浅海 正義(あさうみ まさよし)氏
社会福祉法人ゆたか福祉会(創立会員・名誉会員・千種地区)
1925年3月生まれ。菊水化学工業(株)発足と同時に入社、役員を歴任し、株式上場の足がかりを作る。93年定年退職後、95年社会福祉法人「ゆたか福祉会」の副理事長に就任、現在は顧問。同友会では労務労働委員会の副委員長を始め、愛知県中小企業研究財団の役員を歴任。現在は常務理事を務める。
会歴に関係ない横一線のつながり
私は同じく名誉会員でもある菊水化学の遠山昌夫氏と同じ会社に在籍していました。
当時の会社はまだ小さく、二人も同友会運動に入り込んでいては、会社が廻りません。しかし会の創立と同時に、遠山氏が代表理事となり、この最初の課題が「会員増強」となれば、否応なく、会員にさせられました。言うなれば増強会員第一号というところでしょうか。
サラリーマンからの転職の私にとっては、企業経営はまったくの素人でした。ですので同友会での勉強や、先輩経営者の厳しい指摘に、歯を食い縛って頑張ったものです。そこから経営に反映でき、経営者の端くれにも育てて頂けました。多くの知人、友人に恵まれ、まさに同友会は人生の生きた学校だといえます。
社会的弱者を下支え
菊水化学を九三年に定年退職し、九五年に社会福祉法人「ゆたか福祉会」に非常勤の副理事長として就任しました。ここでもいろいろと困難に遭遇しましたが、今年創立四〇周年を迎えます。そこでは、新しい経営指針の確立のもと、厳しい福祉行政にも屈せず、職員、仲間と親、同友会会員を含めて関係者の協力を得ながら、新しい飛躍に向けて頑張っています。
ゆたか福祉会は四十二年前(一九六八年)、名古屋グッドウィル工場が、親会社が突然倒産したことがきっかけでできました。そこで働いていた指導員と知的障害者らが途方に暮れ、困難の中で出会ったのが、愛知同友会でした。
全国初の共同作業所を作る
「仕事も作ります。出資金を集めましょう。」この遠山氏の一言で、保護者の方々も街頭に立って作業所建設資金の出資を訴え、そして全国初の無認可のゆたか共同作業所が誕生したのです。
この活動をきっかけに、全国に共同作業所が続々と誕生し、その職員達を先頭に、今日の全国組織「きょうされん」に発展しました。また、中同協の障害者問題委員会も元は、愛知同友会の動きが始まりでした。
このようにゆかた福祉会は同友会会員の支援もあり、七二年法人認可され、現在二十二種類の事業を行い、拠点は四十カ所、非常勤を含めて四百名の職員、六百名の利用定員、年間二十二億円余の収支規模にまで発展しています。財団で将来展望を調査
そして今一つ、「愛知県中小企業研究財団」の常務理事を務めています。この財団は、十七年ほど前の九三年に、同友会の当時の新、旧役員など有志により「中小企業のための調査・研究・教育等の事業を行い、中小企業の自主的、民主的発展と連帯に寄与することを目的」として設立されました。
ただちに各種講演会や出版活動を開催し、翌九四年には、当時、世界で最も中小企業の元気な国である「サードイタリア」の実態を知るべく調査団を派遣し、北部イタリアの中小企業とスイスを調査しました。
憲章制定運動は愛知からスタート
その根源的思想の協同・学生組合からの発足を起源とする、ヨーロッパで最も古い大学に遡る流れを知り、中小企業の自立と協同、それを結びつける民主的役割を担うインパナトーレ(すべての関係者を勝者にするコーディネーター)など、彼らの歴史の尋常でないことを学びました。これは私たちの基本理念にも結びつく共通項です。
帰国後、東京大田区の視察やアメリカの中小企業の現状など調査、研究を行いました。そして、二〇〇二年愛知同友会四〇周年記念事業として研究財団の提起したオランダ、ベルギーへの「EU小企業憲章」研究調査こそ、今日の中小企業憲章運動の口火であることを誇りに思っています。
1歩前を先読みしてみる
経営はまさに生き物です。真剣勝負で、今日明日との対決に命を懸けるのはもとより、同時に長期的観点に、思いをめぐらすことの大切さは、決してもとる事ではないと思います。五十年後など夢のようなことと無視せずに、ここのところにも気を配る必要があります。
五十年後の一年目は、今日現在始まっているのです。小さな事や変化はその気にならなければ見えてきません。経営者とは、先が見える人であり、見えなければならない立場の人間であると思います。
いずれの時代にも、私たち愛知同友会は数々の点で、一歩前を歩み続けてきたと思います。これからも皆さんと一緒に一歩でも前へ勉強していきたいと考えています。