地域と共に歩む中小企業とは
豊かな暮らしや経済を支える地域の担い手として
■地域と共に歩む中小企業B■
地場産業を観光と結びつけて泉万醸造梶i知多地区)
知多半島の中ほど、三河湾に面した知多郡武豊町。この地で一九二二年(大正十年)から、味噌・醤油の醸造を営む泉万醸造鰍フ吉田静社長を取材をしました。地方の味と文化を築き七十七年間。吉田社長の第一印象は、物静かで伝統を伝え続ける文化人でした。
美浜ナチュラル村
一大醸造業の集積地知多半島
愛知といえば自動車産業に代表される一大工業集積地です。「知多半島の産業は」と聞かれれば、三河湾の豊かな漁場から捕れる海産物食品か常滑焼を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。ところが、この地方に古くから続く一大産業があります。それは酒や酢、醤油、味噌といった醸造業です。特に江戸時代には当時の大消費地江戸に近く、海運業の発達していた利便性によって「知多産の日本酒」が「難の日本酒」と競い合うほど大量生産されていました。
時代を予想し、商品アイテム日本一
泉万醸造も江戸時代に米屋を始め、大正十年に味噌と醤油の醸造業を創業します。吉田社長は、一九五〇年に「泉から万代に湧く」の意味から、泉万醸造株式会社に社名を変更し、今日まで味噌・醤油の醸造業として地元愛知の味覚を創り上げています。一九五九年からは、業務用製品の開発と製造販売に主力を置き、一九七三年からは多様化の時代に対応すべく、加工調味料部を新設。「たれ、つゆ、ソース、ドレッシング、スープ」などの製造を開始するなど、常に社会の要求を先取りし、会社を成長させてきました。最近では、業務用惣菜部門やレトルト食品部門の新設など、総合食品企業として、多品種生産、販売方式体勢を確立し、味噌・醤油業界では、商品アイテム数で日本一をほこっています。
郷土資料館「温故倉」
本社工場に隣接して三階建の白壁の倉「温故倉」があります。ここには醸造食品関係のルーツや初期の製造器具、郷土の文化資料、生産用具等が展示されています。この名前は「長い歴史をはぐくむ地域産業の発展、地域の味を作りあげた産業と企業文化を次世代に」という吉田社長の想いから、「故きを温ねて新しさを知る」という論語の中の故事からつけられました。永年この地で醸造業をこの地域と共に発展させてきた愛着が、郷土資料館として結実しています。
七年間の構想から「美浜ナチュラル村」を
また泉万醸造では一昨年から美浜町に「美浜ナチュラル村」を開村されました。目的は、地域に密着した企業展開と、知多半島の景観を生かした観光開発の一役を担う地域おこしです。この「美浜ナチュラル村」の計画は一九八七年頃から始まり、七年間ぐらいかけて実現しました。設立にあたっては、知多半島の観光資源を有効に利用できる土地探しから始まり、海が望めるロケーションの良い所を目標にして見つけたのが現在地です。
多くの人々に健康の花を
「多くの人々に健康の花を」をテーマに、健康自然食品の製造工場とその製品を販売する店やヘルシーレストラン「合掌館」があります。裏手の広大な敷地にはハーブ園や温室、野菜農園などがあり、文化的事業として、ナチュラル生活テーマ館、郷土資料館、ギャラリーなどを併設した観光ポイントとなっています。「これからの時代はただ単に物を『製造・販売』するというハードだけでなく、それにソフトを付け加えることが大切」という吉田社長の考え方から構想されました。
地域の特性を掘り起こして
一つ老舗を守る奥深い経営感。時代を読む先進性を時代の中で一つ一つを着実につかみ、経営資源として生かす。取材を終え、吉田社長のそんなしたたかさに感銘を受けました。中小企業が本拠地とする、また自分達の生活の場の特性を生かし、それを掘り起こすことにより、その土地が発展し、地域経済の「核」ができあがっていく。このことこそが、「中小企業が地域と共に存在する」という大きな役割の一つではないかと、再確認させていただきました。
潟Tンアンドサン近藤久修(広報委員)