活動報告

なんとしても生き残る(2)

なんとしても克ち進む

加藤 明彦 愛知同友会会長
エイベックス(株)代表取締役会長

加藤 明彦氏

「経営者の責任」とは

「売上がマイナスになるのでは」と、リーマンショックの時に動揺していたことを思い出します。落ち着いて考えてみれば、会社の利益が赤字になることがあっても、売上がゼロを下回ることはありません。今、リーマンショックを経験したことがない経営者の中には、かつての私と同じように不安な思いをしている人もいるかもしれません。

あの当時、私は同友会で学んできたことを思い出し、「このような激変の時に同友会の先人たちはどう考えて乗り切ってきたのだろうか」と集中して考える時間をつくりました。そして、同友会の書籍の基本中の基本である「人を生かす経営」を読み返しました。そこには、初めに「経営者の責任」という言葉が出てきます。

それは「いかに環境がきびしくとも、時代の変化に対応して、経営を維持し発展させる責任があります」の部分です。一番重要なのは、いかなる困難な状況があっても、その原因を他に求めたり、仕方がないとあきらめたりしないで、経営者として十分な責任を果たしていくこと。それをしない経営者は失格ではないか。そして、「経営全般について明確な指針をつくることがなによりも大切」ではないか、と問いかけています。

差別化による市場創造

コロナ禍との違いを考えてみると、リーマンショックは、金融バブルの崩壊で企業収益・貿易量が下がるという「大きな経済の縮小」で、打った「経営戦略」は『市場開拓による市場創造』でした。今回は、世界において接触・移動が制限されることに伴う経済の停止・停滞による売上減なので、「経営戦略」は市場の環境変化に対応した未来への、『差別化による市場創造』だと考えています。

従来のやり方が通用しなくなり、世の中の変化に対応すべく企業変革を進めていくことが最も重要だといえます。「コロナはいずれ収束するが、V字回復はない」と危機感を持ち続け、新しい展開を模索しています。

危機から学び、「攻めの手」を打つ

佐藤 祐一 代表理事
(株)羽根田商会代表取締役

佐藤 祐一氏

リーマンショック回想

2008年9月のリーマンショック時、弊社が大きく依存していた自動車産業は02年からの右肩上がりの真最中でした。07年にはT社の国内生産台数は過去最高の422万台を超え、08年はそれを上回る勢いで進んでいました。そこへ突然、米国発の不況が襲ってきたのです。

最初は「海外の問題だ」と高を括っていましたが、弊社の売上は12月から翌年4月にかけて急降下し、前年同月比75%減というところまでいきました。落ちている5カ月の、生きた心地のしない不安と恐怖の入り混じった感覚は、「もう二度と経験したくない」ものでした。その後、自動車産業は回復に転じましたが、弊社はリーマン前の売上を回復するのに7年を費やすことになります。非常に長く、苦しい7年間でした。

その間、あの恐怖と不安を避けることだけを考え、自動車産業への1本足打法から他の産業への展開、売上が落ちても利益が確保できる付加価値重視への転換と、それを実現するための技術部の新設、海外も含めた市場の分散等、さまざまなコストダウンへの取り組みをしてきました。15年からは生産性向上をキーワードにIT化、営業や物流の拠点の見直し、働き方改革とそれに伴う評価制度や就業規則の改定等、会社の体質強化のための施策を試行錯誤しながら進めたのです。同時に、不動在庫などの負の遺産の処理も進めました。まだ道半ばですが、17年からの3年間は最高の売上を連続で更新するところまで来ました。

先を読み、備える

この一連の経験を通して得た教訓のひとつは、「先を読む」ことでした。危機に直面して初めて対応するのと、わかっていて事前に手を打つのとでは雲泥の差があります。リーマンショックは不意打ちに近いものでしたので、対応が後手に回りました。リーマン以後は景況分析会議に出席するとともに、本を読んだりセミナーや勉強会に出席したりして、マクロ経済学的な視点を身につけるよう努力してきました。

今回のコロナショックは見通せませんでしたが、一昨年後半からの中国経済の失速から不況が近いと予測し、昨年はその備えをしてきました。また、年初に武漢で新たなウイルスが広まったことは、懸念材料として1月に開催した経営指針発表会でも話をしていました。そのおかげで、弊社は今のところ売上を落とさずに済んでいます。

時間をかけた体質改善

その要因は、自動車産業の1本足から、半導体製造装置、ロボット、食品機械などの産業へと広げたことが効いています。優良なお客様を開拓できたことも大きいでしょう。もちろん、今回は全産業、全世界に影響が波及するので、これで十分とは言えません。今年の後半に予想される落ち込みはさすがに吸収しきれず、多少なりとも減少は覚悟しています。

一方、大きな売上減少を避けられたことで、この先の手を打つ余裕ができました。そこで、今後伸ばしたい半導体関連に精通した人材をスカウトしたほか、コロナを機に本格的に始動したテレワークを定着させ、営業や社内の事務処理の機械化、すなわちデジタル化を強力に推し進めることにしました。これは、5年前に2名のITエンジニアを採用して進めてきたITシステムの刷新、クラウド化が土台にあったからこそのことです。

まだコロナ渦は終わったわけではありませんが、現時点で振り返ってみると、危機から学び、先を見て、時間をかけて体質を変えてきたことが、この危機においても「攻めの手」を打てる状況を生み出してくれたと思います。

感染症との共存も

コロナ渦が去ったとしても、感染症がなくなることはありません。そうだとすれば、これからは感染リスクを低減しながら、上手に付き合っていくしかありません。それを実現できれば、事業を継続でき、サプライチェーンの維持が顧客の安心感を高め、自社の独自性、競争力の獲得につながると思います。

まずは、この第1波をしのぐこと。次に第2波、第3波が来る前に自社の戦略を見直し、経営指針書を通して「方針を社員と共有」すること。さらにもう一歩進んで、感染症と共存できる「非接触」型の仕事の形をつくることが、「永続する企業」につながると思います。それはまさに、私たちが最も大切にする「社員の健康と生活を守る」ことになります。

この危機はまだまだ続きます。今の状況をまっすぐ見つめ、そこから学びましょう。逃げたり避けたりするのではなく、逆にこの危機をバネにして強い会社をつくりましょう。その努力を続けることが「経営者の責任」だと思います。厳しい時ですが、共に前を向いて頑張りましょう。

すべてがチャレンジのつもりで

青木 義彦 副代表理事
(株)サンテック代表取締役

青木 義彦氏

会社設立から35年

私は自社の設立から35年、ひたすらに会社の成長と発展をめざしてやってきました。独りでソフト開発を生業としてから3年後、仲間を募り、株式会社の設立へと踏み切りました。当時は後先を考えない想いだけでのスタートでしたが、時代を読めている自覚が強かったので不安は全くありませんでした。

とはいえ、社員を雇用すると意識が一変しました。独りなら何が来ても生きられるという確信が、そうでなくなったのです。直後の円高不況による仕事の不安から、雇用は守れるのか、倒産・破産してしまうのではないかという不安へと増幅していったと記憶しています。

90年代は、バブル崩壊後の大量失業と社会不安でも顧客から信頼されれば、小規模企業は必ず生きられると確信していました。その時代に「顧客第一」「社員第一」といわれる風潮に対して、一通りの関心を払いましたが、私は常に「仕事第一」を考え方としてきました。これは、「今(目の前)」だけでなく、「未来」の仕事をも意味しています。これは私の経営の考え方としての、企業理念のベースでもあります。

社員と共に乗り越える

リーマンショック後も落ち込みは大きかったですが、着実な活動を心がけて、時間をかけて乗り越えられました。今、新型コロナウイルスは感染の脅威以上に大きな社会的危機になりつつあります。これまでの35年を無駄にしないためにも、今は現状を正しく認識し、未来を読み違えないことに集中しています。社員と共に、顧客や社会の変化に対応することに徹している日々です。

先ず生き延びるためにすることを優先しつつ、明日、明後日の糧を確保しながら、数年後や10年ビジョンの達成に向け社員と力を合わせることに専念しています。こうした考えを持てるようになったのは、2002年に同友会に入会して多くの先輩経営者と交流できたことと、「労使見解」はじめ「同友会理念」に支えられたおかげだと思います。

かつて経験したことのない状況であり、すべてがチャレンジのつもりで仲間と議論しながら共に進んでいます。いずれ、具体的な事例を報告できるよう頑張っていきます。