活動報告

第54回定時総会 第2分科会(4月24日)

同友会運動と企業経営は不離一体
~同友会での気づきを、企業でどう実践するか

馬場 愼一郎氏  データライン(株)

同友会理念の実践を今一度考える

同友会理念の実践を今一度考える

需要減で主力商品が売れない

当社はコンピュータ帳票の製造販売を主に行っていた印刷会社です。印刷業界は1998年をピークに事業所が毎月消え、2020年にはピーク時の半分になると言われています。当社の場合、この間主力商品として売上の柱だったコンピュータ帳票は、プリンタ技術の向上により需要が減少。毎年6~7%ずつ下がると予想し、事実、その商品の売上はピークの1997年から半分に激減しています。

私は、会社の売上がピークを記録した翌年の1998年に会社を引き継ぎました。実はこれ以後、売上が対前年を上回ったことは一度もありません。この要因は、主力商品であったストックフォームと呼ばれる標準品の需要激減に伴うものです。当社の売上ピーク時、この商品の売上に占める割合は7割近くありました。それが現在では5%程度にまで下がっています。

売上3割が、突然消える

当社の苦難の道のはじまりは突然でした。当時、その主力商品の3~4割は1社との取引に依存していました。そこから急に「半年後には取引をゼロにしてほしい」と言われたのです。当社の品質や価格に不満は無いが、その企業のグローバル調達戦略の一環で取引先を海外に移さざるを得ないとのことでした。

売上の3割が消える時、皆さんならどうするでしょうか。恐らく「残る7割をきっちり守り、あと3割を埋める新規取引を探して営業攻勢をかける」と考えると思います。当社もそうでした。しかし、今から思えば考えが甘く、この判断で貴重な2、3年を無駄にしました。ここで言えるのは、市場の構図を見なければ、何をやっても徒労に終わるということです。

数字で不安を押し殺す

売上が毎年減ると、社員が考えることは、この会社にいてもいいのか、ということです。沈みかけた船に乗りたくないのは当たり前です。そこで社員、そして私自身の将来への不安を取り除くために、5年後の会社の経費から逆算した必要な売上額、その実現のための方針・戦略を作り、全社大会(経営指針発表会)や朝礼、会議の場で発表・説明を行いました。一部の社員に対しては、士気向上や方向性をつける上で、良い効果がありました。しかし同時に、私の失敗もここにあったのです。

「走れる人はついてこい!足が遅い人は周回遅れでもいいからついてこい!」。これは私が全社大会で話した言葉です。一部の走れる社員だけで必死に新規事業の立ち上げに邁進できたものの、今思えば心ない言葉でした。そしてこの反省の裏側で、2003年に同友会と出会いました。

「君、1人でやってないか」

馬場 愼一郎氏

馬場 愼一郎氏

入会後、地区例会で報告する機会がありました。新事業を見つけ高揚していた私は、社長就任から新規事業を生み出す過程、会社の展望を話した記憶があります。その後のグル―プ討論で、ベテラン会員から「君のやっていることは正しそうだが、君1人でやってないか」と言われたのです。当時の私はピンと来ませんでした。なぜなら、会社が大変な状況の時に自分でやらないでどうするのか、社長の仕事は「社員の明日の仕事を作ること」だと考えていたからです。

苦労しながら新規事業を立ち上げ今後の展望を描いたことは、ほめられるものと思っていました。むしろ「明日にも会社がなくなるかもしれないのに、同友会は『人が大切だ』など理想論を話し合う。こんな会にいていいのか」とさえ考えていました。しかし他方では、「これだけ多くの人がこんなに『人が大切』と言うのだから、何かがあるのだろう」という気持ちもあり、その言葉がずっと胸に引っかかっていました。

この違和感の正体が分かったのは2007年の全社大会でした。以前のように経営計画を発表しても、社員が盛り上がりません。「走れる人はとにかくついてこい」と、一部の社員と奮闘しながら新規事業を立ち上げたものの、置き去りにされた半数以上の社員と私たちの間には、会社組織で仕事をする意味がないほど、意欲のギャップが生まれていたのです。

「やってたつもり」の同友会

同友会は人の問題をよく取り上げます。当然、地区でも「君の会社は社員との関係はどう」とよく聞かれました。そんな時、私は「会社がどうなるか分からない中、新しいことをしなければならないのに、全社員のことを相手にすることはできない」と考えていました。それに、新規事業を立ち上げた同志と呼べる社員も、幹部を含めて5名ほどいましたし、この5名を中心にした15、6名の社員は新規事業立ち上げのときによく動いてくれました。その意味では、同友会で言っている「全社一丸で」や「社員と共に」といったことはできているとさえ思っていました。

同友会の言う経営指針も作り、発表会も入会前からやってきました。これだけやっているにも関わらず、ついて来られないのはその人の責任だとさえ思っていました。ところが、先ほどの埋めようのないギャップを生んでしまったことに気づかされ、自分自身の考えを変える転機となったのです。偶然かもしれませんが、同友会で役を受け始めたのもこの頃です。

社長の本当の役割

同友会ではよく「理念」について語られますが、同友会と会社経営が不離一体と言うならば、同友会の理念ができた歴史を考えることも大切だと思います。

私は同友会の多くの書籍を読んで、「同友会理念は長い年月をかけて様々な人が知恵を出し合い、何度も議論をし、活動してきた中で生まれたもの」と感じました。理念から同友会ができたのではなく、問題関心を持った中小企業家が集まり、話し合い、経験を通して導き出したものから、理念が確立されてきたということです。

同友会は、まず問題があり、人が集まり、様々な議論を経て理念ができました。一方当社は、問題があり、社長である私や一部の社員が新規事業を立ち上げ、その他の社員は置いてきぼりでした。こう考えるうちに、社員の間に信頼関係や意欲のギャップを生んだ原因が「新規事業に共に取り組み、成し遂げたという共有の成功体験」があるかないかの違いだと思い至りました。共通体験がなく不信感を抱いた社員の存在を通じて、社長の役割は「社員の明日の仕事を作ること」だけではなく、「社員全員が一緒に考え、経験できる場を作ること」だと気づかされ、かつて「1人でやってないか」と言われた意味が分かったのです。

社員中心で5年後の会社を描く

現在、以上の反省を踏まえ、社員同士のギャップを埋めるために工夫しながら取り組んでいます。企業経営に変化はつき物です。昨年来、新規事業が再び必要だと痛感し、動き始めました。私は、今度こそは社員全員で取り組みたいと思い、社員中心のプロジェクトを立ち上げました。

その社員20数人で構成するプロジェクトの中から14名を選出し、2日間の合宿にも行きました。そこでは社員に「5年後、データラインはどんなお客さんに対して、何をしている会社でありたいか」という課題を出し、5年経つと部署の年齢も上がることを考慮に入れた上で、希望や夢を自由に出してもらいました。出た意見は全て記録してプロジェクトメンバーに配り、感想を求めました。その時、社員が自主的にビジョンをまとめたり、漫画にしたりする様子を見て、社員と一緒になって会社について考える楽しさを実感でき、嬉しく思っています。

私や幹部社員だけでなく社員全員で考えることにより、社内組織や事業転換、新規事業など5年後のビジョンが見えてきました。ハードルは高いものですが、私は以前のように1人ではありませんし、困難を前にして、前より気楽に感じています。こう思えるようになったのも、同友会で学んできたからです。私も社員も発展途上ですが、5年後には誰に見せても恥ずかしくない経営指針を作り、未来の見える会社にできるよう成長していきたいです。

同友会運動と企業経営は不離一体

参加者がそれぞれの実践を語る

参加者がそれぞれの実践を語る

同友会をぬるい会だと思っていた私ですが、今では同友会理念は正しいと自信を持って言えます。なぜなら、50年以上も変わらず支持され続けているものは信憑性が高いと思うからです。また同友会では「素直に受け入れよ」とも言われました。今ではその通りだと思っています。

例会で聞く報告は、ある経営者が自社のことを具体的に話すことで、参加者はその会社で起きている課題を一緒になって体験できます。グループ討論は、その共通の体験に基づいて理由を考え、答えのヒントを見出すものです。

参加者は、なぜそれがその会社でうまくいったのか、それをやる意味は何なのかを自分なりに理解した上で、自社で同様の効果を出すにはどうしたらいいかを具体的に考えることが大切だと思います。この手続きこそが、擬似的ですが、体験の共有と考えます。報告・討論・自問自答によって共有の体験をし、自社に合わせたやり方で実践する。これこそが、同友会運動と企業経営が不離一体ということだと思います。

【文責:事務局 三宅】