活動報告

第57回定時総会(4月24日)

同友会らしい先見企業づくり
“真の自立型”で永続する企業に

全体で357名が参加して開催

企業経営を通してより良い社会をめざそう

同友会と経営は不離一体

第57回定時総会が開催され、357名が参加しました。冒頭、加藤明彦会長は社会構造の変化に触れ、議案にある「情勢と展望」を活用すること、宮本悦子愛知県副知事より要請された女性活躍の促進を呼びかけました。

来賓の大村秀章愛知県知事からは、愛知県の製造品出荷額は40年連続で全国第1位であり、それを支えているのは中小企業であると激励のメッセージを頂きました。

基調講演には、中同協副会長の中村高明氏(福岡同友会・(株)紀之国屋)が登壇。サラリーマンから経営者になった中村氏は、悩み果てた末に同友会に入会。組織を階層化し全社一丸で指針書を作成したほか、貸し渋り問題では全国の経営者を励まし金融アセス運動を牽引しました。同友会運動と企業経営は不離一体であることが伝えられました。

総会議事では活動経過、決算、会計監査報告の承認と新年度役員の選出が行われ、会長に加藤氏、代表理事に佐藤祐一氏が再任されました。

人間らしく働ける会社を

佐藤代表理事からは、(1)低成長、(2)格差拡大、(3)人口減少、(4)商品のライフサイクルの短縮等の経済変化が起こると予測されるため、経営理念を浸透させ社員と共に情報収集し、先見企業になることが提案されました。

また、より良い社会を実現するためには中小企業が永く存在し続けることが不可欠であるとして、先見性を持った“真の自立型”企業を目指す方針が説明されました。

全体会では県全体の組織の活動や、専門分野を学ぶ場が紹介され、自社と運動との関わりを実感する内容でした。また特別報告として、アサイウッドマテリアの浅井勇詞氏が登壇。経営指針・採用・共育の三位一体の経営や、情勢を学び経営に活かしている実践報告が行われました。

【基調講演】同友会らしい先見企業づくり(4月24日)

中村 高明氏  (株)紀之国屋会長
(福岡同友会相談役理事、中同協副会長)

第57回定時総会の基調講演、中村高明氏の報告内容をご紹介します。

父の遺志を受け継ぐ

「人を生かす経営」を実践して

私の住む福岡県直方市はかつて筑豊炭田が中心の町で、父は個人経営で炭鉱にベアリングを販売していました。私は家業を継ぐのが嫌で、西日本鉄道(以下、西鉄)に就職して主に労務課の仕事をしていましたが、父が肝臓がんを患って他界しました。

生前、病床の父から紀之国屋の再興を手伝ってほしいと言われて約束したものの、内心は廃業するつもりでした。しかし、あの世で親父に会ったらどう言えばよいのかという思いが強まり、西鉄を辞めて紀之国屋を設立し、男性2人と女性1人の社員を引き継ぎました。

設立時のお客様はエネルギー革命中の炭鉱で、これでは食っていけなくなると思い、新規顧客を開拓しました。社員を増やし、社内の組織や設備も整い、会社を大きくしようという時期に、昇給額の低さを理由に社員の1人が退職願を出してきました。現場から離れて2階建ての組織を目指していた私は、その社員の給与をコソッと上げたのですが、翌日には皆に知れ渡っていました。

それからは、朝礼のたびに社員の顔色を窺っていました。「赤字になっても、社長がお金を銀行から借りて俺たちに賞与を払うのが当たり前」「そろそろこんな小さな会社とはおさらば」という声が聞こえ、私は社員に腹を立て、毎日酒を飲み、ノイローゼから自殺寸前までいきました。

ある日、取引先の社長に同友会を紹介されました。「何も知らないが、とにかく俺を救ってくれるなら」という思いから、46歳で入会しました。

2つの出合い

同友会の経営計画セミナーに参加して、2つのことに出合いました。

1つ目は、吉田松陰の名言「夢(志)なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」です。

2つ目は「人を生かす経営(労使見解)」です。これが発表された1975年は、労使対決やストライキが横行し、労働組合団体に経営者がつるし上げられるなど労使紛争が絶えない時代でした。これでは日本経済の健全な発展にならないと、先輩経営者が年月をかけ侃々諤々の議論の中で作り上げたのが、社員と経営者はパートナーと考える労使見解です。

私は西鉄の労務課にいたので、同友会がこのような時代に労使見解を発表し、「労使」の「使」を日本に普及させたことに驚きました。これを読んで私は経営計画書を作り、今年で30期目を迎えます。

両腕は長い時間をかけて育てる

同友会で「両腕をつくろう」という気運が高まっていて、私は他社の営業を引き抜き、常務として迎えました。その後、不慮の事故で母が急死し、企画していた展示即売会の仕事の一切を彼に任せましたが、戻ってみると営業成績は惨憺たる状態。理由は、彼と未亡人の女性社員が不倫関係にあり、誰も彼の指示に従わなかったからでした。

この私の失敗から、両腕は自分と価値観が同じになるまで時間をかけて育てなければならない、もっと社員とコミュニケーションを取らないといけない、ということを知ってほしいのです。

第1回と第2回の経営計画書は全部私が作ったのですが、社員の目標到達意識も薄く、悩んでいました。労使見解を隅々まで見直して、やはり「現状認識を一致させて社員と一緒になって作らないといかん」と思い、1泊2日の合宿を行いました。その際に、社員が経常利益や労働分配率を理解していないことが分かったのです。

そこで、簿記やB/S、P/Lの勉強会を始めました。今では、社長が年頭に1年の目標経営利益を伝えると、部門長たちは自部門の目標経常利益、目標粗利益を計算します。目標達成のために何を行うかなどをみんなで議論できるようになり、PDCAが回るようになりました。

経理をオープンにしたのは、社員が一生懸命働いた結果がB/SやP/Lに数字となって表れますので、当然その結果を社員に示す義務が経営者にはあると思ったからです。毎月決算が出ますと、細やかに社員に提示しました。

「同友会運動と経営は不離一体」(中村高明氏)

経営理念を浸透させる

代表理事に選任され、共同求人で新卒採用を行う先輩会員を見て、自社でも組織化を目指して新卒採用を始めました。新卒採用を通して彼らの人生を我々が預かっているという思いが強くなり、企業を永続させないといけないとさらに思うようになりました。

また若い社員にも理解できるように経営理念を改訂し、それを実践するためにどうするかを合宿にて議論しました。その結果、「経営理念実現のための行動規範(5つの誓い)」と、理念に掲げた「福の神」を徹底するために「福の神運動」をまとめました。

そうして経営理念の浸透を目指す中、就業時間中に喫茶店に自社の営業社員の車を見つけ、私が出先から戻ってもまだ彼はそこにいました。帰社した彼に今日はどこを回ったのかと聞くと、どこそこを回ってきたと言うのです。喫茶店で車を見たと伝えると、ようやく白状しました。

私は「なんでこんなことが起こるのか」と悩みました。同友会で何かヒントがないかと探すと、故赤石義博さんの「集団への忠誠心」という言葉に出合いました。これは愛社精神を謳ったものではなく、同じ釜の飯を食う会社の仲間に対する想いを謳ったものです。それ以降、経営指針書に「福の神運動」と「集団への忠誠心」を入れ、行動がおかしい社員にはこれを読むよう指示しています。

承継の重要性

社員数も増え、ますます会社を承継し、継続させる重要性を感じるようになりました。社員に二度、後継者を募りましたが、誰も手を挙げません。そこで幹部の中から成長が著しかった娘婿を後継者に指名し、他の幹部の納得の上で2008年に社長を交代しました。

しかし、同時期に発生したリーマンショックで売り上げが激減し、社長がどんどん痩せていきました。私は愛知同友会の加藤明彦会長、故佐々木正喜会長(当時)に頼んで社長と共に工場見学へ行きました。その際に聞いたお二方の「この不況は必ず回復するから雇用は絶対守る」「運転資金は既に銀行と話して準備している」という言葉に、社長は大きな刺激を受け、結果としてリストラすることなく苦境を乗り越えられました。

中村氏の出版した書籍を紹介

同友会で会社も人生も変わる

この先、産業構造がどう変化するかは分りません。社長にも10年先を見てどう事業構造を再構築したらいいのか、同友会でいう10年ビジョンを考える必要があると話しています。若い社員に対する責任もあるので、経営戦略も考えていかないといけません。

自殺寸前で同友会に入会し、多くのことを学び実践する中で、自社は家業から企業へと変わっていきました。同時に、支部長や県の理事、代表理事、中同協幹事などを務め、福岡県内だけでなく全国の多くの人との出会いが、私を心身共に豊かにしてくれ、人生を充実させることができました。

皆さん、役員のお声が掛かりましたら「はい喜んで」と挑戦していただきたいです。役員をしていると、自分が考える以上に自分の人生というものが大きく充実していきます。なんといっても同友会運動と企業経営は不離一体ですから。ぜひとも役員への挑戦をお薦めします。

【文責:事務局 大平】

写真で見る第57回定時総会

クリックするとPDFファイルが開きます