エントロピー豊明(異業種ネットワーク)
第一号商品が完成山本栄男氏潟Tカエ

知恵を出しあい
私は建設業です。建築の方でも、まだまだ開拓できることがたくさんありますが、大手ゼネコンが作ったものに流されていて、「自分達が何をやりたいか」をあまり考えていません。しかし、これからは自分達の頭で考えてやっていかなければ、大きな波に流されてしまうと思いました。そこで発想を変えるために同友会で親しくなった八名の方に「異業種交流をやらないか」と手紙を出したら、全員が「やりましょう」と言ってくれました。そして、二年程前から始まったのが、異業種交流グループの「エントロピー豊明」です。「知恵がなければ、交流をしても何も生まれない。しかし、いい友達になれただけでも収穫にしましょう」ということでスタートしました。
公的資金も利用して
はじめに、各自が困っている身近かなことを出しあいました。そこで鉄筋のスペンサーの話が出て、いろいろと話し合い、現在販売にまでこぎつけています。最初からお金がどうの・・・とやっていますと、責任のなすり合いになります。そこで最初二〜三回の会合では、お互いの責任の持ち方を話し合っていくうちに、「互いに腹を割って話さなければ、何も進まない」ことに気がつきました。「パテント」の問題も出てきて、「それならそれをあなたとあなたが取りなさい」となり、それが可能になった時「中小企業への育成資金も借りましょう」ということで、資金を借り、開発の機械もつくっています。
もっと身近な話題から
異業種交流といっても、最初は「何かをしなければ」という気持ちはあるものの、「何をするか」がよく解りませんでした。本筋にいくまでには、「自分が今、困っているものは何なのか」を見つけるのが非常に難しく、莫然としていました。「もっと身近な所で考えよう」ということから、やっと軌道にのりました。そうなると、それが「売れる」とか「売れない」とか、「儲かる」かとか「儲からない」とかいう話になってきます。しかしその中で、「自分たちが利用できる物だったら、他の人たちにも活用してもらえるんじゃないか」ということで幅が広がりました。
各社の社員からも知恵をいただいて
異業種の良いところは、いろいろなメンバーがいますので、一緒に考えているうちにいろんなことに発想が広がっていくことです。メンバーは私の他に,自動車部品製造、電気関係、バネ製造、鉄筋、コンピューター関係、車の修理屋、お菓子機械製造メーカーと、多岐多様の会員さん達です。私達はそう知恵がありませんが、各社の各部署ではすばらしい人(技術屋さん達)がいます。あるテーマを持ち帰って、「こんなことはできないだろうか」と相談(強制ではなく相談)すれば、非常にいいアイデアも生まれてもくるものです。その中で出た知恵の一つがスペンサーです。鉄筋は鉄の線を使い結んでいたんですが、鉄板を切り抜いたやつでワンタッチで留まる。こんなことで留まるなんて、私が建設業に入って望んでいたことが、二十何年ぶりにして、やっと実現するのです。そうなると、「女性でもできるじゃないか」ということになり、鉄筋工事作業に女性が使えるという発想にまで発展していきます。すばらしいことだと思います。
開発商品が今月から出荷
会をやっていくうちに、不安や心配があった人たちも「チャレンジすれば、なにかが自分たちでも創れる」という自信ができてきました。九名は同友会の活動でもよく会っており、連帯意識を持つことで「何かをできる」という夢が生まれます。それが異業種交流のすばらしさではないかと思います。全員が同じことを考えていると時間が足りないので役割分担をしていますが、会合では「ここまでできた」と報告し,全員に知らせます。お互いにアドバイスできることはアドバイスをする。そこでどんなことを悩んでいるのかを言わなければ、アドバイスのしようがないので、悩みも当然出てきます。そして鉄筋関係の商品は、その道のプロのメンバーを経由し、私達の知り合いを通じて出ていくという形をとり、メンバーの中で少しでも必ず利益が出るようにしています。いよいよ今月から出荷が始まります。
リサイクルを念頭において
それ以外に、太陽光線を使い,効率よく暖房や冷房に切り替えていく床暖房システムも、ひとつの形ができようとしています。またパチンコの機械は、年間に六百万台作られていますが、処分できず問題になっています。何とか百三十万台を一遍に処理して,リサイクルできないかと実験を重ねています。これからは、新しいものをつくるというよりも、少ない資源をいかにリサイクルによって有効に使うかが大切だと思います。これらを踏まえながら、私たちは異業種交流の中からどうやったらそのようなものがつくっていけるのかを考え、異業種交流をやっていきたいと思います。
【文責事務局・内輪】
同業種(塗装業)ネットワーク潟`ェンジを設立して
北村誠氏潟Lタムラ塗装

青同で知り合った四人の仲間と
潟`ェンジは、四人で一千万を出資した会社で、建築塗装を中心とした会社です。「会社を創ろう」という話がでた時、私は第三青同に所属しており、私も含め、百名の地区会員の中に六社の塗装屋さんがいました。みんなは「このままでいいのかな」「何かをやらないと生き残っていけない」と思っていました。塗装業は、少数でやっている会社がほとんどです。年間約十億の売り上げの会社は名古屋でもトップグループの会社です。「単独ではできないが、力を合わせれば大きな受注もできるのではないか」と考え、スタートしました。この話は、三年ぐらい前からでていましたが、なかなかふん切りがつかずに来ていたのです。そんな中、去年十一月「ピカイチ一〇〇社」というイベントが、第三支部で行われました。「自分を売らなきゃ、物も会社も売れない」というスローガンで、それを目標にして会社設立を決め、今年の四月に塗装屋が三社と足場工事屋さんが一社、四社で設立しました。
同業でも内容が違う
なぜ同業者で潟`ェンジという会社をつくったのかというと、第三青同の中でも塗装屋が三社あるんですが、それぞれやっている内容が、すこしづつ違うのです。私どもの場合は、吹き付けで製品を塗るという建築機械の塗装をやっています。けれども年間の仕事の波があります。忙しい時には手が足りないことがあり、手のあいている同業の応援でしのいだり、逆の場合もあります。他の二社のうち,一社はマンション改装など建築の方が基本で、もう一社は、鉄関係の塗装などを得意にしている会社です。同友会に入り、最初に声をかけてくれたのが、今一緒にやっている人でした。その人もいろいろな悩みをもっており、「一社ではできないけど協力してくれたらできる仕事もあるよ」と言われ、一緒にやっています。
仲間がいるから
潟`ェンジをつくってから半年になります。五月から八月ぐらいまで、一週おきの土曜日に私達がつくったチラシを配りました。しかし、チラシを配布したからといって仕事がくるわけでもなく、今のところは半年で売り上げが三千万くらい、チラシの成果はまだ十件くらいです。しかし、何人かでやっているので、自分が気落ちしたときでも、他の人が頑張っているのをみると、やめれないと感じます。もともと私たちは一カ月の売り上げを五十万でも百万でも増やそうとして始めた会社ですので。
パソコンネットで人的支援交流も
今、中心の四名がパソコンを入れ、ISDNの回線でつなぎ、専用のソフトをつくっています。それを使えば、見積が今まで三十分かかったものが五分で出きます。私どもの仕事は非常に仕事の流れが早く、小さな物件では三〜四日で終わります。またある現場では、始めは二十人必要だが、機械が組み終わったら五人減らしてくれとかいうことがあるのです。まだ未完成ですが、このパソコンネットワークで「この日はこの人間とこの人間があいている」という情報を流しあい、互いに人的支援を行おうとしています。会社としては厳しい状況ですが、潰れませんでした。やっとここ二カ月くらいで月々一千万くらいの売り上げになっています。潟`ェンジを創ったからには「成功するまでやる」という気持ちを持ってみんなでやっています。
【文責事務局・内輪】