活動報告

第50回中小企業問題全国研究集会 in 京都(第6分科会)1.企業実践報告

若者に選ばれる企業づくり
~新卒採用と共育で新しい未来を創る(2月13日~14日)

報告者
明石 耕作氏
 (株)トヨコン

アドバイザー
植田 健男氏
 花園大学教授・名古屋大学名誉教授

2月13日~14日に京都で開催された第50回中小企業問題全国研究集会の第6分科会において、愛知同友会共育委員長の明石耕作氏が企業実践を、花園大学教授・名古屋大学名誉教授の植田健男氏がアドバイザーとして報告しました。その概要をご紹介します。

【企業実践報告】
社員の人生を預かる覚悟を経営者として持つ

明石 耕作氏

明石 耕作氏

売上減の中で社長就任

当社は、1963年に当時のミノルタカメラが愛知県豊川市にコピー機やプリンタの工場をつくる時に、私の父が同市に梱包会社を創業したのが始まりです。高度経済成長の波に乗ったお客様の成長に合わせて、当社も包装資材の販売会社の設立や運送の会社をM&Aなど物流業で生計を立てるようになりました。

私はミノルタで5年間修業して、会社に戻った10年後の2003年に同友会に入会。同年、ミノルタはコニカと経営統合し、私はわが社の社長に就任、という船出でした。

その時の経済環境は、1990年代から進んだ円高で主力客先のミノルタが工場を海外に移し始め、毎年1割ずつ仕事が減っている状況でした。

指針という「言葉の力」

社長になってまず、130人ほどいた全社員と1人ずつ面談をしました。社員も毎年仕事が減っている会社の先行きに不安を持っていました。私は「営業しよう」と提案しましたが、異口同音に「営業が嫌だからこの会社に入ったのです」と言われたのがほとんどです。社員は普段、頂いた生産計画表に基づいて工場の中で梱包資材を準備したり運送の手配をしたりと、言われたことは本当に真面目にする、いわゆる「指示待ち」状態でした。

この状態をなんとか抜け出そうと、中同協の「経営指針作成の手引き」からその内容に沿って経営理念を作り、毎年開催していた幹部社員が集まる新年の挨拶会で発表しました。当時は38歳で社長になり立て、幹部社員はほとんどが50歳代。「創業者の息子だから社長になった」と思われている中で、小声でボソボソと理念を読みました。聞いている社員は、配られた理念しか見ていません。伝わった感じが全くなく、作った理念をこの時点で封印してしまいました。

その一方で、指示待ち社員が多かったこと、ミノルタ1社への依存度が85%だったこと、社員の平均年齢が45歳を超えている、という3つの課題を踏まえて、幹部と共に中期計画の作成に着手しました。方針としては、営業ができる若手を採用して社員の平均年齢を下げる、会社の強みを明確にして新しいお客さんを取り、売り上げは下げずに5年以内に1社への依存度を5割以下にするという目標を掲げました。

中途採用にも着手し、ハローワークやアルバイト、契約の切れそうな派遣社員に声をかけ、営業に興味があるという人を採用しました。

自社の強みを「包装・物流」に絞り、客先のほとんどを占める製造業が本業に付属する仕事として持っている開発、製造、販売以外の仕事を「物流アウトソーシング」という表現で営業をかけ、隣町の企業から仕事を頂く幸運にも恵まれました。この時、経営指針を明文化して発信することで生まれる「言葉の力」の大切さを感じました。

インターンシップを頼まれて

愛知同友会では夏休みに大学生の2週間のインターンシップを実施しており、当社にも受け入れてくれないかと依頼がありました。当時は大卒を採用する会社ではなく、もちろん大卒の社員もいません。「こんな会社でも来てくれるのなら」と受け入れを承諾したところ、2人の男子学生が応募してくれました。

同インターンシップでは、初日に社長が学生に経営理念を話さなければなりません。1月に封印していた経営理念を2人の学生の前で話しました。学生は私を「社長」としか思っていませんから、目を見て一生懸命に話を聞いてくれました。私も気持ちよく話せますので、経営理念の1つひとつの言葉に込めた思いを私自身が実感しながら熱く話すことができました。幹部社員の前で発表した時は単に文字を読んでいただけで、熱量が足りなかったと学生の反応から気づくことができたのです。

大反対の新卒採用

インターンシップを進めるうちに、学生に教える時の伝わる楽しさや伝わらないことの難しさを社員が実感して、生き生きとしていることに気づき、新卒採用に挑戦することを決めました。

しかし、社内には大卒の社員がほとんどいないので、「高卒がやるような仕事を大卒がやるわけがない」「そもそも私たちが教えることがあるのか」という思いから、大反対されました。私は、採用活動を通じてそういう社内を変えたいという強い思いがありましたので、後になって社員から「普段、我々の意見を尊重してくれる社長が、新卒採用だけは引かなかったね」と言われるくらいの熱を持って取り組みました。

2006年4月採用に向けて05年度から取り組みを始めました。早くから就職活動を始めている学生は意識が高いので、中途採用しかしたことのない当社としては、こういう学生が入社すると会社が変わると期待して、勢いで5人に内定を出しました。ところが、3名から内定辞退がありました。「選んだつもりが、選ばれる」ということを実感した出来事でした。

採用の初年度は、私を含めて数人で採用活動を行っていましたが、翌年から採用活動に関わる人数を増やしました。社員も、自分が関わって採用した社員には思い入れがありますし、この会社で働く理由などを聞かれて考え、答えていくうちに自分の仕事に誇りややりがいを持ち始め、社員が採用に関わることの大切さも感じました。

09年度末には、06年からの4年間で採用した17名のうち13名が在籍していました。結婚して子供が生まれるなど社員の環境にも変化が見られ、家族手当や住宅手当などの制度や部活動を望む声も出てきました。また、夏にはインターンが来る、4月には新入社員が入社する、それが当たり前、という風土がインターンシップと新卒採用を続けるうちにできてきました。

「生きる」「働く」「学ぶ」を企業実践と専門家から学ぶ

リーマンショックと経営者としての覚醒

08年9月にリーマンブラザーズが破綻し、半年後の09年1月には愛知県の自動車産業に影響が出るようになり、当社に影響が出たのがさらに半年後の09年の夏でした。仕事が急に減り始め、雇用調整助成金の申請や、早期退職を募集せざるを得ない事態となりました。「話が違う」と、初めて新卒採用をした社員も退職していきました。同友会で「人を生かす経営」を標榜しながら実は名ばかりだった、経営者として失格だったと反省しました。

新卒採用だけは長期スパンで続けたいと思っていましたが、「早期退職を募っておきながら、採用なんて」と社員から反対され、断念しました。しかし、グループ会社から新卒採用の要望があれば、各社に任せました。その結果、人数だけの数合わせの採用が横行しました。

ただ、5年前に目標として掲げた「1社依存度を下げる」は、リーマンショックで全体の売り上げが下がった結果、1社依存度が55%になり、「新卒を採用して社員の平均年齢を下げる」も、平均年齢43歳に下がりました。

業務革新を続け、会社を発展させ、リーマンショックの時のような悲しい思いを二度と社員にさせてはならないと、社長として覚醒し始めたのがようやくこの頃です。

社風共感型の採用へ

2014年、当社は創業から50周年を迎えました。前年の13年には、私がグループ全社の社長を兼ねることになりました。そこで、50周年に当たって父が分社した3社を合併して会社の形を変えようと考えました。3社は業務内容も社内の風土や労働環境もそれぞれでしたので、1年かけて制度を統一しました。また経営理念も刷新してこれまで3社で働いていた社員が共通の思いを持てるようにしました。

リーマンショックの影響から回復してきた時期でもありましたので、新卒採用を再開しました。06年から13年までの8年間で採用した23人のうち14人が退職していて離職率は60%でしたので、採用再開の前に課題を検討しました。傾向として、自分で会社を選んだわけではない縁故入社や、数合わせで採用した社員などが辞めやすく、逆に、通常の採用プロセスを経て入社した社員は辞めにくいことが判り、「社風に共感して入社した社員の定着率が高い」と分析しました。

そこで、まず社長が積極的に学生と向き合おうと、合同企業説明会はもちろん、どんな時でもこれまで以上に前面に出るようにしました。仕事の話をしても学生にはなかなか伝わりにくいので、社長としてどんな会社をつくりたいと思っているかを、とにかく熱く語るようにしました。

その結果、14年から19年までに採用した34人のうち31人が在籍してくれています。06年からでは57名採用したうち39名が残っていて、定着率は70%です。1社依存の割合も順調に減って、14年は10%になりました。合併時に流言があって集団退職してしまいましたが、合併後の社員数は150人、それも「新陳退社」の1つだと思っています。

成長を実感できる企業に

3社を合併した会社名は「トヨコン」とし、新しくした経営理念は「価値の共創」です。我々のお客様である製造業の要望は「自分が作った大切な商品を相手先まで安全・確実・お値打ちに届けてほしい」ということですから、そのお客様を「支えて」、「繋いで」、「守って」、そして新たな価値を創る、お客様と共に、社員と共に、地域社会と共につくる新しい価値を大事にしていこう、という理念です。

14年から19年までに制度も刷新しました。社員の意見を取り入れた制度を整備していくことで、社員が要望を出せる風土もできつつある、と思っています。

社員の定着率向上の理由として、社風に共感した学生が入社してくれていること、無理をしても同期を入れるようにして同期社員同士でコミュニケーションをとれるようにしたこと、パッチワーク型の人事異動から戦略型人事異動を行って成長を実感できるようにしたこと、働く環境を数年ごとに見直して整備できるようになったこと、などがあります。採用活動の時に福利厚生ばかり質問してくる学生もいますが、縁あって入社してくれた社員のために人事制度をより良くしていきたいと思っています。

当社は包装資材の販売が主力でしたが、最近は、お客様も人手不足や高齢化で困っており、AIやロボットを使った省力化・省人化の機械も手掛け始めました。長い間、包装資材を販売してきたベテラン社員にはなかなか難しくても、社風に共感して入社してきた若い社員は、勉強しながら新しい業務に挑戦してくれています。

3社統合から5年、社長就任から15年経ち、いよいよ1社依存率が3%、平均年齢も40歳を切りました。

若者に選ばれる会社

最後に、「若者に選ばれるために」ということで、私は、16年かけて制度の整備や風土の改革を少しずつやってきました。制度をパソコンのアプリケーションのようなものだとするなら、それを載せるためのOSである風土の改革に時間をかけてじっくりと取り組むことが必要です。最新のアプリケーションは昔のОS(例えば昭和の根性論の社風)の上では機能しないのです。さらに、そのパソコンを動かすためには電源が必要で、その電源こそが経営者の情熱だと思います。

制度も風土も改革には時間がかかりますが、経営者の情熱は、今日からでも持てます。それを、皆さんが、私たちが伝えることでしか未来はない、と考えています。

これからは新卒年齢の人口が増えませんから、採用活動はますます厳しくなっていきます。そんな中で大企業は「人を育てる」ということを止めて、短期のスパンで即戦力を採用する流れになっています。しかし、私たち中小企業は、人が育って長く働ける会社にしていくことがいちばん大事です。学生の全員が大企業を希望しているわけではありません。「社長と一緒に未来をつくりたい」と願う学生は絶対に存在します。そういう学生に入社してもらい、育てて、新しい会社を皆と一緒につくっていきたいと思います。