活動報告

第60回定時総会 基調報告(2) 4月22日

同友会らしい「人を生かす経営」で、未来を切り拓く
~コロナ禍だからこそ、同友会運動と企業経営は不離一体

加藤 明彦氏
エイベックス(株)代表取締役会長
愛知同友会相談役(前会長)・中同協副会長

1995年4月1日「同友Aichi」で取り上げられる(一部紹介)

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「労使見解」(人を生かす経営)との出あい

入会して3カ月、いきなり地区役員に

1993年12月17日、私は46歳で同友会に入会し、3カ月余で地区役員(副グループ長)となりました。その翌年(95年)には地区の副会長となり、以降ずっと役を頂くようになりました。

役員はその場に身を置くだけで、自然と感化されていきます。これが同友会で役員をやる魅力の1つといえます。

共同求人活動 ~単なる人採りではない

地区の副会長時代に支部役員会に参加し、共同求人活動を知りました。これこそ自分が同友会に入った目的だと思ったくらいです。これが、自社発展への第一歩でした。

共同求人活動は、単なる人採りの活動ではありません。採用したら、その人をどう生かしていくかが問われるのです。まずは『労使見解』を勉強しようということで、労使見解の勉強を一生懸命やっていました。これが労使見解との出あいでした。

「21世紀型企業づくりへの布石」

95年の共同求人活動に参加するきっかけとなったのが、「21世紀型企業づくりへの布石」という「同友Aichi」の記事の取材です。

福島敏司事務局長(当時)から、「エイベックスにはひとつ欠点がある。これをやらないと会社は伸びないよ」と言われたのが、大卒採用です。

共同求人には「だめもと」で申し込みましたが、初めて参加して4人も採用できました。あれから25年、この4人ともいまだに残ってくれています。これだけは私の自慢です。

自社の未来を託して

そのうちの1人が、現在、熱田第2地区に所属している生駒健二です。彼は今、執行役員であり、別会社の社長にもなっています。

彼は当社に来る前、既に内定を持っていました。私は「3代目にする息子が入社するので、その番頭役をやってほしい」と話しました。

そこで彼は、内定先の2社に「なぜ私を採用してくれたのか」と聞きに行ったそうですが、誰も答えてくれなかったといいます。要は、その他大勢の1人として採用されたということです。

それなら、将来性もわからないこの会社、自分が番頭になってしっかり支えて、発展できる会社にすればいいじゃないか。未来が見えるから、番頭やらせてくれるなら大いに結構だと、腹を固め、入社してくれたのでした。

共同求人委員長と地区会長を兼務して

地区会長として2年目を迎える年に、共同求人委員長の依頼を受けました。私は地区会長をやっているから、そんなに幾つも役はできませんと答えたところ、「みんな2つも3つも役をやっているんだ。同友会は『イエス』か『はい』しかないんだ」と説得(?)されて、引き受けたわけですが、この経験がさらなる力となりました。

このころようやく具体的な採用の考え方、実践に向けた学びを得ました。なかでも経営指針(理念・方針・計画)の整合性が重要であると学びました。これが自社発展の基礎になったと思います。

「21世紀型企業づくり」を学び、実践する

同友会理念の実践企業に接して

1999年は、私にとって大きな学びの年でした。

私は共同求人委員長と兼ねて第3支部(当時)の副支部長となりました。1つ目の学びは、正副支部長会議が各社持ち回りで行われ、他社を見る機会が増えたことです。

正副支部長の会社ですから、同友会の学びが企業内にも浸透しているのです。会社を訪れると、みんな手を止めて「いらっしゃいませ」って声を、次に行くと名前まで言ってくれるのです。さっそく真似をしました。また貴重な業界の情報を目で確認できたことが、副支部長になった役得だったと思います。

創業50年の年、新たな戦略を立てる

2つ目は、当社の創業50周年がこの年で、業績があまり良くなくて記念行事はできませんでしたが、何か記念に残したいと思いISO9001を取りました。

また、中同協30周年の時に、東京で行われた中同協総会での「21世紀型企業づくり」(以下)の学びです。

(1)自社の存在意義を改めて問い直すとともに、社会的使命感に燃えて事業活動を行い、国民と地域社会からの信頼や期待に高い水準で応えられる企業。

(2)社員の創意や自主性が十分に発揮できる社風と理念が確立され、労使が共に育ちあい、高まりあいの意欲に燃え、活力に満ちた豊かな人間集団としての企業。

自社の経営戦略は持っていましたが全部捨てて、学んだ「市場創造と人材育成の戦略」、この2つでいくことを決めたのです。

この時から今日まで、3代目である息子と共に、市場創造と人材育成の展開をしています。この2本だけで会社が飛躍的に発展しました。同友会での、最大の学びでした。

名古屋支部の初代幹事長となって

1999年4月には「自立型企業づくり」と「地域社会と共に」を2本柱とした愛知同友会「99ビジョン」が打ち出されます。

それを受けて翌年4月の組織改編で、それまでの5支部体制から尾張、名古屋、三河の3支部が誕生し、生まれたばかりの名古屋支部(会員数1400名)の最初の幹事長を引き受けることになったのです。

この時に、私はそれまで所属していた熱田地区から、自宅のある天白地区に地区移動しました。

これは、「行政区単位に地区を創り上げていこう」と3支部長で話し合い、仲間づくりとして新地区づくりを推進しようと、方針を出したからです。

そもそも会の入会規定には、会員は原則、会社の所在地か自宅の所在地にある地区に所属することになっているからです。

自分の地区だけが良い地区ではない

良い機会だからお話しさせていただくと、「地域所属の原則を無視して、紹介者のいる地区になんで引っ張るんですか」とある地区会員に尋ねたら、「地元の地区はぼっこいから、勉強にならない」と言うのですね。

それに、「自分の地区の会員が増えれば良い」と言うのですが、これは紹介する側の都合であって、新入会員にとってはどうでしょうか。

所在地から遠くの会合に行くのは大変ですし、そもそも自地区が「一番良い地区」と思っていること自体、自地区の会合しか見えていないことになります。

これは、経営も同じで「自社が一番強い・自社しかできない」という考え方をしているわけで、近視眼的な経営になります。自分に都合の良いごく狭い情報だけを得るようになり、経営的にも非常に危険な考え方です。

入会希望者には「会社所在地か自宅に近い」地区を紹介する。他地区から自地区の経営者を紹介してもらうことで互いに地域や地区の活性化を図ることが、同友会理念の連帯の精神の実践です。

会員は愛知同友会に入会したのであり、地区に入会したのではありません。

地域との関わりでBCP対応を

そして、これから地震などの災害の多発が予想され、BCP対応が必要になります。私の所属する天白地区もそうですが、他行政区の方も多く所属しています。名古屋市内の方で会社所在地の地区に所属している人は3人に1人という状態です。

いざ災害が起きた時に、どうやって駆け付けるのか。その点、中川地区はまとまっていて、地元の地区に入っているのです。これにより互いに歩いて行けるし、みんなで助け合えます。

既に入会している人に地区移動しろとは言いません。しかし、これから入会する人は地元の地区に所属し、地元を知る、お互いに地元にどういう会社があるかを知ること。ちょっと目線を先に向けて考える、大切な視点だと気づこうではありませんか。

「同友会って何なんだ」~基礎からの学び

市場創造と人材育成

入会して7年後の2000年に経営指針発表会を自社で行い、「世界を見据え、地域に生きる」をテーマに「2010ビジョン」を発表しました。それまでも発表会はやっていましたが、私が一方的に喋っていただけですから、同友会でいうならば、指針発表会に値しないものでした。

これができたのは、市場創造と人材育成、この2つの戦略をトップ方針として打ち出したからです。きちっと市場創造と人材育成でこう展開するから、社員の皆さんは何をやるのかと、方針と計画を立ててもらいました。

同友会の書籍をすべて読了してみて

一方、同友会では2002年4月から名古屋支部長となり、4年間務めました。その前の年には、現在の「活動のてびき」の原型である「2001年版名古屋支部・活動指針書」を出しました。

というのも、それまでの第1~第4支部を寄せ集めて誕生した名古屋支部ですが、それぞれの運営方針がバラバラで、1つの組織として体をなしていなかったからです。

「同友会っていったい何なんだ」と思い、基本に立ち返る必要性を強く感じ、事務局にある同友会発行の書籍を全部購入し、5月の連休中に読み尽くしました。

深い意味での「自主・民主・連帯」

そこで得たのが、今では当たり前に愛知同友会でも使われている「同友会運動と企業経営は不離一体」だということです。

さらに、赤石義博さん(故人・元中同協会長)の著作からは同友会理念の1つである「自主・民主・連帯」の深い意味、「生きる・暮らしを守る・人間らしく生きる」の考え方に触れ、大いに感銘を受けました。

簡単にいうと、(1)生きる(民主)は、平等な人間観、生命の尊厳性の尊重を、(2)くらしを守る(連帯)は、あてにし、あてにされる関係であり、社会性の尊重、(3)人間らしく生きる(自主)は、個人としての尊厳性の尊重であり、自立した1人の人間として尊重されるということです。

生産条件と生存条件

それを自社で具体化したのが、一人ひとりの社員が自己の能力を発揮できるような「相対評価と絶対評価」という目標管理の考え方です。

また、生産を豊かにする生産条件的な企業経営のあり方から、人間らしく生きる-生存条件を充実し、一人ひとりの社員がより豊かな人生を送れることが企業経営の目的であると考えるようになりました。

(続く)

【文責:専務理事・内輪】