活動報告

障害者自立応援委員会「人間性を語る夕べ(6)」9月9日

職人から経営者へ
~「先代はあんたより温かかった」

伊藤 智啓氏  (株)蒲郡製作所

報告者の伊藤智啓氏

障害者雇用の有無に関わらず、会員の人生観から学び合う「人間性を語る夕べ」。経営の「科学性、社会性、人間性」の「人間性」が最も集約され、話題となり、自らの課題に気づく場として開催しています。

何のとりえもない自分

伊藤智啓氏は未熟児で生まれ体が小さく、小学校3年生まで知的障害のある児童と一緒に特別学級に通っていました。ある時、教師に「お前らは手がかかって面倒くさい」と言われたことが、今も鮮明に残っているといいます。

家庭は厳しい家父長制で、自分が粗相をすると母親がひどく叱られるため、常に周りを気にする子どもでした。小学生時代は運動も勉強もできず、見かねた父が家庭教師をつけ、中学、高校と成績が伸び、東京の工業大学へ進学。これまで暮らしていた蒲郡市から大都市東京へ行ったことが、大きな転機となります。

誰1人自分を知る人がいない東京、そして何のとりえもない自分。伊藤氏は自分で自分の存在を示さねば取り残されてしまう不安と焦りにかられました。中学・高校で経験した弓道部へ入部し、厳しい練習を重ね、大学3年生の時には大きな大会で優勝を果たしました。

社員からの衝撃の一言

大学を卒業し、22歳で父親の会社に入社した際、「社員とは距離を保て。世話にはなるな」と言われました。これは、伊藤氏が社長になった時のためを思っての助言でした。42歳で代表取締役に就任しますが、高校時代に会社を継ぐ目的を、「一流の職人になる」と決意したことが、その先の苦労を生むことになります。

社長就任の2年後、職人から経営者になりたいと同友会に入会します。当初は「労使見解」を新鮮な気持ちで読みながらも、腹の底ではまだ、会社を自分の思い通りにしたい気持ちが強くありました。

ある時、仕事の段取りで社員と口論になり、「先代は怖かった。でも、あんたより温かかったよ」の一言に衝撃を受けます。そして、社員に対し無関心だった自分に気づいていきます。

その後、社員との距離を縮めるために面談を始め、仕事以外に家族や趣味についても話すようになりました。以前は伊藤氏が主となり参加していた勉強会や企業見学も、社員が参加し、気づきや学びを会社に還元してもらっています。伊藤氏が経営姿勢を学ぶ中で、少しずつ社員が自主的に動いてくれる社風に変化しています。