遠山 昌夫 氏 「人を人として信じる」

01_tooyama遠山 昌夫(とおやま まさお)氏
菊水化学工業(株)(創立会員・会顧問・西地区)

1930年4月神戸市生まれ。59年菊水化学工業(株)創業、62年名古屋中小企業家同友会の創立に参画し初代代表理事に就任。1975年まで代表理事などを務め、以降、副会長、会長を歴任し、1987年から顧問に就任し、現在に至る。

ピンチをチャンスに

私は塗料製造販売会社の菊水商事(有)を一九五九年に興しました。二年後の年商一億、社員数が三十名程の時、大赤字になり会社が潰れそうになりました。本当に首を吊ろうかとも考えました。名古屋同友会(愛知同友会の前身)があり会社もあり、そして子供二名がいて、もがき苦しみました。

そんな時にクーデターが起こり優秀な社員が二名やめて独立してしまったのです。私は何のために経営をやっているか、自分の存在価値を問いました。お寺を借りて、休日は一日中喧々諤々の厳しい討論を三カ月間続けました。

これで社員が成長してきたと思います。話しあいの結果、世の中の為になる会社、つぶれたら世の中が困る会社にならなければいけないことに気づきました。

当然のことですが、社会性・科学性そして人間性が絶対に必要であることがわかりました。経営理念ができた時は感動して社員と抱き合って泣いたものです。

社員の人生を背負う

現在の「同友会三つの目的」を作るのに参画し、ガンガン討議したのを覚えています。しかし「労使見解」の議論には参加しませんでした。

なぜなら発想が違っていて沈黙していたのです。私には労働を売って賃金をもらうという発想がなかった。労使の関係という存在そのものがなかったからです。

こんなことがありました。各地に赤旗が立つ労働争議が激しかった頃、当社が大赤字を出したのですが、頑張っている社員に申し訳ないと思い夏期賞与を出そうとしました。

すると役員から「社長は会社を潰す気ですか」と迫られ、社員(特に奥さん)に聞いてみる事にしました。その後、社員は小グループに分かれて討議し翌日にはボーナス返上を決定してくれたのです。

会社の資金繰りが苦しい時には、社員が社債を全部買ってくれました。後に持ち株制に発展し、増資のために三億までは株を買ってもらいました。苦労を共にした社員は株をたくさん持っていたので、一九八八年に当社が名古屋証券取引所の株式上場した時にその株を売って利得を得ることができました。

会社は社員のためにあります。そんな会社を作ればいい。社長が偉いわけではありません。社員の人生を背負っているのです。社員は引き返すことのできない一本道を歩いています。人を人と信じなければ、会社はなりたちません。

いま経営者に伝えたいこと

全国に先駆けて障害者に光をあてた「ゆたか福祉会」などでは、障害者の方との出会いが感動の連続でした。それは自分の人間としての成長につながっていました。

日本はこのままではいけません。少子高齢化で国内で物が売れなくなり、ますます海外への進出は急速に進むと思います。また若い人の意識に未来や希望がない。

希望は自分で作り出すものですが、国の政策を見ていると将来が暗くなります。従って経営者自身も変わらないといけません。自分のことだけでなくこの国をどうしていくか考えなければなりません。中小企業の目線にたつ同友会のファンを政治や行政の中に広げるのです。

世の中の環境が変わる時は新しい仕事が増えます。高齢化を見据えた、電球ひとつでも交換し日々の困りごとをすべて解消できるようなサービスなども需要が出てくると思います。相手の目線まで下げ、心からサービスをするのです。

会員の自主性が愛知同友会の強み

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創立総会での遠山氏

早く五千名は達成していただきたいと思います。愛知同友会の発展の様子はいつも見ています。地域を細かく分けて小グループ活動をはじめたのは、愛知同友会で、創立から三年ほどしてからです。

このひとつひとつの単位(地区やグループ会)が同友会理念に基づく活動を会員が自主的に行っていかなければなりません。事務局が情報発信を全部やっていたらダメなのです。

この小さな単位はどんどん増やすと良いと思います。時には地区会長を全員集めて意思統一をはかる。それは組織の指導者を増やし、その役割を得た事でリーダーの資質を磨く事ができるのです。

それが、疲弊した地域経済を活性化に導き、生き生きとした地域づくりにつながることを期待しています。

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