活動報告

人を生かす経営推進部門 第1回「労使見解」を深める学習会(5月12日)後編

経営者の責任
~「労使見解」の実践による人間尊重経営とは(後編)

馬場 愼一郎氏  データライン(株)

馬場 愼一郎氏
馬場 愼一郎氏

前編に続き、第1回「労使見解」を深める学習会で行われた馬場愼一郎氏による報告の後編を掲載します。同友会に入会後の馬場氏の経営実践と、サービス業への転身を図るデータラインの変遷が語られます。

5年後のデータライン

会社を継いで8年目となる2005年に同友会に入会し、「経営指針」に出合いました。わが社はいまだに「中計(中期計画)」と言っていますが、組み立ては同友会の経営指針と似ています。同友会では、経営指針は社員と共に作らなければならないと言いますが、当時わが社は、私が大きな方針・戦略を、社員が実行計画を作っていました。

2014年、それまで私が作っていた方針や戦略を社員に任せるようにしました。20名ほどをピックアップし、2日間の合宿で、「5年後にわが社は誰に対して何をしたいか」「どんな会社でありたいか」、それだけを徹底的に話し合ってもらいました。発言はすべてメモ書きのまま提出してもらい、私がカテゴリー別にまとめて再び全社員に配り、もう一度20名ほどを集めて5年後のイメージを話し合ってもらいました。

すると、ある社員が「今、わが社は製造業や印刷業と言っていますが、5年後にはサービス業に転身しているということですね」と言ったのです。他の社員も「そうだ、そうだ」と、私の思いをほぼ言ってくれました。これはまさしく僥倖でした。

何の画策もなく社員の話し合いに委ねたので、「今まで通りの印刷業を追求します」という結論が出たら……と、一抹の不安があったのです。この時、ほぼ私の思いと同じ方向性になった理由は、大枠で思いが共有できていたからだと思います。

そして、サービス業に転身する時の新商品は何だ、旧商品はどうする、体制はどうありたいかなど、5年後を描き中期計画を作るため、複数のプロジェクトを立ち上げて、半年間にわたり議論を重ねていきました。

データラインのドメインの進化(左から「創業」「第2創業」「第3創業=現在」)

明確なプランがあればこそ

5年ビジョンでは第3創業と銘打ち、印刷物にデータを載せる作業から、データ自体を商品とし、その付属として印刷物もできるというスタイルを描きました。

2018年、思いがけず東京の新宿区にある同業のC社を買収することになりました。わが社はC社の顧客リストに非常に関心があり、10数年前からアプローチをかけていました。ようやくそれが実現し、一緒にDM営業に動き出しました。しかし、こちらの提案ばかりでC社からは何1つアイデアが出てきません。業を煮やし、「御社のお客様に売り込むのに、プランが1つも出てこない。これでは私が経営者のようだ」と言うと、C社の社長は居住まいを正し、「それも含めてお願いしたい」と頭を下げたのです。

この瞬間、データラインの歴史は終わったと思いました。財務的に優秀で社歴も上、資本金も多く借金もないC社とわが社の状況は雲泥の差で、当然、買収される話だと思ったのです。しかし、そうなったとしても、このDM営業だけは絶対に残したい、そのためには役員だけはデータラインで押さえたいと切に思いました。

最終的にはC社がわが社の子会社になり、株式も100%、役員もほぼデータラインで占めることになりました。なぜこのような結果になったのか。その理由は、将来に対する方針・計画・ビジョンの圧倒的な差にありました。経営指針、あだやおろそかにはできません。こうして東京の市場を手に入れることができました。

社員の存在

新生データラインになり1期目が終わる頃、「来期は1年かけてもう一度じっくり将来を考えよう」と幹部に話しました。

それから1週間も経たないうちに、取引先のA社が工場を探していることがわかりました。A社は印刷業メーカーとして生き残りを賭け、規模の拡大と効率アップを図りたいと考えていました。わが社はサービス業に転身します。互いにその夢を語りながら、工場譲渡の話がトントン拍子に進みました。諸々の条件はありましたが、中小企業同士のこと、一旦相談が始まれば、まとまるまでに時間はかかりませんでした。

クリアしなければならない問題の中で一番大事だったのは、社員の行く末でした。社員にとって、新生データラインか、今までの工場で機械のオペレーターとしてやっていくのか、どちらがよいのかを私なりに考え、一人ひとりと面談しました。中には「どんな仕事になるかわからなくても、新生データラインについていく」と言ってくれた社員もいました。嬉しかったです。みんな、自分の人生を考えたに違いありません。ついていくと言ってくれた以上、必ず仕事はつくると決心しました。今も、どちらの会社からも失職者は出ていません。

新生データラインをスタートする際に、改めて社員の存在や関係の大切さを実感しました。引越しのドタバタ騒ぎの中、女性社員が仁王立ちになりテキパキと指示してくれたことは、本当にありがたかったです。一方で、右腕だった社員を頼りにできない事態が生じ、非常にきつい思いもしました。しかし、落ち込んでいる私を陰ながら励ましてくれる社員たちもいて、支えられました。

こうして工場の譲渡手続きが終わり、2015年に作ったビジョン「サービス業への転身」は、外形が整い、固定費と借入れが減り、損益分岐点も下がり、身軽になったのです。

モチベーションの源泉

新宿区の子会社で新社長を選任する際、候補の役員に、代表権が付く社長・付かない社長の2つがあること、代表権付き社長の責任がどれほど重いかを説明し、選択を任せました。彼は30秒ほど考え、代表権付き社長を希望しました。私は驚くと同時に非常に嬉しく思いました。

新社長は、私の思いをすでに方針として活字にしていました。そして社員一人ひとりに具体的に指示を出し、1日が終わると情報収集をし、会社を回しています。計画も見様見真似で作成しています。さらに、人事の提案までしてきました。70歳近くのベテラン社員をパートから役員に登用したいと言うので、面くらいながらも、経営者にとって胸の内を吐き出せる存在は大切なので、賛成しました。こうして、ベテラン社員が役員になったことや新社長への期待感もあり、社内の雰囲気はグンと良くなりました。

某大手企業の破綻で、わが社の一番のお客様の売上げが数千万円吹っ飛んだことがありました。また、コロナ禍で、主力商品のDMは、イベント関係、飲食店、クリーニング店が軒並み落ち込み、売上げは激減しています。

この現状を社員はわかっていますが、会社の雰囲気はとても良いのです。なぜなら、次にやることが明確だからです。今、わが社が目指しているのは、仕入れがなく、在庫もなく、経験とノウハウを売る利益率100%の会社です。少しずつ成果も見え始めています。

先ずは自社の実践ありき

約70年前に集まった数名の経営者たちの前に、「労使見解」や「自主・民主・連帯の精神」は、まだありませんでした。同友会の先輩たちは、旗印を目指して集まったわけではなく、現実的な問題を目の前にして、真剣な議論を重ね、その結実として「労使見解」などの学ぶ対象ができました。

同友会は「学んで実践」と言いますが、これは、学んだものを会社に持ち帰りやってみるというイメージがあります。私はむしろ先輩たちと同じように、自分の実践が先にあり、それを同友会の考え方に照らし合わせ確かめます。すると「あっ、このことだったのか」と気づきます。その確信に意味があり、将来に役立つものになると考えています。

「労使見解」には、「社員と対峙するには誠心誠意、今できることを伝える」と書かれています。私が同友会に入会する前に経験した、労働組合の立ち上げや給料カットの出来事を「労使見解」に照らし合わせると、当時、社員に対して嘘は言わず、誠実に対応した姿勢は間違っていなかったと思いました。こうして立ち返るものがあることに感謝しています。

私たちは、同友会の会員である前に経営者です。日々現場で起こる、あの時の成功、あの時の失敗、あの時の喜びや悔しさを、同友会の考え方や「労使見解」に立ち返って見直してみる。そういう中で一人ひとりの「労使見解」がつくられていくのだと思います。

【文責:事務局・岩附】

【データライン株式会社】

資本金 3000万円
年商 12.4億円
社員数 30名
事業所 本社(安城)、営業所(東京、浜松)

【中央ビジネスフォーム株式会社】

資本金 6000万円
年商 6.9億円
社員数 23名
事業所 本社(新宿)

事業内容

データ処理、可変印刷、コンピュータ用帳票の企画・販売、販売促進用印刷物の企画・製造・販売、その他印刷、紙加工、データ活用コンサルティング