活動報告

コロナ禍を仲間と共に乗り越える ~支部・地区での奮闘記(3)

【中村地区】苦しくてもやりたいことをやる

山本 康弘氏 (株)おかだや

山本 康弘氏

18歳で社長に

名古屋市・柳橋で酒類の卸売りを営むおかだやは、創業から80年。山本康弘氏は3代目の社長です。

高校を卒業後は大学進学を予定していたものの、先代の父親が他界し、18歳という若さで同社に入社して社長となります。進学の夢を断たれた山本氏は、入社してからジリ貧の売上げに対して、言い訳しか出てこなかったといいます。

どこにもない酒屋に

同友会には21歳で入会。40代にして会歴は20年以上となりましたが、転機が訪れたのは10年ほど前でした。山本氏は酒屋として地酒や焼酎など特定のジャンルに特化し、専門化を進める必要があると考え、それらの品揃えを強化して店舗をリニューアルしました。

同じ頃、クラフトビールに出合い、1口飲んでその魅力に感動。当時は全国でも扱っている店が少なく差別化にもつながるとの思いで店舗で扱い始めましたが、思うように売れませんでした。しかし、山本氏は「新たなジャンルとして確立したい、いや確立できる」という根拠のない自信があったといいます。

そこで、自ら飲食店をやってクラフトビールを発信しようという思いが湧き始めました。酒屋として飲食店の繁盛をサポートすることが自社の付加価値だと思っていましたが、実際に飲食店を経営しているわけではない自分が話しても、説得力に欠けると以前から感じていた山本氏。「失敗しても何とかなる。だったらやってみよう」という思いで、全国各地のクラフトビールが飲める店を始めました。

ビールメーカーになりたい

1年で1店舗というペースで新たに店を出してきた山本氏の心の中で次に湧いてきたのは、「自社オリジナルのビールを作りたい」という思いでした。すると、柳橋の取引先から物件を譲るとの話があり、それを購入。小規模のビール醸造所と飲食店に改装、「ワイマーケット・ブルーイング」を開店しました。

名古屋市内では唯一のクラフトビールメーカーとなり、その際に別会社「ワイマーケット」を設立。現在は名古屋市西区に柳橋の4倍の生産能力を持つ醸造所を持つことで生産力を強化し、おかだやが「酒屋」、ワイマーケットが「飲食店」「ビール醸造」という3本柱で経営を進めています。

こうした経験から、山本氏は新たなことにチャレンジするハードルが下がるとともに、その楽しさを覚え、チャレンジしないと何も始まらないと感じたといいます。

西区にあるクラフトビール工場

コロナ禍で大打撃

しかし、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の拡大で2月末から店舗の客足が遠のき始め、4月から5月は売上げが前年比で激減してしまいました。テレビ塔周辺に9月にオープンした「ヒサヤオオドオリパーク」に新店舗を出す予定でしたが、辞退しようかと思うほどの落ち込みでした。売上げはなくとも固定費は毎月のように出ていくため、毎日が不安の連続でした。

一方で、酒屋のほうも飲食店が大半の顧客であるため、大きな打撃を受けました。もちろん、自社製品のクラフトビールも飲食店へ売ることができません。幸いにして缶ビールを個人客向けに作っていたこともあり、そちらの商品が伸びたといいます。

できることは何でも

誰もが経験したことのない非常事態のなかで、山本氏はできることを全部やろうとしました。例えば、動画を制作して配信したり、オンラインで飲み会や工場見学も行ったりしました。社内では店長を対象としていた研修に社員も参加させるなどして、チームビルディングで社内体制を強固なものにできるようにしました。

同業他社も同様に苦しんでいたので、10社の商品をまとめてセットで売る企画や、自社商品を購入したお客さんに指定のビアパブで一杯無料のサービス券を配布するなど、様々な取り組みをしました。7月には国内のメーカーに声をかけ、栄の真ん中で安心して楽しくクラフトビールを飲めるイベントを開催しました。

自分がやらなければ誰がやる

積極的な山本氏の原動力は、「状況が厳しいからといって、何もしなければ何も始まらない。皆がやらないなら自分がやろう」という気概でした。4月に発足した飲食業関連研究会で、苦境に立たされた飲食業や観光業の会員が集まって勉強会をしたり、励まし合ったりしながら乗り越えようとする姿を山本氏は見てきて、大きな刺激を受けたといいます。

うまく攻めれば伸びる

コロナの影響がここまで長引くとは思わなかったという山本氏。今は未来に目を向け、前に進んでいます。たとえ需要はこれまでの7割だったとしても、「お客さんは自社を指名して来てくれる。それはありがたい話」と語ります。

今後は団体客や予約サイトを通じての来店ではなく、「行きたい」と思って来てくださるお客様を今以上に増やすために店のクオリティを高める取り組みを進めるなど、アフターコロナに向けて動いています。

多くの企業が苦しい状況ではありますが、コロナ禍でもうまく攻めた企業が伸びていく、コロナが終息してから供給できても意味はなく、そうなった時にすでにサービスを提供できる体制にある会社が勝つのではないかと山本氏は語ります。

酒類の卸売りから始まった同社は、ワイマーケットも含めると社員数が10数人から40人を超えるまでになりました。「やりたいことをやってきただけ」という山本氏ですが、今後は「酒屋」「飲食店」「ビール醸造」が協力しながら成長できるよう、一歩ずつ歩みを進めていきます。

【文責:事務局 松井】

【瑞穂地区】社員、そして関わる仲間と共に

松原 修一氏 (株)あいち食研

松原 修一氏

人と人の関係性を食事の中にも

あいち食研は、企業の社員食堂と飲食店を運営しています。昨年11月に開業したばかりの飲食店のコンセプトは「『食べる』に人と人の関係性を持たせる」こと。それを体現する店をつくりたいと、数年かけて構想を練りました。

同社社長の松原修一氏は、「生きる」というのは人と人のつながり(関係性)だと考えています。「食べる」ことを単なる生きるための手段とすると、関係性は何も生まれません。せっかくの食事がそれでは味気ないのではないかと考え、生産者、流通業の従事者、料理人の想いが感じられる「食べる」を提供したいという想いから、メニューはすべて愛知県産の食材で作っています。また、食育推進ボランティアとして生産者の仕事・暮らしを紹介する「あいち食べる通信」を作成しています。

コロナ禍、社員の生活を想う

松原氏が新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)への対応を意識したのは、海外のコロナの情報がニュースとなっていた今年1月。同友会の仲間から「日本でも大きく拡大するだろう」という話を聞き、自社への影響を考え、身構えました。

日本でも感染が拡大し、報道がコロナ1色になってきた2月、松原氏は48名の全社員へ「誰も解雇しない。給与も減らさない」と伝えました。これまで入っていた予約のキャンセルで電話が鳴り続け、飲食店事業の売上げは激減していきました。ベルが響くのが本当に怖かった。それでも社員一人ひとりの生活を想うと、それを守ることがトップとしての責務だと考えたのです。

松原氏は創業前、お弁当を作って、街に売りに行って稼いで、その資金で材料を買ってまた作るという生活をしていた時期がありました。「仕事は生活を守るもの」。その頃からあったこの想いが先行きの不安を振り払い、覚悟させてくれました。

社員へ宣言した理由には、全社一丸になって乗り越えようという会社の方向性を示したい気持ちもありました。宣言から半年以上経った現在、社員は安心して働いてくれていて、あの時の判断は間違っていなかったと感じているといいます。

不安も葛藤もある、だから動き続ける

あいち食研にとって、コロナは、かねてから考え進めていたことを加速させるきっかけになりました。これまでのディナータイムのみの営業から4月、5月にテイクアウトやお弁当、ランチを始め、6月には社内の状況を踏まえてランチとディナーに絞りました。また、8月からはお店専用アプリとモバイルオーダーシステムを導入しました。

感染症対策をしながらの営業では葛藤もありました。飛沫予防のためのプラスティック板の設置、マスクの着用や消毒等を始めたばかりの頃、来店客のうち3割は快く協力してくれましたが、7割がクレームをぶつけ、時には他店に行ってしまうこともありました。お金をかけて真面目に対策したほうが損をしているのではないかと悔しく思う時もあったといいますが、安心して働ける、食事ができることを第1に営業を続けてきました。世間の変化に合わせて動き続けてこられた背景には、「コロナが長引きそうだ。ではどうするか」という同友会での前向きな話し合いがあったといいます。

感染症対策を行った店内

皆の「生きる」を考えて

近年、SDGsも注目を集め、企業(生産)のあり方、消費のあり方が問われています。ものやサービスが好きなように安く手に入る社会のあり方は、これから変わっていかなければならないのではないか。松原氏はこの問題意識を持って、自分には何ができるのか、どうしたいのか、どうやりたいのかを考え行動しています。

その中で、松原氏は食事を提供し続けることを大切にしました。飲食店の動きが止まると、生産者の方も厳しい状況になると考え、店を続けると同時に、正規の値段で仕入れることにこだわりました。売上げが戻らない中、感染症予防対策にも資金が必要になる状況で、食材を安く買えれば自社は助かる。しかし生産者にも生活がある。そう考え、仕事の連携先と一緒にコロナ禍を乗り越える道を模索しています。

社員と共に会社をつくる

松原氏は、経営者として現場には入らず裏方に徹するというこれまでのスタンスを変え、現在は社員と一緒にお皿を洗い、配膳し、会計をしています。新しいスタンダードが確立するまでは、まだ入社して1年に満たない店長を1人で不安にさせないようにしたいという気持ちから選んだ行動です。

「人間、1人で考え込んでいると暗くなってしまう。だから今は社員の横で一緒に前向きな試行錯誤をしながら、より良い会社をつくっていきたい」と未来を見据え、動き続けています。

【文責:事務局 大平】

【中村地区】連携から見えた経営者の覚悟

松村 祐輔氏 (株)シー・アール・エム
野田眞太郎氏 (有)野田工業製作所

1年半かけて開発された「無人缶バッジ製造機」

画像処理搭載の「無人缶バッジ製造機」が完成

名古屋市天白区にあるシー・アール・エムの工場で、缶バッジを作る音が響いています。野田工業製作所が1年半かけて開発・作成した「無人缶バッジ製造機」が9月に納品され、操作訓練がされているのです。同社が装置の設計・製作、電機制御設計、シーケンサ制御をすべて内製化し、ロボットと画像処理を搭載したこの製造機は、世の中に2つとない完全オリジナルのものだといいます。

そもそも缶バッジは、安全ピンがついた缶の土台と絵柄が印刷されたフィルムがぴったり合うように、人の手で機械にセットして作られています。シー・アール・エムの松村祐輔氏は、2017年にスタートした缶バッジ事業のさらなる生産性向上のため、この作業を自動化できないかと考えました。そこで、2年前に産業機械の板金・製缶加工、組立、電装・機械設計・製作を営む野田眞太郎氏(野田工業製作所)に相談を持ちかけたのです。

そんな両氏が知り合ったのは、2009年に受講した「役員研修大学」でした。年間を通して同じグループとなった2人は、修了後も定期的に経営や情勢の情報交換をし、同じ地区となった現在も互いを刺激し合える間柄だといいます。2人とも、経営者として会社をどうしたいかが明確で、日々の信頼関係があるからこそ今回のような連携につながっているのです。

握手する松村氏(左)と野田氏

「生産性向上」がキーワード

シー・アール・エムは、デジタル印刷と大判出力の「プリント」の仕事を軸に、紙以外のウェブや動画なども駆使して販売促進をサポートしています。

2002年に1人で創業した松村氏は、これまで何度も人の問題で悩み、社員の主体性を引き出し、生かすことが何よりも会社の成長につながると気づきました。経営方針を果樹園の木のアニメーションで表すなど、伝え方を工夫しながら価値観を共有することで、幹部や部下とのズレをなくし、全社一丸体制を構築してきました。

会社として着実に事業を増やしてきており、近年はアクリルキーグッズや缶バッジなど、アーティストやアニメグッズ製作事業が成長してきています。そんな中でのコロナ禍。予定していたイベント等が軒並み延期や中止となり、リーマンショックよりも今回のほうが売上げに与えるインパクトがはるかに大きく、これまで広げてきた事業はすべて「人が集まること」で成り立ってきたビジネスであったと気づいたといいます。しかし、経営指針があり、社員がいるからこそ心情的な不安はなく、7月の期末決算時には過去最高の売上げとなりました。

19期となる今期は「ティール組織」を導入。「生産性向上」をキーワードに、個々の社員が自律的に働き、セルフマネジメントをしながらチームで成果をあげる組織を目指していきたいと意欲的に語ります。

ノウハウの蓄積で選ばれる企業に

1946年に創業した野田工業製作所は、リーマンショック時の顧客の統廃合のあおりを受け、仕事が激減。売上げはどん底を推移したといいます。野田氏はこれを機に「本当に良い社長とは何か」を追求しようと役員研修大学を受講。松村氏をはじめとする若い経営者に大きな刺激をもらえたといいます。

同時に、経営指針に出合いました。「社員と共に実践すれば会社は立ち直る」と強く信じ、経営指針にすがるような思いで現在まで実践を続けてきました。そして板金業から試行錯誤を繰り返しながら、装置産業にも参入し始めてきました。

今後、製造業も飲食店のように手軽にインターネットで調べ、比較評価することができる「製造業のプラットフォーム化」が進み、顧客に選択される時代がくると野田氏はいいます。松村氏の相談を受けた際、画像処理の経験はあるものの、画像処理により複数の産業用ロボットが駆動する専用機の製作は経験が少なく、ハードルが高いと感じました。しかし、チャレンジし続ける企業としてノウハウを蓄積し、選ばれる企業になるためにも、やりがいを感じ引き受けたといいます。

同社の社員の平均年齢は38歳。これまで幹部のみで行っていたSWOT分析を今年度からは社員全員で行うようにし、そこで出された「デジタルマーケティング」や「BtoC事業」などの若い社員の声を積極的に経営計画に取り入れ、全社一丸体制を構築しています。

経営の維持・発展のために

2人の共通点は、経営者としての覚悟を持って日頃から時代の最先端に足を運んで情勢をキャッチしていること。経営指針を基に、自社の存在価値や方向性を社員と共有し、全社一丸体制に繋がっていることが挙げられます。また、日頃から同友会の仲間と互いを高め合い、会社外に協力体制を築くことで経営の大きな武器となっています。

コロナ禍で経済活動が制限される中、多くの企業が売上げを大幅に落としました。市場の構造的な変化により、今までのやり方では売上げの7割しか戻ってこない企業が多いと予想されています。そんな危機的状況の中でも、両氏はぶれることなく今やるべきことが見えており、とても冷静な様子でした。

【文責:事務局 三宅】