活動報告

人を生かす経営総合学習会(第5回/2月9日)

人間にとっての教育とは

植田 健男氏  名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授

「教育の目的は人間的な自立を導くこと」と語る植田教授

「教育の目的は人間的な自立を導くこと」と語る植田教授

第5回「人を生かす経営総合学習会」では、名古屋大学大学院教授の植田健男氏にお話しいただきました。以下に概要を紹介します。

管理と競争の教育の中で

戦前の教育のあり方に対する反省のもとに、戦後教育改革の中で「国家教育」から「人間教育」へと、教育理念の根本的な転換が図られました。しかし、戦後の経済復興期にかけて、高度経済成長政策という新たな経済政策がとられました。それを支える「人づくり」のために、学校では教育における競争の組織化が進められました。この政策の展開の中で国民総生産(GNP)が拡大され、所得配分が進められることにより「一億総中流」意識が広がりました。それと共に、さらに学歴競争が激化していったのです。

1990年代以降は、国際競争環境の大きな変化を受けて、戦後2度目の産業構造の大転換が画策されます。それまでの工業社会化から、知識基盤社会化への転換が目指されるようになり、新たな産業を支える上位3割の突出したエリートの養成が焦点化しました。一方、一般大衆の教育は削減の対象とされ、「公教育スリム化」論が打ち出されました。これにより、少数の創造的なエリートと大多数の流動的労働者という新たな構図が生まれたのです。

生きる・働く・学ぶ

「人間として生きるために学ぶ」ということが伝えられないまま、国の経済政策によって学校が変えられるという矛盾が続いてきました。戦前の反省から絶対に守らなければならないと確認されたものが、こうして、今、忘れ去られようとしています。人間尊重が根本になければ、教育も社会もどんどんおかしくなってしまいます。

愛知県は、大学進学や就職において圧倒的に地元志向が強いだけでなく、「管理と競争の教育」が特徴とされてきました。「能力主義」により、「学び」の中身が暗記の訓練に終始し、「学ぶこと」の意味が見えなくなっています。勉強のできる子は自ら競争の中に入っていきますが、そうでない子は大量の校則による管理の対象となります。

山田洋次監督は、映画『学校』の中で「学ぶこと」の本来の意味を描いています。働きながら学ぶ彼らは、学ぶことが喜びであり、より良く生きるために学んでいくのです。働くことは本来、より人間らしく生きることと深く結びついており、それは学ぶことを通して深められていくという関係にあります。

人間的な自立をめざして

私は同友会の「経営指針」に強い関心を持っています。学校では「教育課程」といいますが、ここから変えていかなければ学校は変わりません。「教育の目的」は、「人間的な自立」を導くことにあります。それは、自らを含めて他者を「人間として尊重」し、何があっても自らの人間性を捨てたり諦めたりせず、より人間らしい自分を求めて努力していくことです。

私と皆さんとで、それぞれ持ち場は違いますが、目指しているところはそんなに変わらないと思います。「持ち場」を超えて、今の状況や何が課題なのかを交流し合う中で、ヒントを得られるのではないかと思います。働く場の中で「生きること」と「学ぶこと」を追求していただき、その結果を教えていただければ嬉しく思います。同友会の「共育ち」は、今の社会に求められているとても大切な部分だと思っています。