活動報告

第22回障全交(愛知) 第3回実行委員会(9月30日)

障害者雇用運動発祥の地 愛知の歴史を辿る

浅海 正義氏  みらい経営研究所(千種地区)
鈴木 清覚氏  (福)ゆたか福祉会(南地区)
江尻 富吉氏  信濃工業(株)(あま地区)

2023年10月19日・20日に愛知で開催される第22回障害者問題全国交流会のキャッチコピーは、「ようこそ! 障害者雇用発祥の地 愛知へ」です。第3回実行委員会では、「発祥の地」の所以と意義を、当時の取り組みを知る会員の皆さんから学びました。

名古屋同友会と障害者との関わり
1960年代~

1989年愛知開催の第4回障全交の懇親会で「うたごえ」を届けてくれた、つゆはし作業所の仲間たち

人手不足の解消が発端

【浅海】名古屋中小企業家同友会(現・愛知中小企業家同友会)は、1962年に発足しました。高度成長期であった1960年代、会員企業は人手不足問題を解消しようと知的障害の生徒たちが通う学校と関わり始めました。見学や先生との懇談を重ね、1964年10月10日発行の「名古屋同友会報」では、次のように発信しています。

「力をおしまないなら、彼ら特殊学級の生徒達に対していま必要な力を出せると思う。(中略)この問題で当面していることは第1に理解であり、第2に理解の上に立った具体的な協力であると思う。以上の観点に立ってこそ特殊学級生徒の就職は成功する。人作りの本当の意味はここに在るのではないか」。

その精神を引き継いで、当時の佐藤鉱一代表理事は「我が子のこととして考えるだけでこの問題は解決できる。是非、会としてもとりくみたい」と全県での取り組みを呼びかけています。

新たな問題に取り組む
~作業所の建設運動

【浅海】そのような中、障害者が働く作業所の問題が目の前に飛び込んできました。

1968年3月、名古屋市南区のジャズドラムメーカー片山工業の一角に、名古屋グッドウィル工場という作業所がつくられました。しかし、翌69年2月、不況のあおりを受けて片山工業が倒産し、名古屋グッドウィル工場で働いていた指導員や障害者たちも行き場を失います。

この相談を受けた名古屋同友会は、理事会で討議し、寄付金を出して終わりという慈善的なものではなく、末永く障害者の人たちの生活と労働を保障する場をつくろうと、土地や仕事の提供、作業所建設資金の出資、保護者の方々と一緒に街頭署名など精力的に取り組み、全国初の無認可の「ゆたか共同作業所」誕生にこぎつけます。

――人間尊重経営を学ぶ我々が、障害者を見て見ぬふりはできない、また、慈善ではなく生活と労働を保障する、という点が重要ですね。当時、会全体で取り組むことができたのはなぜでしょう。

【浅海】当時は高度成長時代で、経営的に追い風でした。もう1つの理由は、社会状況です。60年安保(日米安保条約の改定問題を巡る闘争)により、日本国内は大きく2分し、その中で「人間尊重」を貫く同友会会員は、互いに手をつなぎ団結しようとする強い気風を持っていました。また、会員数は200名程だったので団結しやすかったと思います。

――そもそもなぜ名古屋グッドウィル工場はつくられたのでしょうか。

【鈴木】愛知は障害者運動が進んでいた地域です。その理由の1つに、当時、名古屋市昭和区にあった日本福祉大学の存在があります。社会福祉を学ぶ大学は、日本ではまだ珍しい時代でした。

1960年代は、親の強い要望で特殊学級が設置され、生徒たちの卒業後の進路問題が、日本福祉大学の秦安雄先生らに持ち込まれました。高度成長期で人手は不足していましたが、重い障害のある生徒たちの一般就労は難しく、自分たちで作業所をつくろうということになったのです。

名古屋グッドウィル工場が倒産した時、関係者たちは「不況によって路頭に迷うような作業所ではダメだ。柱1本ずつ持ち寄ってでも、自分たちの手で工場を再建しよう」と自主・自力の覚悟で取り組んでいました。

――「自主・自力」の精神が、同友会との結び付きを一層強めたと言えますね。

脈々と受け継がれる「人間尊重経営」の精神
1980年代~

1998年愛知開催の第9回障全交「地下鉄の階段での追体験」(第5分科会)

【江尻】私は1976年に愛知同友会に入会し、障害者問題委員会(現・障害者自立応援委員会)に所属し、1992年から5年間、委員長を務めました。

ゆたか作業所の建設運動以降、1986年に障害者問題委員会が発足し、その後は、ゆたか福祉会以外の障害者団体とも連携を進めていきました。

90年代には同友会の中で企業の柱となる経営指針の勉強会が始まっており、委員会でも理念と方針を立て、「人間尊重経営」を深めようと発信しました。しかし、理事会で委員会の主旨を説明しても、「障害者が身内にいる会員の委員会」という誤った認識が根強く、どうしたものかと歴代委員長の中村千冬氏、松田昌久氏、田中誠氏らと語り合った日もありました。

ドルショック、オイルショック、バブル崩壊等、中小企業を巡る経営環境は厳しく、リーマンショック時には多くの障害者が解雇され、委員会は「不況の波に振り回される障害者雇用ではダメだ。かけがえのない社員として雇用し、成長する風土をつくろう」と呼びかけました。

今、多くの理事が委員会に参加されるようになり、「1社1人関わる運動」の広がりを実感しています。

【鈴木】1981年、国連「国際障害者年」に神奈川で開催された第11回中小企業問題全国研究集会(全研)において、全研名で発表された「国際障害者年にあたってのアピール」は、障害者雇用運動にとって非常に意義あるターニングポイントとなりました。これをしっかりと継承していくことが大切です。

【浅海】最近の同友Aichiで、「障害者雇用には人間尊重の意義がある」と訴えた浅井順一障害者自立応援委員長の報告を読み、脈々と「人間尊重経営」の精神が受け継がれているのだと嬉しくなりました。困っている人を放っておくことはできない、それが同友会理念です。

【文責:事務局 岩附】