第30回中同協総会(大阪)第九分科会より
「女性経営者の成長の場としての女性部活動」
高橋尚子氏(株)愛豊精機製作所・会長(愛知同友会女性部・部会長)

●不況と主人の死そして息子の家出
一九八七年の九月、前年からの不況で、給料を下げたところ五名が退社。この中で主人が亡くなり、私が社長になりました。残った社員に三年で給料を元に戻すことを約束し、その間の協力をお願いしました。息子は大学を辞め、仕事を手伝ってくれました。顔を真っ赤にする重労働を全部引き受けて、土曜、日曜も全部出勤、給料も安いなかで働いていましたが、当たり前と周囲も私も思っていました。半年が過ぎ、「お父さんの会社だからちゃんとしていると思っていたけれど、クチャクチャだ。あなたは人の顔色ばかり見て、僕の意見は聞こうとしない。明日から会社には出てくるが、あなたの言うことは絶対聞かない」と怒ったですね。私は、「あなたが言う事をきかないと誰もきかなくなるから、出ていって下さい」と自分でも意外なほど冷静に対応しました。けれど、会社だけでなく、家まで出て行かれると、息子に見放されたような気持ちになり、一層仕事に逃げ込みました。息子の「ちゃんとしていない」という言葉で、社外研修に参加し、ああ、やっぱり勉強しなければと思い、社内研修会も始めました。そのころから仕事が戻り、給料も元に戻すことができました。
●悩みが社長の仕事何があっても逃げない
三年目に入り、会社がおちついてくると社員の目が気になり始めました。現場は「社長が何と言うとも、お客様に言われたことだけはちゃんとしなければ」と一生懸命仕事をしていたので、会社は成り立ってきました。ちょうどそのころ、娘の嫁ぎ先のお舅さんの紹介で同友会と出あいました。女性部では、「問題や悩みが経営者の仕事。打ち寄せる波のように永久になくならないものだ。何があっても逃げない」ことを学びました。始めての地元の地区例会のテーマが「後継者問題」で、勇んで出かけましたが、「女の経営者なんか三年で潰れる」と面と向かって言われ、今思い出しても涙が出ます。しかし陰口でなく本音を直接ぶつけてくれる人達との出あいでした。
●息子が戻るまでにちゃんとした会社に
同友会に入会したその年の九月、あるセミナーを受講して、私自身、人から良く思われたい、見られたい人生であったこと、息子と正面から向き合っていなかったことに気づかされました。息子は昼は趣味、夜は学校と、のん気な毎日を送っており、私は心を痛めておりました。二年数カ月ぶりに息子の所へ出かけ、私が人間としてどう生きていきたいのか話し、「あなたも、あなた自身の人生を見て!」と語りかけました。息子は「オレが戻るまでに、ちゃんとした会社にしとけよ」と言ってくれました。息子との関係修復ができて、安心して仕事に取り組めるようになり、学んだことを素直に会社でやってみました。月二回の土日休みと、祭日休みで年間労働時間二千十八時間の実現や定年延長,そして,どんぶり勘定を事務員を入れて改めたり、働きやすい事務所と設計室を改築などを行いました。

●失敗と恥の連続甘えは許されない
さぞしっかり勉強していたかのようですが、女性部では失敗の連続でした。青年同友会に例会協力を頼みに行っても、テーマも主旨も言えないなど、同友会を甘く軽く見ていました。大変恥ずかしく、今でも冷や汗が出ます。失敗は許されても、甘えは許されないと思いました。女性部長になって理事会に参加し、「社長の私がこう言うんだから、あなた達がヤルのは当たり前」というわが社の問題点に気づきました。それまで私は同友会で学んだことを、「これいいからやってみよう」と、いきなり工場長や常務に指示し、組識はあっても機能しておらず、専務(現在の社長)は随分苦い想いをしていたと思います。まず自らが組識の筋を通さなければいけないことを学ばせてもらいました。
●社長交代と心の葛藤
女性部で副部長を受ける時も、部長を受ける時も、すごく迷いました。それが会社のことになると、「自分は社長にふさわしくない」と思っているのに、他人にバトンタッチするとなると、私欲というか、自分の手を放れると、この会社はどうなってしまうのかと思うんですね。この時、同友会では役割を受ける、会社では渡すと両方の体験ができました。女性部のお陰で、社長引き継ぎの決心が五年は早くできたと思います。後継者である息子の教育もこの新社長に「私は息子をよう育てません。厳しく育てて下さい」とお願いしました。しかし彼は立派なもので、「教えるとかではなく、向こうから来れば教える。こちらからちやほやしない」という返事で、自分の甘さに気づかされました。
●描いた夢が現実に
十年前あゆみの会で、(1)若い人が入社する会社、(2)寮を建てる、(3)自宅を建て直して息子と一緒に住むという三つの夢を報告しました。若い人の採用には同友会の共同求人があるのは知っていましたが、うちのような会社では参加は無理と勝手に思い込み、自社だけで取り組んだら二百万円もかかりました。これは続かないと共同求人に参加を決意しましたが、理念を成文化していないと参加できないとまた思い込み、これは私が一人で書いて出すわけに行きません。思い切って専務と話しあいました。共同求人に参加することが、専務と話をするきっかけになり、会社がきちんとし、会社の中が見えてくるようになりました。九七年四月には共同求人で採用した男性二人女性一人とあわせて、四人が入社してくれました。この十数年間、私は亡き主人に誉められるような会社にと頑張っているつもりでしたが、振り返ってみると、じつは息子に認めて欲しくてやっていたようです。私を見る一番厳しい目が息子だと気づきました。十年前に描いた夢は、今、全部、現実のものになっています。だからこそ、「経営者としての勉強は同友会へどうぞ」と声高らかに申し上げます。
【文責事務局・服部】