【第1分科会】
経営を支え、ともに生きるパートナーとして
大﨑 佳子氏 (株)萬秀フルーツ
6月21日~22日に埼玉で開催された女性経営者全国交流会の第1分科会に、萬秀フルーツの大﨑佳子氏が報告者として登壇しました。以下に概要を紹介します。
第1の危機~同友会入会のきっかけ
萬秀フルーツは愛知県の美浜町にある農園で、もともとみかん農家でしたが、今はグレープフルーツ・ブルーベリー・バナナなどを栽培しています。
法人化の翌年、当社は第1の危機を迎えます。みかんが土を介してうつる病気に罹り、生産品をグレープフルーツに転換しますが、植えてから収穫まで数年かかるので、毎年少しずつ植え替えました。
2年目から販売を開始しますが、個人向けなので、果実をきれいにして包装し、直売所へ運ぶ人が必要です。栽培に関わっておらず、人件費もかからない、そんな人は私だけでした。それが、私が事業に関わり始めたきっかけでした。
私は経営も農業も知らず、社長の言うことが理解できませんでした。社長から渡された本を何冊も読み、解らないことを社長に尋ねると「自分で調べろ」と突き放されて、私は「何でもゼロから教えてもらえる」と勘違いをしていたことに気づき、自分で考えよう、自分から学ぼう、という気持ちになれました。
そんな私も、この萬秀フルーツをなんとかしたいという気持ちを持っていました。悩んでいた時、社長に勧められて大阪で開催された女性経営者全国交流会(以下、女全交)に参加し、夫婦で経営されている報告を聞いて、「夫婦で意見が違うのは当たり前。だから話し合いが大切」ということを学びました。
第2の危機~ナンバー2として意識する
グレープフルーツ栽培が軌道に乗り始めた頃、第2の危機が訪れます。みかんにしか感染しないはずの病気が、グレープフルーツにも感染することが判ったのです。しかし落ち込んでばかりはいられません。
果実販売以外にジャムなどの加工も始めますが、すでにジャムは市場に溢れていました。客層に合わせたパッケージデザインで「FOODEX美食女子グランプリ」に出展して銀賞を頂き、加工に対する考えに間違いなかったことを確認。その考えを基本に、「美味しい」は当たり前で、「見て可愛い、手に取って楽しい」気持ちになってほしい、と加工品に力を入れました。
同時に、実が成る前にお金を頂けるので「オーナー制度」も始めましたが、オーナーが萬秀フルーツの果実だと言って配ってくださることで新しいお客様も増えました。関わる全ての方が会社を育ててくれていると思います。
同友会で学ぶ中で、経営者として自分に足りない部分が見え、「私じゃなかったら、社長はもっと楽に経営できたかもしれない」と、自分に全く自信が持てず、不安で仕方がありませんでした。この年、熊本で行われた女全交に参加して自分の苦しい胸の内を初めて吐き出し、参加者から励ましの言葉を頂いて、「もう一度やっていこう」と決意できました。
第3の危機~経営者として意識する
翌年は、計画ではみかんの収穫を上回ったグレープフルーツが当社を支える最初の年になるはずでした。しかし第3の危機が襲います。病気でも実に影響が出ない品種を植えたはずが、1ハウス全て違っていたのです。当時は苗木屋もグレープフルーツに詳しくなく間違えたようで、苗木代だけの弁償を泣く泣く受け入れました。
この時は、借入で乗り切りましたが、それを返すためすぐ収穫できる作物としてブルーベリーを購入しました。この流れはとても速く、私は「このままではついていけない」と思って社長に経営指針の見直しを提案。社長と2人で2日間しっかりと見直して作ったのが「2018萬秀ビジョン」です。この時、社長がどんな思いで萬秀フルーツを育ててきたか、今からどこに向かおうとしているのかを知りました。
私はこの見直しを通して経営者としてやっていく覚悟が持てました。社長と「これからのこと」を話せるようになり、経営が楽しいと思えるようになりました。
今後の萬秀フルーツ
お客様にもっと楽しんでもらおうと、今年7月から農園見学を開始します。ハウスを見てもらい、農園の全てを楽しんでいただき、新しい発見もある、果実を使った甘味の販売もある、そういう農園にしたいと思っています。
この農園の名前は、公募した候補の中から最終的に私が「ちたフルーツビレッジ」と決めました。これまで大切なことは全て社長に決めてもらっており、上手くいかなくなると決めた社長のせいにしていましたが、もう誰のせいにもできなくなりました。
指針の見直しをするまで私は決算書すら見せてもらえませんでしたが、今は何でも相談してもらえるようになりました。中でも、社長が普段は言わない愚痴を私には言うようになり、辛いことを言ってもらえて安心したと同時に、これまで以上に社長を支えないといけない、と決意しました。
私は社長とは夫婦ですが、昨年、社長が私に「萬秀フルーツの経営者は2人で1人だ、『ニコイチ』だ」と言ってくれました。とてもうれしかったのと同時に、厳しい社長が辛抱強く私を待っていてくれたのだと思いました。
社長が毎日寝る寸前まで会社のことを考えているのを見ると、「この人以上の努力はできない」と思います。そんな社長を支えつつ、私はこれから自分の道を切り拓いていきたいと思います。
【文責 事務局・井上一】