活動報告

10年後の社会・働き方を見据えた企業づくり(9)「コロナ禍を機に既成概念を問い直す」

五十畑 浩平氏  名城大学教授

本連載では名城大学の五十畑浩平教授による問題提起を通じ、今後の社会や働き方について考えます。今回は、新型コロナウイルスの感染拡大による災禍という世界史上の大きな転換点を機に、これまでの既成概念、世間の常識を問い直すことを提起します。

個々は合理的でも全体では非合理的に

「合成の誤謬」という経済学用語があります。これはミクロレベルでは合理的であっても、それが合わさりマクロレベルで見ると、必ずしも合理的ではなくなるといった意味です。

例えば、一個人が消費を削減して貯蓄するのは極めて合理的な行動ですが、個人がそうすればそうするほど、社会にとっては経済の停滞を招く結果となり、全体から見れば非合理的なこととなります。

コロナ禍にある日本社会では、例えば個人は個別に感染防止のため外出を控える一方で、経営が苦しい観光業や飲食業では集客キャンペーンを行っています(講演当時・昨年12月)。このように各々は合理的な行動をしているつもりですが、社会全体で見ると、感染拡大も防げませんし、経済も減速します。

個々が自身の合理性だけに基づいた行動を行っていても、全体としては非効率で中途半端な状態に陥ってしまいます。だからこそ、本来であればしっかりしたリーダーシップが発揮されるべきですが、現在の日本政府にはその気概すら見えてきません。

コロナ終息後の社会を見据えて

ただ2020年はコロナ禍によって、それまで当たり前と考えられていた既成概念を問い直す大きなきっかけとなった年でもあり、全世界にとって間違いなく大きな転換点となるでしょう。さらにアフターコロナを見据えた際、これまでの単なる延長で社会や経済が進むとは考えにくく、そうした意味でも既成概念を問い直す絶好機といえます。

例えばワーク・ライフ・バランス(WLB)の推進において様々な業務改革を行っていく際、単に時間外労働を減らそうなどというだけではうまく進みません。WLB推進には、「そもそもこの業務は必要なのか」と業務自体やそのプロセスを見直したり、長時間労働は美徳といったこれまでの既成概念に疑問を投げかけたりする必要があると考えます。

「安い」「速い」を追求してきた日本

例えば日本で、とりわけ製造業で常識として使われ続けてきた「コストダウン」という言葉があります。これは実は和製英語で、欧米ではそもそも「必要なコストは下がるわけがない」という前提があり、必要なコストを積み上げて価格を決めていく通念が古くからあります。何らかのマージンを削減して価格が下がることはあっても、コストそのものは削れないという考え方が一般的です。

対して日本の「コストダウン」は、とりわけ高度成長期から80年代にかけ、とにかく「安い」ほうが、「ファスト」なほうが良いという考え方が極限まで追求され、これにより、結果として日本社会全体で「安い」、「ファスト」な生活が定着してきました。

各企業にとっては、価格優位性を取って多く売ることで利益を追求することは極めて合理的ですが、日本社会全体では必ずしも合理的とはいえません。実際、薄利多売で付加価値が上がらずデフレが起こり、多くの労働者が低賃金で長時間労働をして、安い物しか手に入れられなくなっています。

「コストダウン」の源流と功罪

日本型の「コストダウン」の源流は、松下幸之助の「水道哲学」(1932年、水道の水のように物資をたくさん供給して価格を下げ、消費者に行き届きやすいようにする)や、現在も愛知県では当たり前の「トヨタ生産方式」などだと考えます。

「水道哲学」は100年近く前のもので現代にそぐわない面も多いですし、「トヨタ生産方式」については生産性が高い工場ほど新たな製品のアイデアが出にくいという「生産性のジレンマ」が報告されています。

ものごとには良い面・悪い面の両方が必ずありますが、「コストダウン」を金科玉条のごとく絶対的なものとし、その悪い面には目を向けず、長い間無批判に過ごしてきてしまった結果、日本社会はこうした「20世紀的発想」から抜け出せてこなかったのではないでしょうか。

発想の転換で固定観念を手放す

「コストダウン」が礼賛されてきたこれまでは「ムダを削る」発想でずっと来ましたが、現在に至ってはもはやこれ以上「削るところ」が無い状態にまで来ているのではないかと思います。

「コストダウン」という呪縛から解放されるためにも、発想の転換が必要です。すなわち、いかに付加価値を創造し「豊かさ」や「楽しさ」を追求していくかという方向に想像を巡らすことが重要であり、それによって豊かで質の高い生活ができるよう、各社で考え、行動していくべきではないでしょうか。

これはなにも「コストダウン」に限ったことではありません。これまで金科玉条のごとく考えられてきた様々な既成概念やこれまでの常識を、いったん立ち止まって疑ってみることや問い直してみることが、今後のビジネスにとっても、また社会全体にとっても、重要になってくるといえます。