大企業の海外進出などにより、これから産業の空洞化が襲い来る愛知で、「あの技術はある」という中小企業が、どうやって生き残るのか、そのことこそが、今回の大田視察の最大のテーマでした。

あいさつする東京の井上代表理事
「路地裏ネットワーク」
四○年間、大田で旋盤工を続けながら、小説家として大田を紹介しつづける小関智弘氏は、大田の特徴を次の二点に整理しています。その第一は、「も」のつく技術力を持っているという点だ。「それ『も』できる」という工場の存在であり、技術力の高さと柔軟性を持っている地域であること。第二には「路地裏ネットワーク」とか、「自転車ネットワーク」という言葉で表現される身の回りのネットワークの強さであって、仕事の内容によって変幻自在に業者の組合せを変えられるネットワークがあること。元来、漁業の盛んな街であった大田では、ある日突然、漁船のミンチの機械が持ち込まれて「大至急直してくれ」ということがあったそうです。仕事を持ち込まれた町工場では、なんとなく回りの連中に声をかけて「なぜ故障したのか?」を議論しあう。そして、弱い部分を改良して修理してしまったそうです。これが「路地裏ネットワーク」なのです。他の工場街と大田の違いについて「大田は失敗が許される街であり、失敗が許されにくい企業城下町的な所と違う」と語られます。大企業を頂点とするピラミッド型の企業城下町ではコストダウンや改善要求も当然あり、従わなければ容赦なく切られてしまう。大企業は「あちらもあるさ」であり、まず失敗は許されません。そういう地域と違い、横のネットワークが発達する大田では多様性があってこそ、「失敗してもこちらで回復できる」という地域性が、愛知と決定的に違うのです。
地域社会の期待に応えて
二日目には中小企業研究事務所(PASS)の西沢正樹氏と大田区産業プラザ(PiO)の山田伸顕管理課長を囲んで懇談会が行われました。西沢氏は最近「大田区工業ものづくり集積連関調査」(座長・吉田敬一東洋大学教授)を紹介。山田課長はPiOの建設を通じてこの地域の工業集積を活かし、どんな中小企業育成をしてきたのか、実践を語ってくれました。西沢氏の参加した調査では、地域中小企業の立場に立った特性分析の視点で取り組まれた調査の意図がよく分かるし、山田氏の実践を聞くと地域の中小企業のことを実に良く知っています。そこには「箱物行政」と批判されるように「器だけ造って後は知りません」という行政の姿勢はなく、地域社会が期待する行政のあり方に応えており、PiOの建設が大田の中小企業にとっての新しい拠点のスタートであり、これからの中小企業支援が「ソフトの充実」にあることをキッチリ捉えていました。こういった方々の努力はコーディネーターとも考えられ、工業集積地域・大田の中小企業という約七千ページの辞書を引く目次のような存在であることも分かります。同行者の一人でもあった小栗崇資氏(日本福祉大学教授)が最後に、「大田区の行政マンは皆さんそういう姿勢なのか?」「山田さんはどうしてそういう見方をするようになったのか?」と質問しました。これに対し山田氏より「私がこういう見方をするようになったのは、同友会の大田支部の皆さんとの交流の中で学んだことだ」と結ばれたことが、強烈な印象として残りました。
大田視察に参加して「地域と共に歩む」同友会を実感小瀬木昭三(兜x士ツーリスト)
「21研」で学び、行政の役割を自覚
「愛知との違いは」耳を傾ける参加者
今回の大田視察で、多くの得がたい体験をしてきましたが、最も感動的であったのは、大田区および大田区産業振興協会(PiO)との交流会の中での山田伸顕管理課長の発言でした。視察に同行された小栗崇資氏(日本福祉大学教授)が、「今日のお話を聞いて区が中小企業の実状を本当に良く知り、中小企業の為になる諸施策を推進しておられることが良くわかりました。しかし、それは貴方個人の思いでされたのか、区の行政として推進してこられたのか」と質問されたことへの回答でした。「私が現在多少でも大田の中小企業の皆さんの役に立つ仕事ができるようになったとすれば、それは同友会の皆さんのお陰です」、また「区の商工課の職員として、商店街祭のお手伝いと永年勤続従業員表彰の仕事しかしていなかった私を同友会の二十一研に誘って頂き、十年以上にわたって一緒に勉強してきたからです」と、明快に答えられたのです。
全国と大田を結ぶ細やかなフォロー
この山田課長が語った大田区産業振興協会のビジョンは、羽田空港から二十分の距離という大田の利点も生かして、日本全国、いな、世界各地と大田を結びつけることで、大田の中小企業群の活力を最大限に発展させようというものでした。毎年一回開催される「大田区受発注情報交換パーティ」には全国から百五十社が参加して、新たなパートナー探しを九年間続けており、この支援を協会がしています。また、大田区内約七千社の中小企業の企業情報を、ホームページで発信するだけでなく、社員数が十名人以下の企業と十名以上の企業に分けて企業紹介のガイドブックを作成し、二千円で頒布したりもしています。求人では、合同企業説明会を大田区と大田区産業振興協会、そして大田優良企業委員会の共催で、職安も加わって開催し、新卒と中途採用を同時に行っています。これには同友会の大田支部も参加しています。
学者、行政と共に
「地域や国民と共に」という同友会の方針を大田支部ではこのように実践しています。支部の二十一世紀研究会(二十一研)では十数年間継続して、会内外の研究者・実践家を招いて討論を続けています。その中で、行政の一職員であった山田課長も参加し、今日の実践家に変えわってきたのだと思います。愛知同友会でも「地域と共に」の実践が大きな活動のポイントになっています。「人づくり」が中小企業経営のポイントであるならば、二十一世紀に生き残る中小企業を創りだすには、「地域や国民と共に」を一緒に実践できる行政マンや学者、研究者を創り出せるような活動を始めねばならないと強く感じました。